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今年はちょっとゆっくりできたような気がする。「気がする」というのは、仕事がたまりにたまっているんだけど、まだ先延ばしできるか(笑)と自分でコントロールできる仕事が残っているだけだからかな。何か忘れていたら大変なんだけども。
文科省の拠点事業の下半期のこと
来年度の時間割
原稿 その1
原稿 その2
原稿 その3 のための資料入力
初稿 1
書類作成 その1
あたりが当面の仕事。
がんばろ。
去年の今頃、コロナに罹患し突っ伏していた。
お母ちゃんの容体は悪くなる一方だったけど、最後に普通に話ができたのは、コロナ発症前だった。
車のリコール点検や、お母ちゃんに言われていた葬儀場の見積もりの相談など、ヘロヘロになりながらやってた。
コロナ明け、ようやくお母ちゃんに会いに行ったとき、もうまともに話ができなかった。
個室に移してもらって、はるどんやぷくと見守ってたんだよな。
あなたがいなくなってもうすぐ1年だ。
自分の健康管理の適当さに後悔してもしようがない。社会がコロナで閉鎖的になっていた時は家族みんな乗り切ったのにな。
お母ちゃん自身は看護師さんに、自分の見舞いや心配で私の体に疲れがたまったからじゃないか、と言ってたというし、
ぷくは、東京からの帰省で何かを持ち帰ったのではないかと心配するし、
はるどんも、バイト先でもらってきたのではないかと心配するし、
家族みんなに迷惑をかけたのが去年のこの時期。
コロナにならなかったら、最後にもっと話ができたのにな。
最後の最後、何を考えてた?
そばにいられたよ。僕も、娘も、息子も。


今日は、はるどんのアーティストトークとやらに行ってきた。
しっかり話せてたなあ。
で、家で帰りを待っていたら、珍しく、荷物が思いから迎えに来てくれという連絡。
最寄りの地下鉄駅まで出かけた。
このトロフィーか。ガラス製だもんな、重いはずだわ。
とりあえず、こたつの上に並べて、お母ちゃんにも見てもらう。
おめでとう。
お母ちゃんの喜んでる顔が目に浮かぶよ。
楽しいことをいっぱい作ってくれてるよな。
妻が亡くなり、週末、一緒に過ごすこともなくなったので、まあ、家で休んで寝てりゃいいんだけど、仕事も溜まってしまっているから、大学でゼミ生さん相手に
原稿を書く会
というものを実施。
卒論指導の時間じゃなくて、集まってただ入力作業をするだけ。
それでも、昨日は3人も参加者が。
参加特典としては、その日に書いた原稿の添削をその日のうちに返す、ということかな。
こんなんな、書いてみんとどうしようもないもんな。
書かないで、相談だけ、というのは受け付けてないの。
まあ、それなりにまとめていってくださいな。
原稿を書く会
というものを実施。
卒論指導の時間じゃなくて、集まってただ入力作業をするだけ。
それでも、昨日は3人も参加者が。
参加特典としては、その日に書いた原稿の添削をその日のうちに返す、ということかな。
こんなんな、書いてみんとどうしようもないもんな。
書かないで、相談だけ、というのは受け付けてないの。
まあ、それなりにまとめていってくださいな。
妻が8月25日に亡くなり、葬儀や納骨を終えて、10月7日を迎えました。
10月7日は、妻との思い出の日で、日本と韓国とに別れて暮らしていた時期には、毎月7日だけは、電話で少し長めの話をしていました。
結婚してからも、毎月7の日、毎年10月7日は、妻とその日であることを話題にしていたりしていました。
が、ここ数年、妻の入退院が繰り返される中、あわただしくて、というか、それに気が回らずに過ごしてしまいました。今、思えば、もしかしたら、話題にしなくなったことを寂しく思っていたのかもしれません。
日常を維持したい、態度も変えずに日常の接し方がしたい、子どもたちにもそう伝え、私も、妻も、日常を替えずに普段通り過ごした日々でした。
そんなこんなで、妻がいなくなって初めての10月7日。
妻が亡くなって葬儀を終えてから、日記をつけ始めました。いつか、妻に再び会うときに、この日記を一緒に見ながら、こんなことがあった、あんなことがあった、子どもたちがこんなことをした、あんなことを話した、とたくさん伝えたいから、その備忘録を兼ねて、です。
10月6日の日記に、「明日は10月7日だから、夢でも会えたらいいな」と書きました。
11時ごろ休んだんですが、妻が夢に出てきてくれました。もうどんな場面だったかは覚えていないんですが、妻のほっぺたをつまんで引っ張っていたのを覚えています。
目が覚めると、2時前でした。日付が変わってすぐに会いに来てくれたのかもしれません。
その後、うれしさと懐かしさと寂しさとが混ざった感じで3時ごろまで寝られなかったんですが、明け方、また妻に夢の中で会うことができました。
