ラルフ・ウォルドー・エマーソン
アメリカの文豪。人道主義を唱え、アメリカ思想界の指導者となる。
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エマーソンは、その住んでいた場所から名をとって「コンコードの哲人」といわれた。
そんなエマーソンを「ウォールデン 森の生活」の著者として知られるヘンリー・ソローが訪ねた。
2人が話しているとき、ソローはエマーソンの机の上にトウモロコシが2本横たわっているのを見た。けれども特に気に留めることなく、その日はそのまま別れた。
しかし、次に会ったときにも、そのトウモロコシがあった。ソローはそこで初めて「机の上に生のトウモロコシを置くのはおかしいな」と思ったが、理由を尋ねるのも変だと思って質問はしなかった。
3度目に訪問してみると、今度はトウモロコシが3本になっていた。おかしいなと思いながらも話題にはしないで他のことを喋っていたら、
女中が窓の外から、
「旦那様、大変です。馬がまた垣根を破って隣の馬鈴薯畑に入っています」
と言った。
それを聞いたエマーソンは
「そうか。心配することはない。わしが行くよ」
といって、机の上のトウモロコシを一つ手にとって部屋を出た。そして牧場に行って馬の名前を呼びながら、トウモロコシを高く振って見せた。
するとトウモロコシが大好きな馬は、早速エマーソンの傍に飛んできた。エマーソンがトウモロコシを牧場の中にポイと投げ込むと、馬は自分で破った垣根から急いで中に入り込んだ。そこでエマーソンはソローと話をしながら垣根を直して書斎に戻った。
初めて机の上にトウモロコシが置いてある意味がわかって、ソローは感心して聞いた。
「あなたは哲学をかんがえ、詩を作り、講演の準備をしながらも、馬のことまで気に留めているのですか」
するとエマーソンは答えた。
「君、自分の帽子は自分の手で持つものだよ」
このとき初めて、ソローはエマーソンがいつでも自分で馬に乗り、自分の荷物を持ち、自分で薪を運んでいるのに気がついた。
これはアメリカの偉い人は決して高ぶらないということを教える話である。
昔の日本の偉い人は、何かと物々しかった。ところが、アメリカ人は自分のことは自分でやるという思想が徹底しているためか、物々しいところがあまりない。
(中略)
エマーソンは明治以来、日本でも非常に広く読まれた哲人である。
『人生を創る言葉』 渡部 昇一
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大学を卒業してからの5年間、在籍していた会社で、支店を転勤でいくつかまわった。
その中で当時、全国でも一番成績を上げていた支店の所長さんは誰よりも支社の隅々まで目が行き届いており、ゴミ捨ても気になって自分でされるような人だった。
あわてて私がやります所長、と言ったら、
「いやー、こんなことでもやらなきゃ頭が鈍っちゃうからねー」と笑いながらサカサカとゴミを集めて捨てに行ってしまった。
このことを思い出したのも、エマーソンの話も、
何も自分で何でもかんでもやるのが正しいと言いたいわけではない。
この表現が適切かどうかわからないが、
自分のテリトリーのことは自分が把握し管理しよう
というメッセージに私には聞こえる。
よく政治家が汚職や献金問題で「記憶にございません」とか「把握しておりません」とか言うけれどまさにこの言葉を送ってあげたい。
「自分の帽子は自分で持つものだ」
私も、日常生活で持つ必要のないものは持たないよう心がけている。その判断基準はまさに、
持っていて自分が管理できるもの
もっと言えば、
どこに置いたかわからない、その存在さえも忘れてしまっているなら必要ない
それを持つことで、持ったことによって何かが起きても責任が持てるもの、自分で自分のケツがふけるものを持つ
そんなことを意識して過ごしていたら、大袈裟だが世界が広がった。何より気持ちがいい。物を大切にするための知恵も広がる。あぁ、そんなことだったのか、と思う。
今自分の部屋を見渡しても、どこに何があるかだいたいわかっているし、必要なものと不要なものの見分けがつき、より心地いい空間になってきた。
以前、大阪から岡山の田舎に移住しゲストハウスを経営されているご夫婦を訪ねたことがあった。
そのご夫婦の話によると、近くに物を買い出しに行こうと思ったら車で30分かかる。そこでいろんな知恵が生まれるのだそうだ。
お肉がなかったらこんにゃくステーキを作り、物々交換をし、BGMはi phoneの音が部屋中に聞こえるように陶器で旦那さんが作ったi phoneスピーカーで。
目に見える世界は一見狭いように見えても、じつはすごく世界が広がったんです、と奥さんがおっしゃっていた。その生活ぶりにはすごくすごく物質を超えた心の豊かさを感じた。
自分の帽子は自分で持つ
自分の人生の舵は自分がとる
という風にも聞こえる。
爽やかで自由さを感じる言葉だ。

