ある春の日の朝それは起こった。

世界中の金にまつわるありとあらゆるデータが無意味なものになった。紙幣はあるが、その価値を信じる理由がなくなってしまった。

今やっている仕事が無償奉仕であることをしり、
多くの人が職場に行かなかったために、
あっという間に交通などのインフラは止まってしまった。

戒厳令が世界中の国家で施かれたようだが、
奉仕精神だけで、軍や警察を運営するのは難しく、すぐに無意味なものになった。
混乱がなかったわけではなかった。
停電も起きており、報道も通信も途絶えていたから、
ほとんどの人々の知る由もなかったが、
お金の力を信じるがゆえに一つの方向性を持ってまとまっていた国家などの、経済組織は価値の裏付けを失ってしまった。

誰にも相手にされなくなりそうになった、政治家や資本家は、保身に忙しくなってしまったようだ。


やがて人々は路上に集まり、語り合った。
公園や学校などで、薪を使った炊き出しが始まり、
人々の寄り合いが、暮らしぶりを変えていく力となった。
アスファルトが剥がされ、畑となり、身近な場所で食料の供給ができるようになって行く。

食べ物や物資がないわけではなく、むしろ十分にあるのだが、流通には皆が力を合わせる必要があった。
報酬は食べ物や現物と笑顔くらいのものだった。
物々交換やお金の代替になるものを使ってみたりもしたが、
結局お互い送り与え分け合う、ということだった。

しかし、放射性物質や化石燃料などを、
大量に輸送してエネルギーとするような消費はいらなくなり、身近で小規模の自然エネルギーを生み出し大切に使うことになった

通信でも、軍隊でも、サービス業でも、想像できるものは何でも、よみがえらせつくりだすことはできるはずだったが、
お金やそれににたものはもう無理だった。

奪うためのお金がなくなってしまったので、
治安はとても良くなった。
缶詰のために悲惨な強盗をしなくても、
スーパーマーケットなどに集積されている食べ物は、
皆に再分配された。

世界中に現れた炊き出しを、囲む焚き火の炎に映る人々の顔は、新しい暮らし方へと変わっていく日々の忙しさにも疲れることはなく、それぞれの瞬間を、己と仲間たちのために楽しんでいて、幸せだった。

皆で分かち合う食事に満たされた中「お金っていうまぼろしがあったね」と、顔を合わせて苦笑いしたりするのでした。

そして、こんなことならいつでも目を覚ませたのにねって。