今度は自分自身について考えていこうと思います

 

私は去年から今年にかけて子供全員が家から出ていくという経験をしました

それは寂しいことではありますが

多分ほかの親御さんが感じるような寂しさはなく

親失格と言われるかもしれないけど心の半分では「ほっとした」のです

それは多分自分の言動が子供にとってどう受け取られるかわからず

いつもビクビクしていた期間が長かったからかなと思います

 

家では何もしないどころかどんどん家事を増やす子供たちがいなくなり

一気に私のやることはなくなりました

もちろん実家や夫の世話はありますが

しょせん大人相手ですからこちらの都合を受け入れてもらえる

 

もともと家事が好きな甲斐甲斐しいタイプではないので

ダラダラと過ごす時間が増えただけとも言えます

特にコロナによって私自身に仕事が激減したり

大して人数もいない友達と会うこともできなくなったのでなおさらです

 

こうなってくると「私の存在価値はあるのか」的な考えになります

自由を手に入れたけどだからってどうすることもない

 

私がごく普通の50代と同じ感覚だったら

ドラマやバラエティを見たり近所のお母さんと立ち話したり

ラインでマメに交流したり

スクール通ったりして似た仲間を得られるんだろうけど

そういう人たちの話には何とか合わせられる程度で

深く楽しく共感するほどにはならないんです

 

同世代の人の集団に入ると

何とか合わせられるけれど無理している自分を感じます

意識しないとすぐ別の感覚や価値観が飛び出してくるので

「大丈夫か」「これでいいのか」いつも考えて話しています

 

どの集団に入っても孤独を感じる・・・これはどういうことなのか

仕事の仲間の中では感じないんですけど

それは長年の付き合いだからでしょうか

 

発達障害を自分や配偶者が持っていたり

そういう子供を育てて苦労した人と

そうでない人の経験の差や意識の差というのは

ちょっとやそっと話したぐらいではうまらなくて

それをじっくりわかってくれるような関係でないと心が休まらないんだと思います

 

私自身が発達障害を持っていて少数派の感覚を持っているけれど

少数派とわかっているから多数派のふりをしているだけで

はじき出されたり 自分から耐えられずに飛び出したくなると

「私の存在価値とはなにか」「私を認めてもらえる場所はないのか」と思います

 

こんな青臭いことをいい年をしたおばさんが言っても絵にならないし

「自分自身を好きになって」とか言われても

「好きになっても何も変わりませんけど」としか思えない

というわけでやはりこの孤独と共に人生生きる覚悟で生きないといけないんでしょうね