北海道の写真です。

 

うっすらと虹がかかっているようですね・・・。

 

黄色は何の花なのかな?

 

菜の花?

 

なんか、鳥が飛んでるみたいですね・・・。

 

 

写真、ありがとうございました。

 

最近、辛いのがとても辛く感じるようになりました。

辛すぎるものを食べないようにしようかな?

なんて考えています・・・。

 

そう言えば、からすぎるポテトチップスかなにかを食べて死んだ、

というニュースがありましたね。アメリカでしたか・・・。

 

先日、左の辛ラーメン焼きそばを食べてとても辛かったです。

 

今日のランチは、右の辛激タンメンを食べたのですが辛かったです。

 

原理講論には、『予定論』というのがあります。

従来のキリスト教神学では解決できなかった、神様の予定に対する解答をしているわけです。

 

その真理の素晴らしさ、稠密さ、美しさに感嘆しています!!!

 

また、それだけで、統一原理は唯一無二の偉大な真理である!

 

と心から納得させてくれる真理の香りが漂ってくるのです。

 

感動の一点目は、

 

予定を三つの項目にわけ、それぞれで説明している!

という点ですね。
 

①「み旨」に対する予定

②「み旨成就」に対する予定

③「人間」に対する予定

 

・・・う~ん、こうやって、三つに分けることを今まで、誰一人考えることも

出来なかったんですね・・・さすが、アボジ! さすが、メシヤです!!

 

①「み旨」に対する予定 = 絶対的

②「み旨成就」に対する予定 = 相対的

③「人間」に対する予定 = 相対的

 

・・・すごい・・・感動・・・分かるかな? この素晴らしさが!

真理の麗しい香りを感じれるかな?

 

①「み旨」に対する予定 = 絶対的

 

神様と全人類が愛し愛され、神様の愛の溢れた、

地上天国、天上天国を実現する!

という「み旨」は絶対的であるということです。

 

絶対的という意味は、必ず成し遂げると神様が心に決められて、

その決心が永遠に、そして、変わることのない決心であるということです。

 

これは、神様の内的決心を説明しているわけですが・・・、

唯一、不変、絶対的に予定されていることは、

とても嬉しいし、何と言うか、安心感とか希望を持つことができるんですね・・・。

 

②「み旨成就」に対する予定 = 相対的

③「人間」に対する予定 = 相対的

 

相対的というのは、絶対的ではないという意味です。

そこには、人間の責任分担の成就という問題が関係してくるからですね・・・。

 

・・・だから、善の神様なはずなのに、どうして、このように

人類罪悪歴史が長々と続いているんだ! 

 

という疑問に答えているんですね・・・。

 

神様は、すぐにでも「み旨」を実現したいのだけど、

「み旨成就」には、人間の責任分担の成就可否が影響しており、

いつもその責任分担成就に失敗してきたため、「み旨成就」が

延長されてきて、このような長い人類罪悪歴史が続いてきてしまっているんですよ・・・。

 

な~んだ、そういう訳だったんですね・・・。

神様、ごめんなさい、いつもご苦労様だったのですね・・・。

ありがとうございます・・・

もう少し? あとだいぶ? 待っていてくださいね・・・

 

そして、予定論の感動の第二点目は、

 

反対意見となるような聖書の聖句を取り上げて解明している!

 

ここに、統一原理が真理中の真理である・・・

真理の横綱? の貫禄があるんですね!

 

どういうことか?

 

それは、予定説のめぐる賛否両論の説と、それを裏付ける聖句を取り上げて、

その聖句の本来の意味を解明している、ということです。

 

・・・すごい

 

これの逆をやっているのが、世界家庭の4月号とか、5月号の

教理解説とかいうところです。

 

アボジの「み言」の中で、一見、真の父母論と合いそうなものばかりを

取り上げて、ほら、そうだよね。

 

と言っているからです。

 

真の父母論を否定する数多くの「み言」を取り上げていないのです。

 

予定論のように、賛否両論を取り上げて、そのすべてを解明する!!!

 

という王道ではないんですね・・・。

 

何故か? もともと間違っているので、それで、すべての「み言」を

解明することなんて、できっこないからです!!!

 

●神様はメシヤを送るのは男性だけだよ。

●男性のメシヤを送り、その新婦は、男性メシヤに絶対信仰、絶対従順することによって血統を清めてもらい真の父母になるんだね。

●最初の夫人とオモニは何も違いはないよ同じなんだよ。

 

●1945年からキリスト教が受け入れていたならオモニではなく、崔先吉女史が真の母になっていたんだよ。

 

●オモニは特別な血統なんだよ。

 

上にあるような賛否両論にみえる「み言」をとりあげて、

それらすべてを説明できるような解説をしなければ、

ならないのに、そうしないで、

●オモニは特別な血統なんだよ。

という「み言」だけをもってきています。

 

それで、オモニだけが、ただ一人の特別な生まれである

とする真の父母論を正しいと言っているのです。

 

そうすると他の「み言」をどう解説するのでしょうか?

 

それよりも

オモニは、アボジによって三番目に選ばれて、新婦の道を出発しました。

そして、アボジに絶対従順の基準を立てて真の母としての位置を勝利されました。

 

とすれば、上のすべての「み言」と矛盾しないし、

●オモニは特別な血統なんだよ。

というのは、真の母としてアボジによって血統を清められた後のことを言っているのだ! としても説明がつきますし、

 

あるいは、「特別」と言っても、唯一と言う意味ではなくて、

熱心な基督教の家系で、新婦となる天稟を持ったという意味で、とらえれば、最初の夫人もそうであったし矛盾しないのです。

 

●神様はメシヤを送るのは男性だけだよ。

●男性のメシヤを送り、その新婦は、男性メシヤに絶対信仰、絶対従順することによって血統を清めてもらい真の父母になるんだね。

●最初の夫人とオモニは何も違いはないよ同じなんだよ。

 

●1945年からキリスト教が受け入れていたならオモニではなく、崔先吉女史が真の母になっていたんだよ。

 

のような「み言」にふれていない日本本部の教理解説は、

 

予定論の美しさにはるか及ばないと言わざるをえないものです。

 

一部の「み言」だけで説明している世界家庭をみるとき・・・、

やはり真の父母論は、偽りであり、それは、オモニが勘違いしているところに

根本原因があると確信するわけです。

 

われわれが悩み、真剣になるべきことは、いかにオモニを勘違いから解放してあげるかではないでしょうか?

 

先生はいい加減に生きないんですね。

オモニがしようというままにしないんだね。

神様がしようという通りするんです。

オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。

嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、

自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。

「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ

 

統一教会に中心があるの? 

家庭的中心がある? 

 

先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。

 

目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。

 

一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。

 

『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。

 

それをオモニが知らないんだね。

今、聞いているだろうね。

今から分からないとね。

 

何日か前に言ったよ、

「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」

そんなこというんだよ。

 

これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?

 

文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻

『摂理的蕩減時代と祖国光復』

2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)

     漢南(ハンナム)国際研修院

 

 

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