私は、小さい頃から・・・小さいと言っても一寸法師だったという意味ではなく、

年齢が小さいという意味ですが、

 

「世界救世教」という宗教を家族全員でやってました・・・。

 

そこでは、いろいろな病気が治ったり、子供の登校拒否が直った!

などと体験談、うちでいうと証かな?(うちとは、家庭連合のこと)

 

そういうものに感動して信仰している人も多かったのかもしれません・・・。

 

教理が「真理」だから!!!

 

で、信仰している方は、多くないのかもしれませんね・・・。

 

私は、素直なので・・・、なんの疑問も持たず、そのかわり何の感動もなく、

なんの反発・抵抗も感じないで、セミナーにでたり、行事に参加したり、

生活上の決まりや作法・規則などを真面目に守ったりしておりました・・・。

 

で、19歳の春に、「統一原理」と出会って、

「これは真理で、誰もが行かなければならない道」だと確信して、

今の今まで歩んできております・・・。

 

・・・まあ、だからというか、真理であるか、ないかということが、

私の中では、最重要テーマ? なのかもしれませんね・・・。

 

それで、「真の父母論」・・・、これをどうしても真理だとは思えないんですね・・・

 

さてさて、ここで、

 

「別に真理でなくても、オモニ(韓鶴子 真のお母様:以下 オモニ)が

進めているんだから従っていけばいいんでないの!」

 

と思う方もいるかもしれまん・・・。

 

とりあえず、関係ないですけど・・・写真を・・・・

 

 

札幌の南にある定山渓という温泉地帯?にあるパン屋さんの近くです。

「!」という名前の・・・たしか・・・

 

さて、話を戻して・・・、別に真理であっても、なくても、どっちでもいいのでは?

 

と言われる方、思う方も、もしかしたらいるかもしれませんね・・・。

 

私は、神様は、原理とか真理にとてもとても厳格な方であると思うのです。

もし、「真の父母論」が真実でなかったならば、働きたくても働くことのできないのが

神様ではないだろうか? アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)

ではないだろうか?

 

と確信しているので、本当に「真の父母論」は正しいのかな?

 

と疑問を投げかけており・・・

 

もっと、よくよく吟味? 検証、あるいは、神学論争なども十分したほうが

良いのでは?

 

と訴えているんです・・・。

 

原理に厳格な神様ということを考えてみたいと思います。

そもそも罪悪歴史が、このように聖書歴史では6000年、実際は、

それ以上、ずっと続いているのも神様が原理に厳格だからです。

 

そもそもアダムとエバが堕落した時も、

神様は、それを知らなかったわけでもなく、止める能力をお持ちでなかったわけでもなく、

ただ、原理の絶対性と完全無欠性のために、堕落行為にあえて干渉されなかったわけです。

 

いや、堕落したら大変だな、どれほど復帰に時間と困難が・・・

例外的に干渉して止めちゃおうかな?

 

と考えても良かったのでは?と思うかもしれませんが・・・

 

原理の前には、一切、妥協されない神様なのですね・・・

 

だから、真の父母論が、正しいのか? 間違っているのか?

 

ということは、どうでもいい問題ではなくて、

 

非常に重要であり、

白黒、はっきり、つけなくては先に進めない問題である! ということなんです。

 

そしてさらに、家庭連合は、全ての宗教も思想も哲学も統一して、

全人類を統一していく、最終的な神様の摂理の主人公なわけです。

 

家庭連合が主張する内容は、

 

「一点の傷もない真理」

 

でなくてはならない筈なのです。

 

仮に、私が危惧しているように、真の父母論が真実ではなく、偽りである場合は、

そのままでは神様は摂理を進展させて、完成させることが出来ないと思うのです。

 

真の父母論を捨てさせて、真理を中心に立てるという摂理をされて、

その土台で摂理の完成をされる神様であるとみるわけです。

 

そうすると、真の父母論をすすめれば、すすめるほど、摂理の進展を遅らせ、

摂理の成就を困難にしているいうことになるのです。

 

これは、あくまでも、真の父母論が、仮に、間違っていた場合の話です。

 

仮に、真の父母論が間違っているならば・・・、

 

それを推進する団体は、摂理を妨害する団体・・・という立場になり、

存在価値がない、存在しないほうが良いという、立場に立つことになります・・・。

 

もし、真の父母論が偽りであるならば、それを推進しているので、

日本家庭連合の解散問題が起きているとみることもできるのです。

 

これは、あくまでも真の父母論が間違いであれば、そのように見ることも妥当である。

と言っているわけです。

 

逆に、真の父母論が、もし正しいならば、なにか別の原因があることになり、

その原因を追究する必要があると言えるわけです。

 

・・・みてきたように、真の父母論が、正しいのか! 正しくないのか!

