主人が倒れて数ヶ月後、
私が突発性難聴になった。
48時間以内に投薬開始し、入院しなければいけないかもしれない。
土曜日の夜に救急相談ダイヤルに、
聞こえる方の耳で
何とか病院を探してもらうが、、、
対応耳鼻科が見つからない。

耳が聞こえなくなるかもしれない恐怖。

休日診療の耳鼻科を必死で探す。

そんな時、義父から電話がきて
上京してくるという。
私が入院するかもしれないので、
それならば、滞在を伸ばしてもらえないか頼んだ。
パパもママも入院してしまうなんて!と
さすがに10歳の息子も泣き、
パパが倒れてからも必死に平静を装ってくれている小さな心をこれ以上苦しめる訳にもいかない。
おじいちゃんおばあちゃんとなら、ママが入院することになっても、毎日登校させてもらえる。

だけど、、、

我が家に滞在しながら、義両親は、毎日毎日主人の病室に行く
お風呂は孫に掃除させ、
一切家事はしなかった。

わたしは、不在の間、義母が料理をして
一緒にご飯を食べて過ごしてくれると思っていた。(冷蔵庫には当面の食材を買い込んで入れてあることは説明した)

倒れた息子のために駆け回っている嫁が突発性難聴で後遺症が残るかもしれない状況の投薬と安静期、必死に不安に耐えている孫を上京している間、助けてくれるものだと、、、
(そんなの期待する方がおかしいと言われるかもしれませんが)

自分たちは、交通費をかけて、
お見舞いにきてやってる。
町内会の集まりもあるのに来てやってる。
毎日心配で病室にお見舞いに行ってやってる。

やってやってる、
やってやってる。

もしかしたら、義両親は、突発性難聴で安静にしている嫁がご飯やお風呂を用意して
おもてなしするのを期待していたのだろうか。
最後にはご飯も自分たちで済ませてやった。
自分たちで、物価の高い都会で弁当買って食べてやった。(孫には何も与えず自分たちの分だけ)


高次脳機能障害を知らない人は、

心配な息子さんをお見舞いに行くご両親は素晴らしい。

と言うかもしれない。

でも、高次脳機能障害で、混乱して、注意障害と遂行障害がある半身麻痺の人がリハビリに集中している最中、
毎日何時に両親がきて、何時に両親が帰るか気になってそれだけで1日が終わる。
車椅子から離脱できるかどうかの、まさにその週間に、、、アプローチし続けたいときに、、、身体が固まる前に。脳に繰り返し動作を刷り込むいま。
頼むから1日おき、2日おきにして、病院での滞在は短めにと伝えたが、守られず、慣れない都内での生活にヘトヘトになって、最後には孫に怒鳴りちらして帰っていった。

その後、親が息子に会うのに、何の遠慮がいる!
と言って、それ以来、遠方から突然病室に表れ、わたしには一切事前連絡はなくなった。

義妹は、突発性難聴になって、たいへんなのはわかるけど、「困る」じゃなくて、「お願いします」でしょ?
子どもだって、もう10歳なんだから、
おじいちゃんおばあちゃんを労って、
滞在中もっと世話してやるのが当たり前でしょ。もう年なのに、お見舞いに行ってやってるんだから。
義妹は、主人が倒れて一度も来ていない。
直接見もせず、自分の高齢の両親の心配をしはじめた。


お見舞い?

お見舞いしている場合でしょうか。
お見舞い気分は遠い親戚で十分です。

リハビリ病院にいられるのは
期限があるのだ。
リハビリの時間数も決まっているのだ、
貴重なリハビリ時間が効果的に受けられるように、前後予習復習を声かけし、
毎日他人事の本人に動かない手を目で確認させる。
プロが施すリハビリ中に大切なことは
復元できるようメモしているのだ。
回復する可能性だって、今まさにアプローチしなければ、脳への刺激が減っていくのだ。

阻害しておいて、お見舞い気分じゃ

こっちの努力が水の泡なのだ。

ローン返済の心配してるのに、
会社の対応や、弁護士や、社労士や、
税理士や役所や医師や保険会社との
相談や方針決め今後の手続きで、
洗濯物と顔見せだけの病院往復生活じゃないのに。

息子の塾も辞めさせたのに、

耳が聞こえなくなりそうなのに。

必死に、彼の復活をサポートしているのに。