然ど善惡を知の樹は汝その果を食ふべからず汝之を食ふ日には必ず死べければなり

     聖書(文語訳) 創世記 第2章 17節

 

原理講論の第5章 復活論のところには、この神様が人間に下さった戒めが出てきます。

汝(なんじ)之(これ)を食(くら)ふ日には必ず死(しぬ)べければなり

 

あれ? 何時? と時間をたずねているのかな?

と思う人はいないと思いますが、なぜ、わざわざ、難しい? 文語訳を使っているのでしょうか?

 

汝之を食ふには必ず死べければなり

 

口語訳と比較してみると・・・

 

それを取って食べると、きっと死ぬであろう

 

文語訳の方では、食べた「その日」に死ぬという表現なのに対して、

口語訳のほうでは、「その日」というのが無いんですね・・・。

 

これは、「死」とは何かという根本的なテーマに関するところなんです。

 

統一原理では、霊肉の意義を異にする二つの概念があると教えてくれていますが、

それと関係する重要な聖句なわけですね。

 

また、神様が下さった「戒め」なのですから、そういった意味でも大切な聖句と感じます。

 

原理講論は、韓国語の翻訳ですので、では、韓国の聖書はどうなっているのか?

ということですが、日本と同様、「その日」があるものと、ないものがあるんです。

 

じゃあ、世界の聖書は、もともとの原本では?

と関心を持つ人がいるかな?

 

キング ジェームズ バージョンという聖書があります。

古めだけれど、正確で厳密な訳と知られているのかな?

王様が関係している名前みたいですが・・・

 

but of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it: for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die.

     KJV Genesis 2/17

 

ありましたね・・・。原本までは確認してませんが、もともと「その日」という表現があったものが、それが落とされてきた、と理解しています。

 

それは、まだ、統一原理が現れておらず、生と死の明確な概念の解明がなされていなかったので、あれ? アダムとエバさん、食べたその日には、死んでないよね?

と疑問に感じた人がいたのかもしれませんね・・・。

 

肉体的には、その後、何百年!も生きたと聖書にはあるからです。

 

だいたい、重要な言葉が落ちたりするんですよね・・・

なぜだろう?

 

アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)の

最後の祈祷と言われる映像を観た記憶がありましたが、

ごくごく最近、その映像で流れているアボジの「み言」が、

重要な部分がカットされたものであることが分かりました・・・。

 

そして、編集してカットしたところに、アボジが「せき」をする音声を

はめ込んでいたということが分かりました。

 

韓国語は省略して、日本語で、アボジの最後の祈祷は、

 

きょう、最終的な完成、完結を成し遂げてお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げてすべての生を終了する時間を迎え、

 

氏族的メシヤが国家を代表する名称となって

 

そのためのあらゆることを、すべて成し遂げました。すべて成し遂げました。アーヂュ。

 

映像ですね、

映像では上のようになっているのですが、実際は、

 

きょう、最終的な完成、完結を成し遂げてお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げてすべての生を終了する時間を迎え、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。

 

あらゆることに対する解放、釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、四次元においても、十四次元においても、地獄に行く者を天国に入籍させることができ、四次元の入籍と十四人の息子、娘たちを中心として、氏族的メシヤが国家を代表する名称となって三百八十七の国々(アベル国連圏百九十四カ国、カイン国連圏百九十三カ国)さえ復帰すれば、すべてが終わることを宣布します。そのためのあらゆることを、すべて成し遂げました。すべて成し遂げました。アーヂュ。

 

と、ピンク色のところがカットされていたのです・・・。

 

いや、全然、意味が変わってくるんですね・・・

 

誰が、どうして、カットしたんでしょうね!

 

・・・ちなみに、赤い?天聖經の一番最後のページに

真のお父様の最後の祈り「すべて成し遂げた!」(2012.08.13)

として全文が載っていました・・・。

 

韓国人の編纂委員の誰だかに、アボジが霊的に表れて、

そのまま載せなさい!!! と非常にきつく怒られたそうです・・・。

 

霊的にあらわれなかったら、映像のようにカットしてたのかな・・・

心寒い話ですね・・・。

 

・・・でも、誰がカットを指示したのかとか?

追求しなければならない重要な問題のようにも思いますね・・・。

 

でも、きっと、重要な言葉なのでしょうね・・・。

 

先生はいい加減に生きないんですね。

オモニがしようというままにしないんだね。

神様がしようという通りするんです。

オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。

嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、

自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。

「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ

 

統一教会に中心があるの? 

家庭的中心がある? 

 

先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。

 

目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。

 

一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。

 

『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。

 

それをオモニが知らないんだね。

今、聞いているだろうね。

今から分からないとね。

 

何日か前に言ったよ、

「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」

そんなこというんだよ。

 

これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?

 

文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻

『摂理的蕩減時代と祖国光復』

2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)

     漢南(ハンナム)国際研修院

 

 

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