GWに実家の父を我が家に呼んだので

大変精神が疲弊しております

なのでものすごく長文の愚痴を書きます

シリーズになる予定

 

私はなにかというと「どうせ私は間違っているんでしょ」と

ネガティブで卑屈な感情を持ってしまう

それを表面に表してはいけないと知っているので

周囲の人は私がそんな思いを抱いているとは気づかず

どっちかというと

「明るくて前向きでどんな状況でも大丈夫そう」

と思われるけれど

心の中はドロドロしている(笑)

 

この自己肯定感の低さはまず生育環境に生まれたんだろう

まず私自身の問題として

3月生まれの発達障害持ちだったため

すでに幼稚園にはクラスメイトや先生から

馬鹿扱いされていた

そしてそれを訴えても

結局したたかな人には敵わないと知ったから

自分の弱点を隠さなければ生きられないと学んだ

 

父もASDでADHD暴君でやりたい放題だった

肉体的なDVはなかったけれど

言葉や金銭によるDVはあった

私にはよい成績良い学校良い会社にはいること

良い結婚良い孫を自分に与え

自分の要望を応える存在であることだけを望んでおり

私の内面には一切興味がなかった

 

母はそういう父に痛めつけられカサンドラになっていた

それが原因の一つだろうが

私の内面に興味がなかった

母自身が

「自分はひどい環境に耐えるかわいそうな人

娘に助けてもらわなければ死んでしまう」と

思っており

その役割を当然のように私に求めた

 

近所の同い年の子が4歳でピアノを習いだしたので

私も(深く考えず)習いたいと言ったら

そこから地獄が始まった

兄関係の知り合いの癇の強い先生に習ったが

はっきりいって私には音楽の才能がなかった

そもそも発達障害的に記憶力が壊滅的で

暗譜ができなかったのだ

本当に苦しかった

「努力すればできるはず」「音楽の世界に入れば」

「あなたには感性がない」

厳しく叱責された

私も自分を責めたが

今思えばこれは能力の欠如なのでどうしようもなかったのだ

 

母には全く音楽素養がなく

「将来手に職をつけるためピアノの先生を目指せ」

という一点で

私をやめさせるという選択肢はなかった

そして近所の家庭への対抗意識もあった

(その人も精神的に異常な人で

私が大人になるころに自殺してしまったが

絶えずマウンティングをしてくる人だった)

 

結局苦しみながらも高校2年まで続けたが

私を音大に入れるつもりの母は

一方でそれがどれだけ費用と手間がかかることか

わかっていなかった

父は高収入だったが家にお金をいれることを嫌がり

家庭内の収支はぎりぎりだった

教育にかかる費用はギリ出してもらえたが

私はそれ以外の自分の欲しいものを言い出すこともできず

何年も同じ服を着ている状態

 

「これだけ費用が掛かるけど大丈夫?

やればそこそこの音大には入れるけど」と先生に言われ

私は「やめます」と自分で決断した

 

その時の母の言葉

「今までお金をたくさんかけてきたのに

全部無駄になっちゃった」

 

ここまで頑張って偉かったね、の言葉はなかった

父からも何か言葉をもらった記憶はない

というか父は父で

私を(なぜか)東大に入れるという野望を持っていた

 

その後大学受験の際には

「絶対に浪人は許さない。受からなかったら働く覚悟で」

と母に言われた

音大に行けなかった自分を責めていた私は

短期間だが自分なりに勉強した

しかしどうしても記憶力の問題で理系の点がとれない

私は記号暗号系のものを記憶する力がない

音符と同じように数字や公式が頭に入らない

そのため国立を受けることができず

そこでも両親から責められた

「やればできるはずなのになぜあきらめる」

 

結局私学では最難関の大学に入ったが

父は結局「東大ではない」ことを今でも馬鹿にする
 

②に続きます