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※1日しか日程が取れない方へのお勧め
下記のような参加がお勧めです。
①先ず、「順番札」を受け取る。
②当日の「奉仕手伝い(セバ)」の申込みして、自分にできるお手伝いをします。
「番号札」の順番までと、抱擁後の時間を、みんなと一緒にお手伝いします。
③「抱擁」のあと、少しだけ「台上」でアンマの抱擁の様子を1~2分ほどアンマの姿を間近で見せていただくことができます。
水も飲まず、トイレもせず、夕方~長い時は翌日の夜明け前まで抱きしめて癒し続けることがどれほどすごいか(エネルギーが解る方はそのエネルギーの凄さも)、近くで見せていただくことができます。
④最後に、「デイビィー・バーヴ(女神の祝福)」を残っていたみんなと受け、
⑤会場の後片付けをお手伝いのみなさんと片付けします。
⑥モノレール・電車の始発時間前に、駅に向かいます。
最終日の24日の17時に会場に到着して、①~⑥をその通り、やらせていただきました。
実は、先週は毎日出かけていて、とても忙しかったです。
(昨日も、「れいわ新選組」の大西つねきさんの少人数の講演会に行ってきました。楽しかったです)
■アンマさんのところに行って、何を感じられるかは人それぞれだと思います。
わたしの場合は、毎年、「修行者として修行を診ていただいてるなぁ」という感じが強いです。今年は、その感を、特に強く受けました。
●到着して並んでいると、
1.今年初めてアンマのダルシャンに参加の人(以前、来たことがある人)。
2.生まれて初めてアンマのダルシャンに参加の人。
は、別の列に分けられました。
(※この分類法は今回が初めての試みのようです)
1.に並んだわたしは、会場に案内され、左側の2グループ目の列の椅子に案内されました。
番号札は「I-4」でした。
●椅子に荷物を置いて、さっそく②の「当日セバ(奉仕業)」の申込みをしました。
わたしの場合は「花」と「料理の手伝い」です。
●18:55から、アンマさんの講話がありました。
日本語訳での内容の概要はこんな感じでした。
かなり速いスピードでの翻訳の言葉でしたので、飛び飛びでしか書き写せていませんが…。
∞⇔∞⇔∞⇔∞∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞
至高の愛である皆さまに、心からひれ伏します。
人は、小さな業績には満足せず、より高みを目指します。
◆山頂を目指す人。
◆科学者の場合もそうです。
◆ビジネスマンもそうです。より大きな成功を望みます。
◆スピリチュアルの生活では、「勇気」が大切です。
「内面の強さ」「目的への揺るぎない精神」
◆「確固とした信念」は、霊性のみならず、全ての道において大切です。
「全能のものへの揺るぎない精神」…長い結婚生活においても、…医者になるためにも、結果はすぐには出ません。1つのことを深く取り組むことが必要になります。どのような信念を持つにしても、確固たる信念を持つことが大切です。
◆人々は、あれこれと意識が次々に移り変わります。(いくつかの具体例)…これでは時間とお金を無駄にしています。
◆「霊性」…内面の美しさ。
◆人生のどのような状態も、忍耐強く待つことが大切です。
「忍耐力」こそが、あらゆる成長の基盤。
急ぐことはある程度は役に立ちますが、すべてそれで良くなるわけではありません。
自然の摂理に従うことも大切です。
◆「霊性の修行」→「師の恩寵」に委ねることが大切です。
◆「マインド」はあちこちに彷徨うのが好きです。それは「集中力」を弱めます。
それはマインドの企みです。
◆人生で成功するためには、「確固たる信念」→「目標を愛する」→「目的地」とそこに辿り着くまでの道を心から愛すれば、自然に目的に達することができます。
「目的」を心から愛することで、毎日は楽しく、祝福された日々になります。
◆「確固たる信念」は「恐れ」によって弱まります。
著名な登山家への質問…「エベレストの登頂でいちばん大変だったことはなんですか?」
「それは自分のマインドとの闘いで、「目的を達しないかもしれない」という恐れとの闘いでした。」
