アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)の、

『み言選集』が、韓国語と日本語などでオンラインで読めるのですが、

比較してみると、韓国語のもので、まだ、日本語に翻訳されていないものが、

非常にたくさんありました。

 

紹介したい「み言」なのですが、日本語の方ではなかったので、

訳さないといけないようです・・・。

 

선생님이 뜻을 알고 나서 성진이 어머니와 결혼한 것도 내 맘대로 한 것이 아닙니다. 영계에서 지시가 있어서 한 거예요. 그 사람도 영계의 지시하에서 만난 거라구요. 그 사람 이름 최선길입니다. 

文鮮明先生マルスム(み言)選集 第49巻 154頁

1971年10月9日(土) 韓国 中央修練所

「국가와 우리의 사명 国家と私達の使命」より

 

先生が「み旨」を知り歩む中で、聖進(ソンジン)のオモニと結婚したのも自分の思いでしたのではありません。霊界から指示があったのでしたのです。

その人(ソンジン オモニ)も霊界の指示のもとで出会ったのです。その人の名前は、崔 先吉(チェ ソンギル)です。  (訳 ニック)

 

 

もう一つ、紹介しようと思うのですが、これも日本語の方は無いですね・・・

長いな・・・、頑張って訳そうか・・・汗

 

성진 어머니 집도 기도하고 다 영통한 패들이거든요. 벌써 선생님 사진을 보고 기도하니까 영계에서 가르쳐 주더라는 거예요. 참 가르침 많이 받았어요. 동서쪽에서 큰 거울이 나타나 하늘 복판에 와서 하나된다든가, 그 가운데 태양이 떠올라 가지고 세계를 비추는데 천지 동서남북의 별과 달이 쭉 둘러 서 있었다는 거예요. 그 달빛이 비쳐서 만국이 꽃밭으로 화했다든가 말이예요. 그들이 꿈같은 그런 계시를 많이 받았다 이거예요. 

文鮮明先生マルスム(み言)選集 第163巻 241頁

1987年5月1日(金) 韓国 漢南洞(ハンナンドン)公館

「남복통일의 기수가 되자 南北統一の旗手となろう」より

 

聖進(ソンジン)のオモニの家族も祈祷して皆、霊通した方達だったんだよ。

まず先に先生の写真を見て祈祷したら、霊界で教えてくれたんですね。

本当に啓示をたくさん受けたんです。東西の両側から大きな鏡が現れて空の真ん中で一つになるとか、その間に太陽が昇ってきて世界を照らすとき、天地東西南北の星と月が、ずらっと取り囲んで立っていたということです。その月の光が照らして、万国が花畑に変わっていったとかなんだね。彼らは夢のような、そのような啓示をたくさん受けたということなんだね。   (訳 ニック)

 

上の「み言」は関係ないのですが、最近、

神様はどうして男性のメシヤを送るという摂理をされ、

男性のメシヤが新婦を立てるという摂理をされるのだろうか?

(今後の機会に、このことを明確に言われているアボジの「み言」

を紹介したいと思います・・・)

 

と考えているのですが・・・、そもそも男性とは? 女性とは?

 

何故、男性中心に摂理をされてこられたのかな?

 

と考えていると、

 

神様は愛の主体、夫婦で考えると男性は愛の主体、女性は愛の対象というのが

原理原則なわけです。

 

それで、神様は被造世界に対しては、愛の主体であられるので、

男性格主体であり、神様を父:アボジと呼ぶと原理講論にもあります。

 

極端なフェミニストの方たちは、女性蔑視の男性優位の社会だったから聖書にも男性のあばら骨をとって女性を作ったとか書いてある!

などと否定して、男性と女性の主体と対象としての立場と秩序さえも無くそうとしていますが、それは行き過ぎているように感じます。

 

人間としての価値、人間としての尊厳が、女性が軽んじられ、踏みにじられてきたことが問題であったので、

女性の人間としての価値、女性の人間としての尊厳を100%完全に認めることが大切なことであるのです。

 

男性は主体であり、女性は対象であるという神様が定めた各位、秩序は

守り大切にしながら、その立場で、最高の幸福を感じることが大切なように思います。

 

女性は、神様の愛と、男性の愛の両方を受けれる、一番愛をたくさん受けれることに満足されたら良いと思うのです。

 

男性は、完全な神の似姿、愛の主体としての尊厳に満足したらいいと思います。

 

野球の超一流選手は、男性です・・・大谷もそうです・・・

囲碁、将棋、の世界トップは、必ず男性です・・・藤井君も・・・

 

何故でしょうか?

 

・・・その辺に、何故、神様は男性のメシヤだけを送る摂理をされるのかの

答えがありそうです・・・。

 

神様は、自分そっくりに男性をつくり、愛する対象として女性を

つくったという見方もできそうです。

 

主体は、対象よりも力が強いとか、頭が良いとか、ちょっと優れていないとね・・・

ということなんだと思います。

 

超一流の運動選手、思想家、科学者がなぜ、ほとんど男性なのか?

それは偶然ではなく、神様の創造の原則と関係があると見ます。

 

これは、女性蔑視とか男性擁護の考えからではなく、

神様の創造がそうであり、それは、差別ではなく、

それぞれの立場の違いということです。

 

その中で愛し、愛されて、最高の喜び、最高の幸せを満喫すれば良いだけです。

 

最高のパフォーマンス、能力の限界を追求している人たちから、

男性と女性の違いがみえてくるようです・・・。

 

結論・・・、女性は、いかに神様から愛されるか、

夫から愛される妻になれるか研究しないといけない・・・

 

なんてね!!!