ASDの子供に対してあまり手厚く支援しすぎると

「他者が自分に寄り添う世界が当然だ」という認識になり

大人になってもその感覚が抜けず

社会でますます生きづらくなってしまう

というコメントをネットで読んだのでそこからの連想

 

私はASD度合い0%なのであくまでも想像だけど

ASDさんたち(受動型をひとまず除いてみる)にとって

他人というのは自分の物語の中にいる

登場人物、モブでしかないから

自分の思う通り、自分のルール通りに動くのが当然で

動かないのはバグとして無視

あるいは動かない人は

動くように指示しその通りに動いてしかるべき人

て感じなのではないか

外界は自分の思う通りに動かない人も多いけど

それはミスであり

そういったミスだらけの世界で

生きるのはめちゃストレスで

だからなおさら自分のルールで動く世界を守るし
(そこに取り込んだ人たちを自分の思う通りに動かす世界)

それは当然の行為と思っている

 

ASD度合い0%にとっては

相手と私は等しく主人公であり

私が動く動機や事情を持つように

相手にもあり

それが相互作用し

多くの人々や状況が有機的につながっているのが

自分の生きている世界なので

相手の動機や事情を理解したくなる

そしてその中での自分は

絶対的な価値もあるが相対的な価値も持つ

自己をぞんざいにあつかわれたくないが

といって他人もぞんざいに扱われてはならない

しかし とはいえ

自分の中には「より尊重されたい」という感情もある

しかし現実は尊重されたいけれどそうはならない

その状況にストレスを感じながら

ストレスを感じる自分にもストレスを感じる

みたいな感じ

 

自閉度が高くなっていくにつれて

受動型以外の人は

「自分が主人公であり他人はモブである」

という認知が高くなり

自己肯定感(=自分は他人より価値がある)に

繋がるように見える

価値があるはずなのにそれに合った扱いを受けない時

自己への不安や不満ではなく

まず他者への不安や不満につながる

だから自閉症(の一部)は

他責志向と言われるのかもしれないな

 

ADHD(でASDのない人)は

自分の駄目さ加減を小さい頃から指摘されており

他人の正常さも見ているので

「自分は人と違って間違っているとわかっているのに

その自分を修正できない」ということに苦しむようになり

自己肯定感が下がる

(ADHDが強烈な場合は自覚できない場合もある)

ASDの場合は

「自分が正しいことを理解しない他者が間違っているが

間違っている世界に順応しなければならない」

ということに苦しむことになる

 

「自分が正しい、自分のルールが正しい」

「譲歩しあう必要はない」

「状況に合わせて変化することは許しがたい」

この拘りが発揮される「内モード」に

他者を巻き込まないで生きる能力をつける

独力で生活できる能力(収入を得たり生活したりできる力)を

身につけて生きることが解決なんだろうな

 

一方でASDさんは自分の人生のために

モブを使うことに全く躊躇いがないので

モブになりそうな人を釣ることにも躊躇いがなく

外モードに惹かれて中の人になってしまった人が

苦労することが往々にしてある

 

ASDでありつつ賢い人は

様々な対人パターン情報を記憶することにより

外モードでは模範的な行動を取れるので

それに騙される人もいるだろうし

端正な顔立ちや動じない姿勢

確固たる自信がある様子などに

惹かれる人もいるだろうしな

どことなく人離れしたところや孤独感に

心を奪われる人もいるだろう

 

ASDさんが悪いわけではないが

ASDさんに関わると傷つく人が出てしまうことは確かだからな

 

もちろんADHDに関わっても面倒に巻き込まれるから

ASDが悪くてADHDがましということではない