いよいよ! 連休で~す。

二連休があって、三日仕事して・・・涙、その後、四連休かな?

わ~い!

 

特に、計画も無く、やるべき用事が溜まっております・・・、

と言いながら、ブログを優先させているな・・・。

 

 

北海道の真ん中の、海辺の方に行ってきた方から頂きました。

浦河町、様似町のあたりでしょうか?

 

 

ありがとうございます・・・。

 

私は、母のいる実家の前を流れる川を撮りました・・・。

 

 

せっかく訳したので、『独生女論』をみていこうと思います。

 

 하늘부모님은 2천년 전에 유대민족 가운데 독생자와 독생녀를 보내시고, 그들이 성혼하여 참부모가 되게 하려고 하셨다. 태초의 창조 순서와 같이, 하늘부모님은 먼저 독생자 예수님을 보내시고, 그 기반 위에서 독생녀를 보내려고 예정하셨다. 예수님은 하늘부모님의 독생자로 잉태되고 탄생하셨다. 그런데 예수님을 탄생시킨 마리아와 사가랴 가정 그리고 유대교와 유대민족이 예수님을 불신하여 독생녀는 탄생하지 못하고, 예수님은 십자가에서 돌아가셨다.

 

 天の父母様は、二千年前にユダヤ民族のうちに独生子と独生女を送られ、彼らが聖婚して真の父母となるようにしようとされました。太初の創造順序と同じく、天の父母様はまず独生子イエス様を送られ、その基盤の上で独生女を送ろうと予定されました。

イエス様は、天の父母様の独生子として胎に宿り誕生されました。ところが、イエス様を誕生させたマリアとザカリア家庭、そして、ユダヤ教とユダヤ民族が、イエス様を不信して独生女は誕生できず、イエス様は十字架でお亡くなりになりました。

 

これまでブログで述べてきているように、『独生女論』では、

「女メシヤのただ一人の誕生説」を主張しているわけすね・・・。

 

そのような女メシヤは「誕生していなかった」と言っているわけです。

主の花嫁となる女性は「誕生していなかった」と言っているのです。

 

統一原理では、「誕生していた」という立場ですので、アボジの見解と

異なる見解を主張していることになりますね。

 

 예수님을 탄생시켰던 마리아 가정과 사가랴 가정은 하나님의 계시에 따라 예수님을 잉태하고 탄생시킨 장본인들이다. 따라서 그들은 예수님이 탄생했을 때부터 그를 믿고 보호하고 지원해야 했다. 그러나 그들은 오히려 예수님을 불신하고 보호하지 못했다. 그 결과 예수님은 유대교와 유대민족으로부터 불신당할 가능성이 컸고, 결국 십자가에서 처형되셨다. 하늘부모님은 이런 상황 속에 독생녀를 보내실 수 없었다. 만일 독생녀를 보내면 그도 불신 받고 목숨을 잃을 수도 있다. 사탄이 인류의 참부모가 될 독생자와 독생녀를 다시 모두 죽임으로써 하나님의 구원섭리를 다시 좌절시킬 수 있다.

 

 イエス様を誕生させたマリア家庭とザカリア家庭は、神様の啓示に従い、イエス様を胎に宿し誕生させた張本人たちです。従って、彼らはイエス様が誕生した時から、彼を信じ、保護し、支援すべきでした。ところが、彼らは、かえってイエス様を不信して、保護できませんでした。その結果、イエス様はユダヤ教とユダヤ民族から不信される可能性が大きかったのであり、結局十字架で処刑されました。

天の父母様は、このような状況の中で、独生女を送ることができませんでした。万が一、独生女を送れば、彼女も不信され、命を失いかねないからです。サタンが人類の真の父母となる独生子と独生女を、またみんな殺すことによって、神様の救援摂理を再び挫折させることができます。

 

 アボジは、洗礼ヨハネの妹でしたか? 誕生していたとされているのですが、

『独生女論』では、誕生しなかったと主張しているので、

その理由を説明しているわけです。

 

それは、神様は、たぶんユダヤ民族は不信するだろうと思い、

独生子は殺されるだろうけど、独生女だけは殺されたくないな・・・

 

と思われたと言っているのです・・・。

 

・・・納得できる意見でしょうか?

 

まず、神様は、絶対信仰される方のように私は思います。

 

信じて裏切られるとしても、信じて下さるのが神様だと私は思います。

 

例え、裏切られる可能性があるとしても、

 

イエス様の時も、最後まで、ぎりぎりまで、

ユダヤ民族を信じ、愛した神様とイエス様だったのではないでしょうか?

 

最初から、たぶん、不信するだろう、と思うような神様の姿を

よくもイメージできるな!

と考えた神学者さんたちの神様に対する認識を悲しく思います・・・。

 

それと、独生子は殺されてもいいが、

独生女は殺されたくない・・・、

と何故思うのか? その説明がまったくないわけです・・・。

 

イエス様も再臨できるのですから、独生女も再臨できるはずです。

 

それならば、独生女も送って、二人で勝利できるように

頑張らせたほうが、どれほど良いでしょうか?

 

神様が2000年間も導いてきたユダヤ民族をはじめから

期待しないでいたという説明・・・、

なにかおかしくないでしょうか?

