「推し活」という言葉ができてそこそこ経つけど

何かを好きであるということと

「推し活」の違いはなんなんだろう

 

「推し活」は「推しごと」とも言われる通り

・何か、誰かを好きであることのアピール、布教

・情報収集

・ファン同士の交流

・金銭的なものを含む応援

こういったことを「活動」「仕事」のような形て

行うことなのかな


活動や仕事には、

集団、規則、手順、目標のようなものが

自然と発生する

というか

そういうものがあるのが

「活動」「仕事」であるから

それにあてはめて動くことを

「推し活」というのかな

 

誰か何かを好きになり

それを自分なりに楽しむことが

推し活の最初の定義だったかもしれないが

徐々に、集団的な活動や仕事的な

意味を持つようになっていったんだろうな

孤独に耐えられず

なんらかの集団の一員でいたいとおもう

現代日本人にとって

「推し活」というのは

共通した目的や価値観を持つグループに

入ることができ

勤勉に仕事を行える

ありがたいシステムだから

ここまで広がったのかもしれないし

「推し活」は人生にとって

よいものと言われるのかも

 

一方でその集団にとって

「推しは尊い」ものであり

「推しへの忠誠」「推しからの反応」

によって階級が発生するし

当然同じものを愛する一夫多妻

あるいは一妻多夫状態に近いから

まず忠誠や反応の度合いをわかりやすく表す

金銭支援を競い合ったり合わせたり

ということが発生する

 

いわゆるホストやホステス、コンカフェなど

もともと職業的な疑似恋愛の場所であり

尊いもなにもなかったのに

「推し活」と名前を変えることで

お金をむしられる行為が「尊い」と

都合よく改変されている

 

また「推しが悲しむ」「推しが喜ぶ」

とかいう謎の大義名分で

謎のルールが設けられて

それに反した人を攻撃排他することで

快感を得たり団結したりということもあるだろう

「尊い」という名のもとに

醜い行為が発生しているわけだ

 

推しとか言っても

所詮幻影であり自己満足のものなんだから

自分の好きに愛せばいいし

堪能すればいいと思う


実際に魅力があったり

人柄や努力が素晴らしいから

「尊い」んであって

自分が推したからには

「尊い」はずだ、と思い込んで

現実を見なかったり

他人の推し活を気にしたり

同調する仲間を囲ったりすること

ないんじゃないかと思うけど

どうなんですかね