わたしは10年近く、半身麻痺、高次脳機能障害の夫を介護していますが、それは、私の実母のサポートがあって成り立っていました。


当初からこの高次脳機能障害という後遺症が想像以上に大変なことはわかっていたので、別の道を選択したいと相談したものの、実の両親は私の無力さを知っているからか、主人を支え、子どもをこのまま育てるために、自分たちがサポートすると言いました。


義両親は関わってくることはなく、文句だけ私の実家に電話をしてくる‥(誰が働いて生活させているかわかってるのかと‥)

主人が勤務を続けられているのも、身の回りのこと、リハビリや手続き、PCが壊れて対応しているのも、私たちが支えているから成り立っていることは理解されず、アルコールに依存するのも、

すぐ怒るのも、ヨレヨレのシャツを着るのも、息子は正常なのにと私の至らなさだと言うのです。


義両親からの文句をわたしの両親が受け止め、

遠方から何度も何度も父は母を私のところに手伝いに出してくれる。。


8年、9年と自分たちの人生を削って、

上京しては、高次脳の主人の付き添いや掃除洗濯を手伝ってくれ、私が仕事から疲れて帰っても

孫と過ごしてお風呂を沸かしてくれていた母。


そんな母も、ここ数年は、道に迷ったり、財布を無くしたり、運転免許の更新もできなかったことに落ち込み、空港も公共の交通機関も怖くて外に出られないというほどに症状が悪化していました。


元気に海外までもフットワーク軽く動き回っていたはずの母が、もう、長く生きていたくないと口にするようになり、私は一旦仕事が落ち着いたので、これから、今度は私が寄り添って彼女の老後を一緒に過ごすためにはどうしたらいいか考えているところでした。


母は私にとっては唯一何でも話せる、本当に自分の素を出せる存在だっただけに、急逝の連絡を受けたときのショックは計り知れませんでした。


義両親より1番元気だった実母が先に逝くなんて、許せない‥悔しい。


おばあちゃん子だった息子は、

誰にも見られない奥の部屋で、おばあちゃんが最後に倒れた時に着ていたコートを着て号泣していたそうです。


新盆、いつも忙しくて、自分のことばかり、イライラしては素直に優しく話せてなくてごめんね、、お母さん。


そして、いつか、頑張ってるよ、母のぶんも

生きて、幸せだよと報告したいです。