中古の、マンションの屋上、ベランダというかテラスだったかと思います。洗濯物を干す、斜めに引き出して穴に物干しざおを通すものを、妻がベランダの壁から引き出して、「さびてるんよ」と。
マンションの屋上からは街が見え、広い通りが見えました。
もう一つの物干しを僕が引き出して、油をささないとね、と話しました。
あの家は、妻が今暮しているところかもしれません。屋上だけ見ると広い家でした。
これまで、夢で見ていた街、不思議なことに、いつも同じ町だったのですが、今回は全く違う町でした。明るくて、輝いている印象。以前まで見ていた街は夜だったことが多かったんですよ。
妻が私の夢の中も照らしてくれている、そんな思いで、10月7日に2回も夢で逢ってくれたことを本当にうれしく思いました。
何ができたわけでもないんですが、24年とちょっとの結婚生活、とても幸せでした。
妻が自分の幸せも全部私に譲ってくれたんじゃないかというほど、幸せでした。
ありがとう。
10月7日は、妻との思い出の日で、日本と韓国とに別れて暮らしていた時期には、毎月7日だけは、電話で少し長めの話をしていました。
結婚してからも、毎月7の日、毎年10月7日は、妻とその日であることを話題にしていたりしていました。
が、ここ数年、妻の入退院が繰り返される中、あわただしくて、というか、それに気が回らずに過ごしてしまいました。今、思えば、もしかしたら、話題にしなくなったことを寂しく思っていたのかもしれません。
日常を維持したい、態度も変えずに日常の接し方がしたい、子どもたちにもそう伝え、私も、妻も、日常を替えずに普段通り過ごした日々でした。
そんなこんなで、妻がいなくなって初めての10月7日。
妻が亡くなって葬儀を終えてから、日記をつけ始めました。いつか、妻に再び会うときに、この日記を一緒に見ながら、こんなことがあった、あんなことがあった、子どもたちがこんなことをした、あんなことを話した、とたくさん伝えたいから、その備忘録を兼ねて、です。
10月6日の日記に、「明日は10月7日だから、夢でも会えたらいいな」と書きました。
11時ごろ休んだんですが、妻が夢に出てきてくれました。もうどんな場面だったかは覚えていないんですが、妻のほっぺたをつまんで引っ張っていたのを覚えています。
目が覚めると、2時前でした。日付が変わってすぐに会いに来てくれたのかもしれません。
その後、うれしさと懐かしさと寂しさとが混ざった感じで3時ごろまで寝られなかったんですが、明け方、また妻に夢の中で会うことができました。
中古の、マンションの屋上、ベランダというかテラスだったかと思います。洗濯物を干す、斜めに引き出して穴に物干しざおを通すものを、妻がベランダの壁から引き出して、「さびてるんよ」と。
マンションの屋上からは街が見え、広い通りが見えました。
もう一つの物干しを僕が引き出して、油をささないとね、と話しました。
あの家は、妻が今暮しているところかもしれません。屋上だけ見ると広い家でした。
これまで、夢で見ていた街、不思議なことに、いつも同じ町だったのですが、今回は全く違う町でした。明るくて、輝いている印象。以前まで見ていた街は夜だったことが多かったんですよ。
妻が私の夢の中も照らしてくれている、そんな思いで、10月7日に2回も夢で逢ってくれたことを本当にうれしく思いました。
何ができたわけでもないんですが、24年とちょっとの結婚生活、とても幸せでした。
妻が自分の幸せも全部私に譲ってくれたんじゃないかというほど、幸せでした。
ありがとう。
今日はオープンキャンパスの初日。
3回に増えた学科説明会、終わってから、1人の方が声をかけてくださった。
ブログを見てますってことと、Youtube見てますってことと。
もうな、((((;゚Д゚)))))))
うちのゼミ生さんだって見てないと思うなあ。
ありがたいことでありながらも、どちらもしばらく放置しているな、と思ったり。
いろいろ下準備で見て下さったんだろうな。
4月に会えるといいなと思いつつ。
おいでいただいてありがとうございました。
大学の先生といっても、普通のおっちゃんなんだけどな。必要以上に緊張することはない
3回に増えた学科説明会、終わってから、1人の方が声をかけてくださった。
ブログを見てますってことと、Youtube見てますってことと。
もうな、((((;゚Д゚)))))))
うちのゼミ生さんだって見てないと思うなあ。
ありがたいことでありながらも、どちらもしばらく放置しているな、と思ったり。
いろいろ下準備で見て下さったんだろうな。
4月に会えるといいなと思いつつ。
おいでいただいてありがとうございました。
大学の先生といっても、普通のおっちゃんなんだけどな。必要以上に緊張することはない

























