時々怨み言を言いますが

今倒れている義理の父に

本当にネチネチとまさにサイコパス的に

虐められ続けていた時期がありました

それは当時ほんとに苦しんでいた

子どもたちの状況に対しての

無理解と罵倒と

それが全て私のせいだ、という説教

毎日毎日電話やスカイプで

何十分も叱責するというスタイルでした

最高学府を出た所謂ギフテッドの義父は

血筋もよく社会的地位も高く

がさつな私がそもそも気にくわなかったのでしょうが

口答えできないように追い込んで

噛んで含めるように虐め続けたのでした

取り憑かれたようにすべての事象から

私がどれだけだめなのかの根拠を生み出しました

私の反論は耳に入らないか

だからだめなんだというさらなる説教に

つながるのでした


その時夫は海外赴任

子どもたちはひきこもり


義父の相手をするのが私しかいなかったため 

我慢するしかありませんでした

そして心がぶち壊れて

壊れた部分はもう戻りません


その後夫が帰国してからは

接触を絶っていたのですが

今回義父が倒れたことでいやおうなく接点ができ

今日は夫に誘われて見舞いに行ってきました


義父はせん妄がひどくて

昨晩も深夜に徘徊してしまったので

今日は車椅子に縛られていました


義父からすれば理不尽な拘束なので

怒りとも絶望ともとれるような表情

いわれのない罰を受けている

傷ついた心、困惑が感じられました


はたから見れば気の毒な状況でしょう

一緒にいった夫は

いたたまれない様子でしたが

私は全く同情心が湧きませんでした

今更やっと罰を受けたか、

という気持ちしかありませんでした


自分を客観的に見られず

怒りと困惑の言葉を吐いている

義父の顔と声は

あの時の義父を思い出させました

私の自由を奪って

何を訴えても誰にも届かない場所に 

私を追いやった義父


今やお前の言う事を誰も聞き入れない

わかったかその辛さ

そう思いました


夫は見舞いに同行した私が 

義父へのわだかまりを解消したのではと

思っているようですが

そんなわけあるか


ただこの憎しみは誰にもわかってもらえない

その時に吐かれた言葉は

子どもたちも傷つける言葉なので

誰にも言えないものですから

この場所で披露しておしまいにします


長々と失礼しました