今日、と言っても昨日のことですけど、いろいろ有りました~。
ちなみに、『ミリミリ!』という言葉を知っているでしょうか?
ハングルでは、미리미리と書きます。
「前もって」とか「あらかじめ」というような意味です。
私は、中学、高校とボーイスカウト、シニアスカウトをやってたのですが、
そこでの合言葉が「備えよ つねに!」でした。似たような意味ですね。
で、私の性格? は、『ギリギリ!』です。
何となく似ているようにも見えますが、正反対です。
一つ例をあげれば、中学生の時、試験があると試験勉強というのをしますよね。
私は精神力が弱いのか「徹夜」が出来ませんでした。眠くなるとそのまますやすやです。
それで、いつ勉強するのか、と言えば、ちょっと遠く、歩いて30分位の距離に中学校があったので、朝の通学の時、歩きながら教科書を読むんですね。
あとは、学校についてから、試験前の時間、試験と試験の間の時間、ですから、
一夜漬けでもない、一瞬漬けというのかな?
まあ、そういう性格です・・・今でも・・・。
でも、最後まであきらめないのは、そこだけは自分でも関心しますね・・・。
『ギリギリ』の性格はあまり良くないのですけれど、
最後まで諦めないで努力するスタイルはそんなに悪くないと思いますね・・・。
なんか雑談で終わりそうに思えてきたので、タイトルを変えようと思います。
実は、『神学の散歩道 その4』で書いていたんですけど・・・、何に変えようかな?
・・・(思考中)
あんまり、いいのが思いつかないので、そのままで行きます・・・。
長くなりそうで心配しています・・・、本題に行けるかな?
夜中の三時半だし・・・。まあ、いいか。
町内会の会計を一年間してきたんですね。それで、年度末の集計やら監査やらがあって、来月の4月7日には、総会があるんです。
で、『ギリギリ』の性格ですから、銀行での記帳、費用の引き落とし、一年間の収支報告書の作成などなど・・・、自慢じゃないですけど・・・、後回し・・・、
ブログも書き始めたし・・・
で、なになに今度の土曜日に監査する! 会長は3月31日の日曜に総会資料つくる!
うちの奥さんは、韓国の総選挙の海外投票のお手伝いで、毎日早朝から韓国領事官にいるので銀行に行けません。
それで、今日(正確には昨日)、木曜日、お昼に銀行に行って記帳しました。
それで、今日、金曜日にもお昼にいって、引き落とし、入金をします。
その準備を昨夜終えました。ギリギリ・・・。
年次決算は、今日の仕事が終わった夜にします。・・・だって、土曜に監査だから・・・
年次決算書が完成したらブログを書くつもり・・・です。
なんとなく、ギリギリ人生・・・が想像できるでしょうか・・・。
車のアクシデントやらなんやら書きたいことがあるんですけど、そろそろ本題に入ろうと思います。
『ミリミリ』でなくて、『ギリギリ』で良かった点、もう一つ・・・。
先のことをあまり考えないということは、将来に不安も感じないということです。
だって、あんまり考えないのですから・・・。
将来を悲観することがあまりなかったような・・・
でも、み言を聞いたら、永遠の人生というのが分かったので・・・
少し、未来を考えるようになってきたと思います。
・・・相変わらず『ギリギリ』ですけど・・・
そう言えば、パスポートを作ろうと思いながらも、ずっと後回し・・・。
さて、本当に本題に入ろうと思います・・・。
何を書こうか決まっているわけではないのですけど・・・。
散歩道ですからね・・・。
独生女論に関する一連の問題? の核心ポイントが自分なりにみえてきたと思います。
それをいきなり話すと面白くないので、
聖書の話をまずしますね・・・。
「再臨主は女性から生まれる」
聖書には
「再臨主は雲に乗って現れる」
というような聖句がある。
この一見、相異なるような二つの意見?ですけど、その二つとも正しいとすることができるのですね。
それは、雲に乗ってくるというのは、象徴的な表現で、篤実な信仰深い聖徒たちに現れるという意味なんですよ、と説くことです。
文字通りの意味として理解すれば矛盾が生じますけど、文字通りではなくて、象徴として、あるいは、比喩として解釈すればいいということです。
それで、独生女論に話を戻すと、
私は、
『真のお母様が初めて独生女としてお生まれになり勝利された唯一の女性です。というのは、象徴的な意味として、心情的な表現としては同意します。ただ、実際は、イエス様の時も真のお母様候補の女性は誕生していたし、再臨主の時も別の女性を真の母にしようとする摂理がありました。結果的には、そうなったということですね。』
これが、私の理解と立場ですけれど・・・、
真のお母様は、
文字通り、自分しか真の母となれる女性はいなかった。と確信しておられるようです。
ですので、この問題のポイントは、文字通りの意味で、真のお母様のみが、真の母となるべき女性であったのかそうではないのか?