◆私たちは、無知ゆえに、すべてを自分の手中に得ていると思っています。
目に見えない「神聖なエネルギー」への恩寵を知ることが大切です。
◆「神の法則」…「自らの行為の結果を、自らが受け取る」
現在の善い行いが、いつか必ず返ってきて、良いことが行われます。
私たちの善い行いは「保険」のようなものです。
過去生にたくさんの善い行いを積んできた人と、悪業を積んできた人。…
「人生」は、次の人生に続いていきます。
①今すぐ消し去ることができるカルマ…それは鏡に付いた埃のようなものです。
②償いによって取り除くことができるカルマ…時間がかかる。
③慢性の胃潰瘍のようなカルマ…忍耐しかありません。
◆「行為(原因)」と「結果」との間には、
★すぐに結果がわかるもの、たとえば誰かを殴ると、相手がすぐに怒ってなぐり返して来る、といったものはすぐに結果が返るのでわかりますが、…
★熱いもに触って火傷をするような場合は、すぐに結果が現れますから、すぐに「法則」が判ります。
★通常は時間がかかる(タイムラグがある)ので行為と結果が結びつくのが見えないので、結果が戻ってくるのがわかりません。
◆私たちの手にあるのは「今」の瞬間だけです。…
私たちは「女王バチ」を捕まえることはできます。…どの瞬間でも笑っているようにしましょう。
◆「エゴ」や強欲、怒り、が「神の恩寵」を妨げます。
私たちは自分の「言動」の1つ1つに常に気付いていることが大切です。
ちょっとした言葉が、人を傷付けることにもなります。いつも「自分の言動」を見張っていることが大切です。
◆「瞑想」は…
「神を知ること」で…
優れたビジネスマンは、お金が自分をどう思っているか(お金が自分を好きかどうか)を考えることはありません。
「神」は私たちの真の財産だから…
◆「身体の健康」に関するデジタル機器はあります。でも、
私たちの「心の健康」に関するデジタル機器はありません。
心はいつも動き続けています。
ハートに刻み付けられた「神の知識」は永遠の喜びをもたらします。
◆牛たちの喧嘩を見た2人の牧童の話。
◆人生を、自分のためだけでなく、人のためになることにも使いましょう。
◆神さまは、雷(一瞬の命)、花、草木、…
悟り、愛、神さま…
◆「心の謙虚さ」という愛らしさ。
◆パートナーと仲良くするためには、毎日、相手の話を聞き、愛を伝えることです。
◆「愛」は真我に最も近く、私たちの本質なのです。
永遠に私たちの内側にあるのです。
◆「努力」は必要ですが、「神の恩寵」がより大切です。
神に明け渡すことが大切なのです。
◆この世の中、人の心、とても動揺しています。
「神の恩寵」だけが……
◆純粋で真っ白な平和の花が、空から…(以下、「瞑想」へ)
∞⇔∞⇔∞⇔∞∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞
(※途切れ途切れですが、会場に来ていた人は、思い出せるかも…)
●「世界平和の祈り」の後、お腹が空いていたので、先ずはカレーを食べて翌日早朝までの奉仕作業に備えました。
カレーは人気が高く、人がズラッと並んでいて、階下からドアを出て、隣の建物の通路(トイレ前)まで並び、その後もさらに人が増えていきました。
◆気が付いたのは、1階のドアを出ると、その先はアンマさんのエネルギーフィールドの外側でした。
並んでいたカレー希望者の列が動き始めて、1階のドアを通ると、再びアンマさんのエネルギーフィールドに包まれました。(玄関側は、どこまでがエネルギーフィールドなのかは確認していませんが)。
(要するに、アンマさんが抱擁なさっている最中も、常に会場内の奉仕者と来訪者とは、アンマさんが常に見守り、観察なさり、光とエネルギーを送り続けて祝福なさっている、ということです。
またそれとは別に、去年以前、祝福を受けた人(特にデイビーバーヴァの祝福)は個別にエネルギーパイプを繋げていらっしゃると感じられます)
カレーを食べ終わったら、友人2名と出会いました。
1名は心友の1人で、2600年前にお釈迦様の下で一緒に修行した仲間の1人(当時は彼女は男性だったそうです)です。
で、もう1人は、昨年はキッチンの手伝いにも来ておらず、電話連絡もまったく取れなくなり、他界したのかなぁ、と思っていた友人でした。
