自分が原理を中心として比較することができるので

今まで生き残ってこれたでしょう、

下手をすると、どこかのてっぺんからヒューと吹き飛ばされてしまうのです。

てっぺんに登りつけて良かったと考えるなというのです。

 

原理を分かっていなければ、崩れていくのです。

 

神霊の役事は瞬間に過ぎません。それを重要視するなというのです。

 

原理です。原理の「み言」です。分かりますか。

先生が、複雑な霊界の働きの中で、生き残った「戦勝記」です。

「記念記」だというのです。「記念 戦勝記」です。

 

後代の人たちが引っかからないように、そのように複雑な世界をどのように、

この世界の空間にすべてのサタンたちがうじゃうじゃしているのを

どうやって突き抜けて行きますか?

 

個人完成をどのようにして、

家庭・氏族・民族・国家完成の解放圏をどのようにして、

神様を中心として解放・釈放圏がどのようになされるのか

ということが全部あるのですが、

絹糸が全部もつれて絡み合っているのを、

端っこをもって、

すーと引っ張っていって全部ほどくことが簡単にできますか? 

 

そのようなものだというのです。

 

文鮮明ムン ソンミョン先生 み言選集 第506巻

2005.09.05 アメリカ アラスカ コディアック ノースガーデン 

「個人主義と家庭主義」より

 

最近、りんごが高いですね・・・。

 

いつも、だいたい、会社のお昼ごはんは、シリアル「フルグラ」と、

ブルガリアヨーグルト(鉄分入り)に、ちょっと高級のブルベリージャムをかけて、

それに、皮付きのりんごを会社の包丁でカットして混ぜて食べています・・・。

 

よく飽きないで、同じものを食べてますね・・・あっ、自分か・・・。

 

ある同僚からは、前に、動物園のエサを作ってるみたいだね~とからかわれました・・・。

 

毎日、包丁を手に、会社の廊下、階段を・・・

 

まあ、年なので、けつまずいて、自分に包丁をささないように・・・

気をつけております・・・はい。

 

お客様とも、鉢合わせしないように・・・心がけてはいますね・・・。

 

会社の帰り、りんごを補充しようと、イオン藻岩店で、ちょっと安めの

外国製、ニュージーランド製のなんとかという四個入りのりんごを買って

外に出たら、雲の空でした・・・。

 

 

 

イオン藻岩店は、名前に負けず・・・、藻岩山の南側のふもとにあります・・・。

 

山が近いですね・・・。

 

 

これは、逆側の風景です。

 

知らない人の為に、重要なお知らせ・・・

 

この世界をお創りなった神様が、地上天国を実現するために、

再臨のメシヤを地上に誕生させてくださったんです・・・。

 

その方が、1920年に韓国に生まれた、

アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)なんですね・・・。

 

もう、亡くなられて霊界で、活動しておられます・・・。

 

アボジは、統一原理をはじめ、人類に必要な真理の「み言」を残されているんです。

 

神様や、目にみえない霊界についても語られているんですけど・・・、

 

論理的、科学的な表現で、妄信や盲信をしないように明確に語られています。

 

その中で、霊界の存在も教えてくださっており、人間は、永生するということです。

 

死んだら、霊界で、永遠に暮らす、ということなんです。

 

それは、神様がそのように創造されたからなんですけど・・・、

 

その理由は、神様は、それはそれは、人間をわが子として、愛の限りを投入されて

いるんです・・・。自分よりも大切な存在として対しているんです・・・。

 

そのような大切な存在には、永遠に共にいたいというのです。

 

神様が、人間ひとりひとりと永遠に一緒にいたい・・・という愛の心情の

持ち主であるというのです。

 

ですから、人間が永生するように創造された、ということです。

 

実に、明快な論理であり、しかも、神様の深い愛情を教えてくれているのですね・・・。

 

・・・なので、永遠に神様と共に霊界で暮らすのに・・・、

短い地上生活・・・少し、気合を入れて、いいことたくさん残しましょう!!!

 

って、ことです・・・。

 

すこし、ずるして、短い地上生活でつかの間の満足をしても・・・、

霊界に行ってから後悔するのは、愚かしい・・・からです・・・。

 

地上でも、誇らしく、霊界でも、誇らしい、自分でも自分が誇らしい

生活をしましょう!!!

 

ってことです。

 

で、神様を愛した・・・という内容がとても大きいみたいです・・・。

 

また、人の為に生きた・・・ということも素晴らしいことのようです・・・。

 

『真の父母論』の論点はなにかと言えば、その前提なんですね・・・。

 

それは、オモニがどのような立場で誕生されたのか?

 

ということです。

 

私は、統一原理では、最初の夫人、二番目の夫人と同じ立場の、

三番目の夫人として誕生されたと認識しています。

 

もちろん、真の母の候補なのですから、特別な血統とも言えるし、

堕落していないと言えるような血統とも言えるのですが・・・、

 

最初の夫人もそうであり、二番目の夫人もそうであり、

それと同じ立場が、三番目のオモニであります!

