姪っ子との時間♡可愛すぎて我を忘れる。
赤ちゃんて誰になに言われても変な解釈もしないし、ただ笑いたい時に笑って泣きたい時に泣いて、好きな時にウンチする。
「○○ちゃん、ウンチくちゃいなー」
って言って、
「なによ!私のウンチだけが臭いってゆうの?どれだけ他の子と臭いか検証してよ!」
なんてゆう赤ちゃんはいないはずだ笑
でも、大人の世界ではめっちゃこういうおかしなことがおこっているよね。
赤ちゃんはその存在だけで周りが幸せに笑顔になるんだからすごい。私はまだお母さんじゃなくておばさんだけど、友達のお子ちゃまからもたくさんのほんわかをおすそわけしてもらえる。
子供には、魔法がある。
心のともしび
とでも言うのだろうか。
ほんわかした気持ち、暖かい気持ちを分け与え合うことが人を奇跡に導く。
誰も予想していなかった奇跡を起こす人にはそんな魔法があると思う。今日もそんな人たちを見てきたが、やはり、誰にでも深くて平等な愛がある人は奇跡を起こせる。
赤ちゃんとまったく同じことは出来ないかもしれないけど、
人の目気にしたり、
人の評価を気にしたり、
見え張ったり、
こうせなあかんとか自分を縛ったり、
(↑ほとんど同じ意味やけど、)
人に好かれる手段を
成功しないと好かれないとか、
自分はこうあらねば愛されないとか、
こんな人にだけはなりたくないとか、
ほんとは愛が欲しいのに、それに条件をつけてしまうとある程度のところで止まってしまうと思うのだ。これも一種の私利私欲なんだろう。
そんなんぜーんぶ手放して、アホらしってゴミ箱に捨てて、
ただただ世界で自己表現しよう。
私はそんな自分でありたいよ。
今、現実に起こってることに対して、誰かのせいにしていたり、あの人はおかしい、変だ、とかいう想いを心根に持っていたら、それが自分自身をその場に留めてしまう。
でも、その心の反応を全て何か学ばせてくれることだと、芯から思えたら、それは「やばい!まじありがとう!気づかなかったらやばかった!気づかせてくれてありがとう!」になる。
目に見えることが幸せを作るのではなく、
自分にとって幸せが何かを知っている心が幸せをつくる。
逆に自分にとっての幸せが何かわかっていなければ、周りに流されて周りのせいにしたり、そもそもその時ぶら下げられた人参に食いつくだけの人生になってしまうことは間違いない。
日常にその答えはある。
と、自分に言い聞かせながらウトウトしている深夜でございます。