話を聞いたら、住所も変わり、携帯電話機も変えたので電話番号も変わり、昨年のアンマさん来日の頃は入院していたとのことでした。
ほかにも旦那さんが他界なさったとか、いろいろあったようです。
とにかく、無事に生きていて良かったと、最初の友人と共に喜びました。
新しい電話番号も訊いたので、彼女はわたしの古いお弟子さんの1人でもありますから、今度、一緒に瞑想してあげようかなと思います。瞑想レベルが一気に上がるでしょうから、自力で転生ができるようになれば肉体の死はとても楽で楽しくなりますからね。
●「花のセバ」のところに行ったら、暇そうで、することは何もなさそうでしたから、隣の部屋の「キッチン・セバ」でサンドイッチを包むお手伝いをして、玉ねぎを切るお手伝いをしました。
●一段落して、「花の部屋」を覗くと、仕事が出来ていました。
カーネーションの花の分解の仕事でした。わたしは「花の分解」は10年以上やっていますので、周りの人に、効率的な分解の仕方をお教えして、たちまち終わって、また暇になりました。
●なんとなく気になったので、抱擁の順番を見に行くと、「K」になっていたので、並んで抱擁を受けました。
悩みは何もないので、ただ「ありがとうございます! ありがとうございます!」の感謝の言葉だけで、あとは全詫です。
●ダルシャンが終わって、隣の部屋を覗くと、インドの女性が2人、玉ねぎを刻んでいらっしゃいました。
包丁を見ると100円ショップの包丁のようで、刃を触ってみるとやはりそうでした。
100円ショップの包丁はどんなに研いでも切れるようにはなりませんし(ステンレスの分子の粒が大きいため)、切れない包丁で玉ねぎを切ると切りにくいだけでなく、細胞が潰れて汁が飛散するので目が痛くなるからです。
それで、鍛造された和包丁を持ってきて取り換えてあげました。よく切れるようになり、「オオッ!」とよろこんでいらっしゃいました。
もう一人の方の使っていらした果物ナイフのほうは刃に触ってみると、よく研がれていました。
インドの女性の方の玉ねぎの根っこの部分の切り取り方は、日本の子供のやり方と同じで、見ていて手を切りそうなやり方ですね。
で、プロ的な玉ねぎの根の切り取り方をお見せしました。
玉ねぎは、最終的には微塵切りにするらしくて、それなら最初から玉ねぎを薄めに切っておいた方がいいので、玉ねぎはわたしが切って、インドの皆さんにはみじん切りをやっていただくことにしました(わたしは英会話は苦手なので、暗黙の了解の中ですが)。
で、玉ねぎをたくさん切っていると、隣では微塵切りになさっているので、さすがに目が痛くなってきて、交代していただきました。
※キッチンのセバの人が、もしこのブログをご覧になっていたら、キッチンでは大量の野菜を切りますから、来年度からは、
◆「100円ショップの包丁」は持って行かないで(今回はたくさん含まれていました)、
◆ステンレスでも鋳鉄でもどちらでもいいですが、よく切れる包丁を選んで会場に持って行っていただけるようお願いします(包丁を借りる場合は、柄の部分にテープで名前を貼り付けておけば、終わった後に所有者に返却できるでしょうから)。
●こうして、メインは「花の分解」を。手が空いたら「玉ねぎ切り」を、を繰り返していました。
●12時過ぎになると、「花の部屋」に販売用のケーキが配られました。
おそらく、アンマさんから弟子の方たちに指示があって、奉仕者の方たちに祝福としてくださったのでしょうね。
アンマさんの現象界の身体はひたすら会場の参加者の方を次々と間断なく抱きしめて続けていらっしゃいます。
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このレベルの女神さんは、目がたくさんあり、手もたくさんあり、と絵画で書かれるように、一度にたくさんのことを同時になさっている無限意識の存在さんですよね。
●実は、そのもっと前に、花の部屋の衝立の外側に呼ばれて、生花の入れてあった大きな容器が空いたのがたくさん置いてあり、どなたかが全部洗ってくださっていたようで、
その容器をわたしに全部拭いてください、と頼まれました。