 

というのが、アボジもそのように対していたし、「み言」もたくさん残されているし、

私もそれが真実と思っています。

 

問題は、『真の父母論』は、

 

このような従来の考えを否定して、

 

オモニが、唯一、特別な生まれだった、というアボジの認識が正しいとすれば、

間違った前提の元で考え出された理論であるということなのです。

 

実際は、一番目の夫人、二番目の夫人と同等な生まれ、

清められたキリスト教の背景で生まれ、選ばれたのですが・・・、

 

それを認めないで、ただ一人だけ、別の生まれでした!!!

 

という誤った前提で作られたのが、『真の父母論』なんですね・・・。

 

前提が間違っているので、当然、その理論は、矛盾がどんどん生じるしかないわけです。

 

どんなに修正しようと、前提自体が間違っているので・・・、ダメなわけですね・・・。

 

そもそも、つくってはいけない理論が、『真の父母論』だということなんですね・・・。

 

真の父母論に矛盾や間違いがあるから問題なのではなくて、

その、前提自体が、間違っている!!!

間違った前提を正しいものと主張するための理論なので・・・、

どう説明しようが、ダメである・・・、ということです。

 

オモニが、最初の夫人、二番目の夫人と、生まれの価値において、

何の根本的な差異がありませんでした・・・、

という事実を認めることが願われているわけです・・・。

 

それは、絶対に変えることのできない統一原理の根本なわけです・・・。

 

それを変えたいなら・・・別の宗教をつくるしかないのです。

 

そうでなければ、あらたな分派になってしまうということになります・・・。

 

さて、『真の父母論』は、その根本から間違っている、その前提自体がおかしいと

いう事実を説明しました。

 

次に、タイトルにもある、ポイントのずれた批判について考えてみますね・・・。

 

それは、亨進(ヒョンジン)様のサンクチュアリの方たちが、

「天の父母様」に対して、二元論だとか批判することについてです。

 

これは、行き過ぎた批判のように私の目には、映っているんです・・・。

 

それで、家庭連合の教理研究の方たちもこの点に対しては、

反論をしています・・・。

 

で、これは、家庭連合の教理研究の側に分があると感じています・・・。

 

批判するなら、本当の問題がどこにあるのか、しっかりと見極めて批判しないと

いけないと思うのです。

 

神様や、アボジは、かなり広い心をお持ちなので、原理を外れない限りは、

やり方や、方針などには、許容されるところがあるんです・・・。

 

「天の父母様」は、原理を外れているとは言えないのです・・・。

 

それを説明しますね・・・。

 

神様は、本性相的男性と本形状的女性の二性性相の中和的主体と定義しているので、

父親的な愛と母親的な愛が神様の中では一つになっている・・・

 

ということになり、

 

天の父母様と呼ぶのは、

 

一人の神様に対して、その内面に内在している父親と母親を強調している

と理解すれば、原理と一致していると言えるからです。

 

もちろん、被造世界に対しては、性相的な男性格主体であるという定義もあるので、

 

「天のお父様 アボジ」と呼ぶことにも原理的な妥当性があります・・・。

 

正分合の「正」と「合」に焦点を当てれば「アボジ」と呼ぶし、

「分」のところを強調したければ、「天の父母様」と呼んでもいい、

ということになると思うのです。

 

・・・ともかく、この点を批判するのは、ポイントがずれているように

感じています・・・。

 

ポイントは、最初の夫人、二番目の夫人と同格というのがアボジの認識なのに、

同格ではなく、別格で唯一の生まれだ、としていることが重大なのです・・・。

 

もし、亨進(ヒョンジン)様に話が出来る方がいれば、このことを伝えてくださいね・・・。

 

最後に、摂理の必然と許容の話をすれば・・・

 

アボジは、本当に必然の道を追求された方だと思います・・・。

 

もっと、楽をしても神様はお許しになっただろうに・・・

 

あまりにも自分に厳しく・・・、妥協なさらないで・・・、

 

神様までも感動なさる生涯を歩まれました・・・。

 

また、亨進(ヒョンジン)様について私の意見を言えば・・・

 

鉄砲は・・・、あんまり、賛成はできないし・・・、必然とは思えないけど・・・

 

たぶん、許容してくださる神様、アボジのような気もします・・・。

 

でも、オモニを取り換えることは、すごく深刻なことで、

 

もし、それが、間違いだったら・・・、許容できないことですよね・・・。

 

私から見ると、オモニと亨進(ヒョンジン)様は、ある面、よく似ているなあ~

 

と感じているんです・・・。

 

アボジが、亨進(ヒョンジン)様を称賛していた「み言」が

記憶にあります・・・。

 

亨進(ヒョンジン)様は、とても霊的に鋭いんだ、

「アボジ、彼は、よこしまな人です、近くにおいてはいけません」

と忠告してくれるんだよ。

 

というような「み言」がありました・・・。

 

きっと、『真の父母論』の前提になる考えのおかしさを敏感に見抜かれたのでしょうね・・・。

 

でも、もう少し、慎重に、すきをつくらないで行動して欲しかったです・・・。

 

