前ブログからの続く愚痴ですよ

長文失礼!!

 

その後私は外資系の企業に就職した

英語経験がない私は

帰国子女が当たり前の職場がとても厳しかった

そこでもなんとか必死にやってそれなりの評価を得ていたが

出産と同時に

夫の実家の近くの家を相談もなく買うことが決まった

そこからでは勤務先に通うことができない

 

夫も善良だが私の内面に関心のない人

持ち家購入に関しては

「今買わないともう買えない物件」

「将来の育児のために最適の立地」と決め打ちしていた
合理的に考えればそうだったが
何の相談もなかったことには驚いた

しかしどうしようもなかった

 

「こんなかわいい子を置いて働きに行くの」と

義両親に言われ退職

その後じわじわと別の仕事を始めていったが

基本在宅中心、非正規雇用を続けるしかなかった
(これは当時の状況として

発達障害グレーゾーンの子供を育てるには

フルタイム勤務は厳しかったという理由もあるので

すべてが夫や義実家の責任ではない)

 

そして子供たちに問題が起きた

当然のように子供たちは私を毒親認定して罵った

舅には

「育て方が悪かったから、働いたからこうなった」

と毎日のように責められ

母に相談しようとすると

「いやなことは聞きたくないから話さないで」

と言われた

父は意味のない説教をするだけ

夫は海外赴任中であり

相談しても

「ママはこの家の太陽みたいな存在だから

これからもそうあってほしい」

という都合のいい返事をしてきた

これは実母にも子供の頃からずっと言われていたことで

だったら太陽は誰から光をもらえばいいんだよと

思っていたところに

夫からも言われて

結局誰も私を助ける気はないんだと思った

 

批判や説教をしてくる人ばかりなので

いつの間にか課題を誰にも言わず

自身で解決する癖がついた
あのころの地獄のような年月については

昔からブログを読んで頂いている方々の記憶には

残っているのではないかなあ

 

発達障害というものを始めて知り

このブログだけに助けられて試行錯誤の日々

相変わらず外野からは批判だらけだったが

人生が破綻し絶望していた子供たちを

何とか生き永らえさせ

将来何とかなりそうなところまで持ってきた
(まだ確証はないが)

 

そして気が付けば

母たちは死に

父たちも理解力を持たない老人になった

夫も年老いた

 

振り返ると私は限られた能力を絞り出して

最大限努力してなんとか結果を出してきたはずだが

常に「だめだ」「間違っている」

「もっとできるはず」「なぜできない」と言われ続けてきた

 

親も子供も夫も外部に対しては

「良い娘です」「良い妻です」「良い母です」

と私を褒める

しかし私の感情や葛藤に寄り添うことはない

 

こういうことを書くと

「ちゃんとわかるように伝えればよい」

と言う人がいる

勿論伝える努力はした

しかし

見えないものへの感度が低かったり

他者を「自分の人生への影響」という面でしか

理解できない人には通じないのだ

 

また

「私はそんなに他人に期待しないですよ

あなたは過剰に期待し過ぎでは?

あなた自身があなたを認めてあげれば解決」

と言う人もいる

それは重々承知している

結局他者が求める結果を私が残せば

彼らは満足するし

そうでなければ不満を言う

それだけのこと

 

しかし自分の勝手に湧き上がる

虚無の感情はどうしょうもない

 

まだ続きます