なぜ、人々はずっと争い殺し合い続けているのだろう
なぜ、自分の幸せばかりを考えて、自分以外のものを傷つけるのだろう
なぜ、環境を壊し続けるのだろう
なぜ、嫌な思いが湧いてくるのだろう
なぜ、ひがんだりねたんだりするのだろう
なぜ、寂しくなったり悲しくなったりするんだろう
そもそも、なぜガテイブな感情を作ったのだろう
なぜ、善と悪があるのだろう
はじめから、善だけの、幸せだけの世界をつくれば良かったんじゃないのだろうか?
そう思ったことはありませんか?
私たちはこんなことをよく考えます
そしていつもたどり着く結論は、
悪を作ってみなければ善というものを認識できないということ
この仕組みは、善も悪もない大本の神が作った仕組み
元はただひとつの神が
自分一人では自分を認識できないので
自分というものを認識するために
ひとつを二つに分割し、さらにふたつに分割し・・・と、無限に分割してこの世界をつくられた
この世界は元の世界のひずみ、間違いから生まれ、陰陽に分離し
陰陽がそろうことで次々と命が生み出されていった
そして時間にも陰陽(光と闇、拡大と収縮、分離と統合・・・)が出来た
それからこの世界を認識するための役割として神の分け御魂である人間を作った
人間が活動できる場としての命の星「地球」をつくるのはなかなか大変な仕事だった
広大な宇宙空間にたくさんの星を作り、星の集合体がいくつも生まれ、
その中に宇宙の仕組みのひな形として、生命ネットワークを表現する星「地球」を作るのに
長いトキをかけた
特に、地球という体を作るのには長いトキが必要だった
約39億年かかったという
地球が出来ると、生命を生み出し進化させていった
人間までたどり着くのには6億年かかった
6億年の内に6回もの生命の絶滅があったという
絶滅するたびに、生命は進化していった
進化の最終到達点は人類
他の生命体と違って、自然の法則に逆らうことも出来る自由意志を持つ存在を作った
彼等は、探求心があり、どんどん自然を探求していった
エゴというものがあるために、エゴを満たす為のいろんな行動をとっていった
その結果として、今現在の地球の姿がある
今や人類は地球の癌細胞化して、母胎である地球そのものを破壊へと追いやっている
けれども人間ってそもそもそういう存在なのだろうか?
天盤の巡りにより、今までは分離と闘争の時代でした
つまり私たちは分離感を味わい、自分以外のものと戦うという流れの中にいました
個人的にも、世界的にも、そのような思考になる流れの中にいたのでした
このことを神のマインドコントロールと呼んでも良いと思う
そして、2012年12月21日に闇のピークである「銀河の冬至」がありました
太陽が一螺旋を描くのには約26000年かかるといわれています
つまり約2万6千年ぶりに「銀河の冬至」がきたことになります
分離と闘争の暗い時代は終わりを告げて、闇のピークを境にして
これからは、みんながつながる光の時代が始まったといわれています
けれども、今しばらくは暗くて見えなかった心や社会の実態を
個人的にも人類全体でも見ていくことになるのです
人は、往々にして心の闇を見たくないもの、自分を良いものだと思いたいものだけれど
ここでは一踏ん張り、全てを見直さなければ先へ進めない
自分に執着せずに、淡々と見つめて認めて、超えてゆく避けられないミチが
目の前に提示されている
トキのサイクルが転換し、光の時代になるということは
今までの分離と闘争のマインドコントロールから解かれていく時代が始まったとも言えるし
統合と調和というマインドコントロールが始まるという言い方も出来ると思うのです
え、神様のマインドコントロール?
と思われますか?
このことは物事を小さく区切っていたら見えてこないんです
宇宙視点という、大きな視野でなければ観えてこないこと
天は私たちに何を投げかけているのか
私たちが肉の身を持って地上を生きる担当として
天の思いを、地上に形として現すこと
そのプロセスで得た気付きや学びが天にフィードバックされ
宇宙そのものが人類の学びによって進化しているということを
木の花では時々みんなで確認し合います
宇宙を解明すればするほど、私たちはワンネスであるという事実にぶつかるのです
一つのものを無限に分割し個性が表現できるようにした多様な世界なのだから、
一人一人 ひとつひとつが偏っているのが当たり前
一人一人が偏った「がらくた」であったとしても
みんながつながったときに、みんなで大いなるものを表現できるんだよ
それが天からのメッセージであり
それを表現するために、長い長いトキをかけて
いろんな出来事を通して、私たちは長い長い学びの旅をしている
つながらなければことをなせないように、偏ったものばかりを作ったとも言える
マインドコントロールをかけて
天は私たちの様子を見て笑っているのではないかと思うことがあります
おお、全ては順調順調 と
一つの身体として神経がつながるように
ここつながっていないよ、という現象が起こることも 順調順調
あ、教えくれてありがとう と新たな渦に乗っかって行けば良いのだ
コレで良いのだ
あなたはこのマインドコントロールから抜けられますか?
この「天の心の側に立つこと」をカタカムナでは、「客観背後」といいます
私たちは常に「客観背後」に支えられている
育まれている
そこには愛しかない
闇も光も同等にこの愛から生まれたのだ
そして人生は、起こる出来事の中で、自己コントロールの術を身につけることでもあり
これをカタカムナでは「ミチ」と呼び
中国では「道」という漢字をあてたと言います
「満つれば欠ける世の習い」
あるいは
「陰極まって陽となる」
という格言のように
全ての物事は、限りなく拡大する(ヒタリ回りのエネルギー)ということはなく
いずれ収縮して(ミキリ回りのエネルギー)波を描き、螺旋を描いて進化してゆくもの
経済もいつまでもに右肩上がりではいけないのです
この宇宙の理(ことわり)にならい、
肥大してゆく自我の思いをコントロールすることが「ミチ」
自我の思いを「宇宙の理」
別の言い方をするならば「宇宙の心」にあわせていくこと
それがマインドコントロールの神髄なのだと思います