 

  예수님은 가정의 중심인물을 깨우치기 위해 필사적으로 노력하셨으나 그들은 끝까지 예수님을 불신했다. 이에 예수님은 가정을 떠나 독생녀의 강림을 위한 기반을 만들고자 노력하셨지만, 유대민족의 불신으로 독생녀는 탄생하지 못하고 예수님은 십자가의 길을 가실 수밖에 없었다. 이것은 섭리에 대한 양면의 예정이었다. 인간책임분담의 수행 여부에 따라 섭리의 결과가 달라진다. 독생자 예수님에 이어 독생녀가 탄생하면, 그들이 성장하여 성혼함으로써 참부모가 되도록 예정되어 있었다. 그러나 예수님을 믿고 모셔야 할 중심인물이 인간책임분담에 실패하여 독생녀가 탄생할 수 없었고, 참부모는 현현할 수 없었다.

 

 イエス様は、家庭の中心人物を悟らせるために、必死に努力されましたが、彼らは最後までイエス様を不信しました。これに対してイエス様は家庭を離れて、独生女の降臨の為の基盤を作ろうと努力されましたが、ユダヤ民族の不信により、独生女は誕生できず、イエス様は十字架の道を行かれるほかありませんでした。

これは、摂理に対する両面の予定でした。人間責任分担の遂行いかんによって、摂理の結果が異なるようになるのです。独生子イエス様に続いて、独生女が誕生したならば、彼らが成長して聖婚することにより真の父母となるよう予定されていました。しかし、イエス様を信じて侍るべき中心人物が人間責任分担に失敗して、独生女が誕生できなかったのであり、真の父母は顕現できませんでした。

 

ここでは、ユダヤ民族がイエス様を不信したので独生女を送れなかった、

と説明しています。

 

先の、神様はユダヤ民族がたぶん不信しそうだと思って送らなかった、

という話と矛盾が生じているのがわかるでしょうか?

 

そして、イエス様が、公生涯を始められたのは、

30歳の時だったと記憶していますが・・・、

その時に、ユダヤ民族がイエス様を受け入れたら、

それから独生女を送ろうとされていたということになります・・・。

 

30歳を超えてから、独生女を送るかどうかを

決定するような摂理をされるということは、

何か腑に落ちないように感じますね・・・。

 

それよりも、先には、神様は不信する可能性を心配して送らなかった、

と言っておきながら、ここでは、それとは違い、不信したから、

と違うことを言っているのは、論理に整合性がないわけです。

 

大問題です・・・。

 

 그러나 독생자 예수님은 메시아로서 참부모가 되어 하늘부모님의 구원섭리를 이루어 드려야 할 책임이 있다. 그래서 에수님은 제자들에게 때가 되면 재림하여 어린양 혼인잔치를 하겠다고 예언하셨다. 이것은 예수님이 재림하여 독생녀와 성혼함으로써 참부모가 되시겠다는 뜻이다. 하늘부모님은 이 목적을 위해 예수님과 성령이 영적 참부모의 형태를 갖추어 타락 인간을 영적 자녀로 복귀하는 섭리를 하게 하셨다. 이것이 기독교 2천년의 역사이다. 독생자의 자리는 완성되었으므로, 참부모가 출현하기 위해서는 복귀섭리역사에서 독생녀가 탄생하셔야 한다. 그러므로 기독교의 첫째 목적은 독생녀의 탄생을 준비하는 것이다. 그리고 예수님의 재림과 참부모의 기반을 준비하는 것이다.

 

 しかし、独生子イエス様は、メシヤとして真の父母となり、天の父母様の救援摂理をなして差し上げるべき責任があります。それで、イエス様は弟子たちに時がきたら再臨して子羊の婚宴をすると預言されました。これは、イエス様が再臨されて、独生女と聖婚することにより真の父母となられるという意味です。天の父母様は、この目的の為にイエス様と聖霊が霊的真の父母の形態をとって、堕落人間を霊的子女に復帰する摂理をするようになされました。これが、キリスト教二千年の歴史です。独生子の位置は完成したことにより、真の父母が出現するためには復帰摂理歴史で独生女が誕生なさるべきです。ですから、キリスト教の第一の目的は独生女の誕生を準備することです。そして、イエス様の再臨と真の父母の基盤を準備することです。

 

統一原理では、再臨が目的ですが、

女メシヤの誕生を主張する『独生女論』では、

女メシヤの誕生が第一の目的と言っています。

 

それでは、女メシヤ誕生の摂理とはどのような摂理なのでしょうか?

 

そして、女メシヤの誕生が目的なら、新郎は女メシヤの年齢に合うように

されたらよいように思うわけですけど、そうされなかった理由をどのように

説明されるのでしょうか?

 

・・・みてきたところ・・・

納得できるというよりも・・・、いくつかの矛盾や、

解決すべき課題が見えてきた、と言ったところでしょうか?

 

私自身の立場では、やはり、『独生女論』は間違いだなという

確信が強まりましたね・・・。

 

・・・でも、この『独生女論』を毎日、

天心苑祈祷会で訓読しているのですね・・・

アボジの「み言」にすれば良いのに・・・と本当に思っているんです。

 

大きな器に、水を注ぐことを考えてみてください・・・、

精誠祈祷は、いかに水をたくさん出すか、ということになります・・・。

 

ところが、もし、大きな穴が開いていたなら、どうなるでしょうか?

せっかく、水を一生懸命に注いでも、どんどん漏れ出してしまうわけです。

 

そんなことを本当に心配しています・・・。

 

 

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