主人が脳出血で倒れてから6年経って、
高次脳機能障害の緩やかな回復が垣間見えてもアルコールで台無しの牛歩生活の日々。

わたしは毎日距離を置くことで、
自分を保って生活しています。

息子は主人とわたしの間で
なかなかツライ立場(ごめん)

ほぼ毎日の
暴言と苛立ちは
アルコール依存でしか
受け入れられない心境なのかと思えば
それもまた、障害の受容の途中での
必要な反応なのかもしれないと思ったり。

でも、現実問題わたしの方は
アルコールの抜けきらない状態の人に
成り立たない会話で叫ばれ
グッと歯を食いしばり流すしかないわけで。

限界だ‥と思うときは
距離と時間を利用して
「生活すること」を続けるために
ごまかしているのです。

そんな、「費やす」ような
わたしの人生の一部。

自分が死ぬまでの

生きている時間を

何のために、
この選択をしているのか
わからなくなることもあります。

どう、向き合っていくことが、
正解なのかわからないけれど、
今日も彼の身の回りの世話や
家事はするし、
介護やリハビリの対応もする。

もっと、寄り添って、
優しく接することができる日が
くるのかわからないけど、

とりあえず
孤独が不安で
普通の幸せを
求めてみたくなるのです。