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大学1年の時に、三河湾の周遊で乗った金鯱フェリーの話があって、Facebookに投稿したんだけど、
韓国で崔吉城先生の科研調査に同行したとき、羅老島で見たのよね。
当時の記事を見ながら、懐かしくて。
当時、慶南大学校においでだった張先生から、刺身をにんにく味噌で食べるのを教えていただいてから、時々試しているのを思い出した。美味しかったの。
取り止めもないことだけど、
鬼籍に入られた方、崔先生もそうだけど、あの時が懐かしく思い出されてならない。
あの頃から何をしてきたのかと思う私。
もっと頑張らな いとなあ、というか、
研究にもっと専心したいなあと思う。
新年度が始まりました。
今回は、はるどんが就職したこともあって、ちょっと気分が違います。
妻がいなくなって2回目の春です。
辛気臭い話ですが、
職階が教授になった時、
家を中古とはいえ購入したとき、
ぷくが大学入試をクリアして大学生になった時、
妻が亡くなった時、
はるどんが就職したとき、
このタイミングがいつも、自分が主人公となる時代は終わったんだな、と思うようになりました。次の世代の活躍を見る立場になったような。
多分、学生さんへの接し方も変わったと思います。
そんな今年の春で す。
今年はちょっとゆっくりできたような気がする。「気がする」というのは、仕事がたまりにたまっているんだけど、まだ先延ばしできるか(笑)と自分でコントロールできる仕事が残っているだけだからかな。何か忘れていたら大変なんだけども。
文科省の拠点事業の下半期のこと
来年度の時間割
原稿 その1
原稿 その2
原稿 その3 のための資料入力
初稿 1
書類作成 その1
あたりが当面の仕事。
がんばろ。
去年の今頃、コロナに罹患し突っ伏していた。
お母ちゃんの容体は悪くなる一方だったけど、最後に普通に話ができたのは、コロナ発症前だった。
車のリコール点検や、お母ちゃんに言われていた葬儀場の見積もりの相談など、ヘロヘロになりながらやってた。
コロナ明け、ようやくお母ちゃんに会いに行ったとき、もうまともに話ができなかった。
個室に移してもらって、はるどんやぷくと見守ってたんだよな。
あなたがいなくなってもうすぐ1年だ。
自分の健康管理の適当さに後悔してもしようがない。社会がコロナで閉鎖的になっていた時は家族みんな乗り切ったのにな。
お母ちゃん自身は看護師さんに、自分の見舞いや心配で私の体に疲れがたまったからじゃないか、と言ってたというし、
ぷくは、東京からの帰省で何かを持ち帰ったのではないかと心配するし、
はるどんも、バイト先でもらってきたのではないかと心配するし、
家族みんなに迷惑をかけたのが去年のこの時期。
コロナにならなかったら、最後にもっと話ができたのにな。
最後の最後、何を考えてた?
そばにいられたよ。僕も、娘も、息子も。


今日は、はるどんのアーティストトークとやらに行ってきた。
しっかり話せてたなあ。
で、家で帰りを待っていたら、珍しく、荷物が思いから迎えに来てくれという連絡。
最寄りの地下鉄駅まで出かけた。
このトロフィーか。ガラス製だもんな、重いはずだわ。
とりあえず、こたつの上に並べて、お母ちゃんにも見てもらう。
おめでとう。
お母ちゃんの喜んでる顔が目に浮かぶよ。
楽しいことをいっぱい作ってくれてるよな。


