ということが、あまりにも深刻な課題であるということは間違いないのです。

 

ここで問題になってくることは、十分な議論が尽くされているのか、

十分な検証を終えて、正しいことが証明されたのか!

 

という点なのですが、はじめから結論ありきで、十分な議論が尽くされておらず、

見切り発車した状態のように私には見えるわけです。

 

ここで、私が何故? 真の父母論が真理と思えないのか理由を考えてみたいと思います。

 

■アボジの多くのみ言との不一致がある。

 

■イエス様の時、新婦が存在もしていなかったことはありえないと思う。

 

■アボジの最初の結婚は間違っていなかったと思う。

 

■神様に通じているアボジが、生涯、オモニの本来の価値に気がつけなかったとは考えにくい。

 

■真の父母論を進めている家庭連合の運勢が落ちているようにみえる。

 

■理想的な妻とは、夫を高め、夫を喜ばすものであるが、理想的な妻の代表であるオモニの実相が自分よりも夫が高まることを喜び、自分の満足よりも夫の喜びを優先し、夫の栄光を何よりも喜ぶ美しい妻の姿にはみえない。

 

■原理では、男女平等と同時に、男性と女性は、主体と対象という大事な教えがあり、

それ故に、神様は男性のメシヤを送り、男性のメシヤを通して、女性を復帰していく

というアボジのみ言に共感できる。真の父母論は、主体と対象の関係があいまいになってしまっているように思える。

 

■カルビンの書籍の年代などで詐欺的手法を使うのをみると学者たちの良心基準に疑問を感じる。

 

■熱心に真の父母論を信じる兄弟姉妹と対話してみると、アボジには原罪があったとか、

アボジは霊界でオモニに謝っているだとか、アボジの価値をみなとても低く見ている。

 

■アボジの晩年には、オモニに対して、原理どうりではないとか、自分勝手にしてはいけない、

などとたびたび、忠告されていたことを思うと、オモニが原理でないことを心に抱いていた可能性は少なくないと判断できる。

 

■本当に、オモニが唯一の新婦ならば、神様は、1945年の一番のチャンスにあわせて、

主の花嫁として送るはずなのに、送っていないのはおかしい。

 

■もし、生まれながらに、オモニに完全な資格が与えられていたのなら、

12人以上の子女を生むという過酷な蕩減条件は必要なかったのでは?

 

■統一原理には、「責任分担論」「成長期間」「蕩減条件」「授受作用」などなどの

画期的な教えがちりばめられているが、真の父母論の主張は、摂理の中心は、

男性メシヤではなくて、女性メシヤである!

それだけしか主張していないように私には読み取れる。

他に、何も主張するものを持っていないように思える。

 

上でみてきた内容などから、私としては、真の父母論は偽りではないかな?

と思っている。

 

そうなると神様の摂理を進める為にも、

 

そして、オモニの生涯が傷のない輝く生涯として永遠に記録されるためにも、

 

偽りは除去? して差し上げるべきと思うものです。

 

一見、真の父母論を信じ、受け入れることがオモニの為、オモニを愛するように

思えるかもしれませんが・・・、それは、あくまでも、真の父母論が真実で

あった場合に限られるのです。

 

もし、偽りであるならば、はやく、そのことに気が付いていただき、

偽りを手放すように、して差し上げるのが、一番の孝行なわけです。

 

ですから、なおさら、真理なのか? 偽りなのか?

 

十分に吟味することが必要! ということです。

 

・・・さて!

 

世界大神学会議でも開きましょうか?

 

半年でも、一年でも、討論して、論議を尽くして、

 

本当に何が真理であるのかを明確にして、進んだほうが、摂理は早いかも?

 

間違っていたら、後戻り、大変ですから・・・。

 

偽りは、必ず、偽りであることが明らかになる時がくると思います。

 

でも、オモニはいつまでも地上におられないんですね・・・。

 

もし、偽りであるなら、一時も早く、それから解放して差し上げないと・・・

 

 

先生はいい加減に生きないんですね。

オモニがしようというままにしないんだね。

神様がしようという通りするんです。

オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。

嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、

自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。

「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ

 

統一教会に中心があるの? 

家庭的中心がある? 

 

先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。

 

目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。

 

一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。

 

『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。

 

それをオモニが知らないんだね。

今、聞いているだろうね。

今から分からないとね。

 

何日か前に言ったよ、

「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」

そんなこというんだよ。

 

これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?

 

文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻

『摂理的蕩減時代と祖国光復』

2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)

     漢南(ハンナム)国際研修院

 

 

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