真のお父様のみ言とその歩みは、男性のメシヤが妻を選択して育てるという摂理観なのですが、真のお母様は、私だけが唯一の真の母となる女性だったのです。と言っているのです。このどちらが正しいのかが論点になると思います。
私がずっと祈ってきて良心で感じた内容、悟ったないようは、
真のお母様は、象徴的、心情的にとらえるべきないようを文字通りに捉えてしまっておられるということです。
原理講論には、摂理の中心人物には、あなたが一番ある!
あなたが主である!
という啓示を神様が下さると書いてあります。
おそらく、真のお母様は、そのような啓示、そのような神様の心を強くお感じになられているのだと思います。
でも、それは、真の母として勝利できるように神様が励ましているのであったし、実際、摂理の流れから、真のお母様が最後の神様と真のお父様の希望であったわけです。
・・・その「一番である!」というのを、あまりにも文字通りに受け取ってしまわれたようですね・・・。
真のお母様の相対である母国日本でおきることは摂理と意味が深いものが多いです。
今は摂理と現実が非常に近いと言われております。
また、神様が、真のお母様とシックたちに伝えたいメッセージもあると思います。
今年の初め、1月2日に、飛行機事故がありました。
その原因は、管制塔が機長に対して、
「ナンバーワンですよ」
というのを聞いて、
「ありがとう、一番!」
と答えています。
でも、実際は、先に着陸する機体があって、「あなたが一番である」
というのを拡大解釈して事故になったとみなされております。
実は、離陸の順番としての一番であり、着陸がその前にあったんですね・・・。
それで、「一番である」という言葉を使わないようになりました。
天が、真のお母様やシックに伝えたい内容があるように思えてなりません・・・。
「一番である」とう言葉を、間違えて理解すると・・・、大変なことになるということですね・・・。
でも、もし正しいなら、それは、お父様のみ言と歩みを否定することになっても言わないとならない、言うべきと私も思います。
それほど真理は大切だからです。
例え、それで子女様が離れていくとしても、素晴らしいシックたちがついて行けないとしても・・・。
正しいなら主張すべきです。
で、もし正しくなく、一番であるの拡大解釈であるのなら、その為に、子女様が離れ、大切なシックが躓いたことになるので、大きな悲劇なわけです。
それで、信出様が、誰よりも被害を受けるのが、真のお母様なのに、それをあえて主張されるのは、どうしてでしょうか!!! 正しいからではないでしょうか!!!
と日本でも言われていましたが、それは、論理的にはまったく間違っています。
真のお母様がそう主張されるのは、ご自分が、現在、そのように信じておるからです。
正しいかどうかは分かりません。
真のお父様と正反対の主張、信念なのですから・・・。
心情的な意味で、六千年ぶりの独生女である!
というのは何も問題がありません。
でも、それを文字通りに捉えて、
最初の結婚は間違いだった、私を待つべきだったというのは、
間違っているというのが何度もいうようですが、私の立場です。
仮に、真のお父様も正しい、
真のお父様のみ言も真実である、
という立場ならば、
真のお母様の言葉は、心情的な意味として、象徴的な意味として
捉えるしかないということは言えます。
文字通り捉えると、当然、間違った結婚をした、待つべきであった、
ということになりますから。
文字通りなのか!
心情的に捉えるべきなのか!
が論点になっているのです。
雲に乗ってくる・・・を今でも文字通り信じているクリスチャンの方達もいるようです。
でも、アダム国が韓国であるのは、神様が定めた唯一のものでしたけど、
エバ国は唯一絶対としては、決まっていなかったのと同じと私はみています。
一番、いいのは、真のお母様が53年間も待たないで、真のお父様と神学論争をしてくれたら良かったのですけどね・・・。
そうしたら、真のお父様が、オンマが正しい!!!となるか・・・、
離婚しかないね!!!
となるか、
真のお母様が、説得され、アボジが正しかったのですね!
のどれかになっていた筈です。
・・・私の予想は・・・離婚かな?
オモニも頑固だから・・・
でも、心に秘めていないで、アボジと話し合って欲しかったです・・・。
もう、しかたないですけど・・・。
さあ、朝だ、寝ようかな・・・。
またです・・・。