脳出血で、倒れたときの主人のスーツ。
クリーニングしたまま、
クローゼットにかけてあった。
3年。
何となくだけど、触れてなかった。
何げなく、胸ポケットに入っていた、
社員証のケースを手に取った。
濡れて乾いて、ヨボヨボ。
診察券や、よくわからない会員カードの間に、私が唯一書いたことがある、
メモ紙の手紙が挟まっていた。
「今日は◯◯くんの熱意が
伝わるといいね。頑張ってね!」
彼が大抜擢で海外赴任が決まり、
私もついていくと決めていた
頃の手紙だ。
でも、この手紙は、
彼がどうしても、海外赴任を断って、
営業で実力を試していきたいと、
打ち明けられた朝に書いたものだった。
働くのは主人で、やりたいこと、頑張りたいことがあるのは幸せなことだし、
若いからこそ、その仕事に対するスピード感やフットワークみたいな感覚を止めたくないって思っていたんだと思う。
会社の上司には、本気なのか?と
二度、三度と確認されて、
でも、断った。
そんなことも、あったっけ。
私は何のために仕事やめちゃったんだっけ。。。
行ってから、考えても良かったんじゃないか、、、
なんか、アホ選択だった気もしてたから、
何となく、たまに、海外赴任生活してみたかったなぁ!って愚痴ることもあったような。
でも、主人は、そんな愚痴を諸共せず、
ぐんぐん、ぐんぐん、出世していった。
これを、主人は10年間、胸ポケットに
入れていたのか、、、
入れていたことすら忘れていただけなのかもしれない。
きっとそう。
でも、なんだか涙が止まらない。
自分が、離婚してやる!とか、
自分の人生が犠牲になる!とか、
もう一度他の人生やり直したいとか、
心の中では叫んでいたから、
尚更自分が情け無くなってきたんだ。
彼は彼で、自分の信念を突き通して、
働き続けていたんだ。
だから、今がある。
会社の人たちは、
彼の貢献した実績に
敬意をはらってくれている。
今はそれにすがるしかない。
お情けなのかもしれない。
それも長くは続かないのもわかっている。
とりあえず、、、
とはいえ、、、
ちょっと待った、、、
こんなメモ紙くらいで、
義理の両親の心無い言葉や、
高次脳機能障害の介護をずっと
続けてみせるなんて断言はできない。
でも、もう少しがんばってやるか、、、笑
(ファブリーズのCM風)
身体の弱い息子も育てていかなきゃ。
いつか、彼が復活して、
高次脳機能障害を払拭するくらい
また貢献できるように、
わたしは彼を支えていく、、
支えてみる、、、予定笑
彼の人生の途中に、
そんなこともあったっけって
言えるように。