礼拝の司会でした・・・。

 

毎週日曜日、基本午前10時30分から教会では日曜礼拝、別名、聖日礼拝を行っています。

 

うちの教会では、壮年何人かが礼拝の司会をシフト制でさせて頂いています。

 

通常は、礼拝の始まる30分くらい前に、礼拝の担当者・・・、教会長、司会、総務、祈祷担当などが準備の打ち合わせをするんです。

 

今日は教会長が不在で、全国で田中会長の説教の映像を観る礼拝なので、

 

いつものように午前10時に集まることはしないだろう? と予想して・・・。

 

総務の方に、

 

「今日は、会長の映像だから『普通どおり』に行けばいいですね?」

 

とラインしました。

 

その意味は、『普通どおり』=10時30分からの時間に間に合うように・・・

(普通でない・・・礼拝司会の10時集合)

 

そしたら、なんと! 総務からは、

 

「はい、『普通通り』10時まできてください、打ち合わせをします。」

(普通・・・礼拝司会の10時集合)

 

私は、「普通」の意味を礼拝司会をしない時の意味で使ったのに対して、

総務の方は、「普通」を礼拝司会をするときの、いつものようにという意味で使いました。

 

まったく、逆になってしまったのです・・・。

 

・・・このように言葉による意思の疎通には、とても誤解が多いものですね・・・。

 

今回はそれをテーマにします・・・。

 

 

午後、講演会があって、歩いていったのですが、

その時、空が面白かったので写真をとりました。

 

 

札幌の大通から札幌駅にかけての当たりです。

札幌の中心部ですね・・・。

 

ブログ愛読者さんのコメントを使わさせてもらいます・・・

返答も兼ねてですね・・・。

 

>このブログ記事を読めば、勘違いと間違いを犯す主管性転倒の

>お母様をよく理解することができます。

 

>ある意味、どの分派の記事よりも不従順のお母様が良くわかります。

>ところで、そうではないお父様が愛したお母様についても教えてくださいませんか?

>真の父母宣言をし、最終一体宣言までされたお母様が、

>勘違いと間違い、主管性転倒の不従順のお母様では、

>ブログ主の偏見記事だとしか読まれません。

>等しくそうではない神様が愛するお母様をも一緒に語ってくださると

>もっとブログ主の主張が、説得力を増すと思います。よろしくお願いします。

 

コメント、ありがとうございます。

 

私の主張のポイントが何であるのか、分かりやすくするために、

例え話で説明します。

 

青酸カリという猛毒をご存じでしょうか?

それが入った飲み物のグラスがたくさんあるとします・・・。

 

そして、そのグラスの飲み物すべてに青酸カリが入っているのに

気が付いたのは、ニックくん一人とします。

 

そして、

 

オモニが、乾杯をしましょう!

 

として、グラスを手にして、

 

さあ、皆さんもグラスを一つずつ持って乾杯しましょう!!!

 

としたとします。

 

そして、言いました。

 

これは、特別に注文して、皆さんの為に用意した飲み物です。

健康にもとてもいいものなんですよ・・・。

 

そのとき、

 

ニックが言いました。

 

オモニ、それは間違っています!

それには毒が入っています!! 飲んではいけないし、

他の人に飲ませてもダメです!!!

 

・・・私がブログで主張しているのは、上のようなことなのです・・・。

 

ブログ愛読者さんの指摘は・・・

 

オモニが皆の為に熱心に準備したのに・・・失礼ではないか!

 

オモニに反対しないで、その真心について思いを寄せなさい!

 

と言ってるのと同じなのです。

 

・・・

 

ここで、一番大事なことは、そのグラスに本当に毒が入っているのか、

いないかではないでしょうか?

 

それとも、その場合でも、オモニが真心で準備したからと黙っているべきでしょうか?

 

ブログ愛読者さんが、関心を持ち、真剣に確認すべきは、

 

本当に毒が入っているのか、いないのか!

 

それが一番のポイントではないでしょうか?

 

私が思うに、『独生女論』は、青酸カリ以上の猛毒です。

 

それが本当なのか、間違いなのかに、最大の関心と、それを全身全霊で確認すべきなのです。

 

私は、自分では、『独生女論』が青酸カリ以上の有害なものであると確信があるのですが、

 

どうもうまく伝えきれていないと思うので、それが伝わるまで、発信していきたいと

思っているのです。

 

ですから、本当に『独生女論』がそういうものなのか?

私ニックの理論に誤りがあるのか?

 

そう言う観点で、考え、指摘して欲しいわけです。

 

結果的にオモニが勘違いしていることになるとしても、それがポイントではないのです。

 

飲み物に、青酸カリが入っているかどうかが、一番のポイントですよね?

 

その観点をどうかよく理解してくださることをお願いいたします・・・。

 

もう一つ、違う例を考えてみます・・・。

 

オモニが車を運転していて、とてもとても練習して、ハンドルの握り方も良くなり、

姿勢もとても美しくよくなりました。

 

そして、運転中、ブレーキとアクセルを間違って反対に踏んでいました・・・。

 

ニックが、

 

オモニ、間違ってますよ、勘違いしてますよ、それアクセルです!

 

その時、

 

そんなこと言うなよ、姿勢の美しさとか、ハンドルさばきのうまさとかをもっと話してよ・・・、

そしたら、アクセルという話にも説得力がでるよ!

 

と言ってるようなものなのです。

 

・・・上にあげた例から、

 

本当に勘違いしているのかどうか、が大切なことであって、

 

勘違いを指摘した、ことは本質ではない、ということです。

 

その時に、勘違いを指摘しないで、他の長所を言うべきだ!

というのは、勘違いの指摘を真剣に受け止めてないということになるのです。

 

ことの深刻さに気が付いていないということです。

 

私の主張していることが正しいか、正しくないかは、

 

青酸カリが入っているのか入っていないのかよりもはるかに重要で深刻な問題であるのです。

 

だから、もっとストレートに向き合って欲しいと思うものです。

 

繰り返しになりますが・・・、

 

私の主張が真実なのか間違いなのか・・・

 

それと、

 

それが仮に真実ならば、本当にそのように深刻なものなのか、そうではないのか・・・

 

そのことを深く祈りながら正確に見極めて欲しいものです。

 

そして、その観点からコメントを下さるととても参考になり、嬉しく思います。

 

真摯な姿勢をとても感じるので、特別に返答を兼ねて、ブログ記事で使わせてもらいました・・・。

 

 

 

先生はいい加減に生きないんですね。

オモニがしようというままにしないんだね。

神様がしようという通りするんです。

オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。

嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、

自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。

「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ

 

統一教会に中心があるの? 

家庭的中心がある? 

 

先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。

 

目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。

 

一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。

 

『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。

 

それをオモニが知らないんだね。

今、聞いているだろうね。

今から分からないとね。

 

何日か前に言ったよ、

「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」

そんなこというんだよ。

 

これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?

 

文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻

『摂理的蕩減時代と祖国光復』

2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)

     漢南(ハンナム)国際研修院

 

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