そして、『真の父母論』が広がらないように・・・内部でブレーキを

かけて欲しかったです。

 

将来の後継者が反対していれば、そう簡単に、『真の父母論』を広げられなかった

筈だからです。

 

今、ブレーキをかけれた亨進(ヒョンジン)様が、いなくなり、大変なことになっています・・・。

 

・・・また、もともと原理どおりというよりも、自分の感性に従うところのおありだった

亨進(ヒョンジン)様は、私からみると・・・、少し、おかしい方向へ、行っているように

みえるわけです。

 

いや、これは、私の個人的見解なんですけどね・・・。

 

ただ、「天の父母様」は、あんまり、批判しないほうが・・・、逆手にとられていますよ・・・。

 

そんなに、原理から外れているものではないので・・・。

 

ついでにいうと・・・、三男さんが、「真の父母」宣言をされたようで・・・

これも、私から見ると・・・、ちょっと、やりすぎ・・・のように見えています・・・。

 

自分が中心! 自分がリーダー! ではなくて・・・

 

一つになる方向で努力して欲しいな!!!

 

みんな足りないんだから!

 

というのが私の今の立場ですね・・・。

 

生意気かな?

 

 

 

「メシヤと我々」より 

神を失った人間

 この世に住んでいる一般の人は、メシヤが必要であることを知る者はほとんどいません。
・・・


サタンを追い出すメシヤ

・・・
だからこのメシヤというものは、

こういう天宙の中心の核として来られるお方は、

男で来るか、女で来るかということが問題だよ。

 男に聞けば「はーい、男で来る」と言う。

女に聞けば「はーい、女で来る」と言う。

なぜか? 男は実際何もやるものがない。

体としては何もやるものがない。

女は、体としてはお乳をやるんだね。

子供に飲ませ、食べさせるんだけれど、

男には何もやるものがない。何かあるの? 

そういう立場から見た場合に、男より女? 

男のメシヤが来たらいいか、女のメシヤが来たらいいか?

 では、女のメシヤが来たらいいの? 

日本の場合には天照大神は女か男か? 

日本人はよく知っているんじゃないの?(女です)。

日本人から言えば女で来たらいいじゃないの? 

これはおもしろい。

世界中でそんな国はたくさんはない。

そういう血統を受け継いだから、

日本人は女といえばもてはやされるよ。

男で来たらいいか? 

女で来たらいいか? 

 

・・・

 

 神は原理の神だ。神がメシヤをよこすには、原理に従ってよこすしかない。

まずもって、そのメシヤたる者は原理を中心として完成した者である。

原理を、専門的な原理を中心とした者でなければならない。

そうなるんですよ。

 

・・・

 

原因の出発点は男から、

神様から見ても、男を中心としなければ原因の主体性を立たすことができない。

男を中心としなければならない結果になっているから、

男のメシヤが来なければならない。

女は何か? 畑だ。

女が主体にはなりません。

男が主体である。

先にあった。人間の生まれるその種は女にあるんじゃない。

男が先にある。

だから原理的に見た場合には、男が主体者にならなければならない。

・・・

 

だからメシヤは神様も仕方なしに、男をよこさなければならないし、

人も男を望まなければならない。だから男が来るんだ。

男が来る。男のメシヤは何を求めてくるのか問題である。

何を求めて来る? 女を求めて来る。

 

・・・

 

 だからメシヤは、この地上に来られる時には堂々たる男として来られる。

天下いずこに来られてもそれに逆らう者なし。

神様もほれた男である。

歴史的聖人も、それは希望の的の男である。

これは万民、世界三十四億の現世の人間は、

その姿に一度会い、一度話し、

共に行動したいというような望みの的のお方である。

未来はそこから新しい尺度が始まる、出発の基点である。

それがあって、すべての価値が生まれてくる。

その基準あってすべてがその中心を取るようになる。

それが確立するにしたがって、勝利が決定されてくる。

・・・
日本語による「み言」『メシヤと我々』
     1972年4月23日 日本 東京教会 

 

 

先生は、それが分かるので、

オテギョン(真の父母論を作った人)この野郎は、

下手をすれば統一教会を滅ぼすと見るんだね。

だから、イーストガーデンから追い出したんだが、

追い出したのに出て行ったと思ったら、

また、戻って来たんだよ。

『文鮮明先生御言選集』第399巻213頁 

2002.12.23 イーストガーデンにて 

 

 

先生はいい加減に生きないんですね。

オモニがしようというままにしないんだね。

神様がしようという通りするんです。

オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。

嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、

自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。

「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ

 

統一教会に中心があるの? 

家庭的中心がある? 

 

先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。

 

目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。

 

一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。

 

『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。

 

それをオモニが知らないんだね。

今、聞いているだろうね。

今から分からないとね。

 

何日か前に言ったよ、

「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」

そんなこというんだよ。

 

これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?

 

文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻

『摂理的蕩減時代と祖国光復』

2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)

     漢南(ハンナム)国際研修院

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村

 

 


PVアクセスランキング にほんブログ村