◆いちばん大きい入れ物を1個選んで、水分が全く残らないように水分を綺麗に拭き取りました。
底の部分が凸凹していて、結構手間がかかることがわかりました。
容器は全部で35個くらいはある感じです。
そばを通りかかった「花のセバ」担当の女性の人に、「これらの入れ物の水分を拭くのを手伝ってもらえませんか?」と頼みました。
「今は●●の仕事をしているので、それが終わったら手伝いましょう」という返事でした。
立ちっぱなしの作業だと非効率なので、「花の部屋」から椅子を1つ持ってきて、腰を据えて丁寧に容器の水分を次々に拭いていきました。
手伝いを依頼した人は、やって来ません。
あの人は、華やかで楽しそうな「花」のほうの仕事が好きなのかも知れないな、と思いました。
そして、「容器の水分拭きワーク」を頼まれる少し前に「花の分解ワーク」をしていましたが、その時の周りの方たちとの会話の中で、
★「カスミソウ」の小さな花の分解作業をしながら、「こういう小さくて面倒で、かつ地味で成果として見えにくい仕事を、他の人に回さないで自分で引き受けてこなすことは、そういう意味での功徳になるのでしょうね。」
★「ただし、「功徳」を得ることを目的として行う奉仕は、あまり優れた奉仕ではなくて、功徳としては質の低い功徳になるかもしれませんし、
★そのことに全く気付かないでその仕事をしても、「無知」ということであまり大きな功徳にはならないかもしれませんし。
★そうしたことを全体的に気付いていながら、功徳の大きさなどに全く囚われないでその仕事ができる、といった微妙なバランスが要求されるのかもしれませんね」
などと、わたしが話していたことを想い出しました。
その時は、カスミソウともう1つの紫白の小さな花と、黄色い小さな花の解体全部やり終えましたが、
もしかしたら今回は「花の容器拭き」でアンマさんに試されているのかも知れないな、と感じました。
もしそうであれば(そうでないかもしれませんが)、これらの容器は自分一人で拭き切ろうと決意して、心を込めて丁寧に全部拭き切ることを決意しました。
残り8個くらいになって、容器を取り出すと、その下の容器はそこに水分がなく、乾燥していました。
「あれ? この下の残りは使わなかった容器なのかな?」と思い、調べてみると、残りは全部、未使用の容器のようでした。
他の容器の水を移して貯めていた大きな容器の水を炊事場で捨てて、その容器を綺麗に拭き終わり、全部の容器を種類別に、大きさ別に整理して積み上げたところに、「容器の水拭き」を依頼した人がやってきました。
「全部、水を拭き終わりました」と報告して、水拭きに使った厚いタオルを手渡すと、
「ありがとうございます。ご苦労様でした」と言われ、厚いタオルを台所の方に持って行かれました。
この絶妙のタイミングで係りの人がいらっしゃること1つを取って見ても、アンマさんの会場全体の采配の凄さが感じられますよね。
●12時過ぎに配られた、お菓子の話に戻ります。
小さな袋に入った煎餅やアラレなどが、「花の分解」をしている各人に配られました。
そして、それとは別に、美味しそうなケーキとそれほど魅力的ではないパンとかが入ったビニール袋が、なぜかわたしのところに、たくさん置かれました。
わたしは「当日セバ(※いわば臨時雇い)」で、「花の責任者」は別にいらっしゃいます。ただ、わたしは今回で「花の分解作業」そのものは十数回目でベテランではあります。
これらの袋の中身を公平に分配するように、と感じましたので、
一緒に分解作業をしている人たちに、「これらを隣で包丁で切ってきますね」と了承を得て、隣のキッチンで全部を4つに切って部屋に戻り、バランスのとれた形で2つずつを配りました。
で、わたしが最初に頂いていた袋入りのアラレは、中のアラレ1個1個が個包装されていたので、食品売り場の友人に一昨年にキッチンの残り物をいただいたので、持って行って彼女の隣の男性セバさんとみんなで分けていただきました。
袋の中身はまだいくつか残っており、そのあとで銀紙に入ったチーズが3個追加で持ち込まれました。それらは、欲しい人が食べたらいいと思い「好きなものをもらってください」と言ってそのまま置いておきました。
ところが、いつまで経っても誰も食べないでそのまま置かれたままです。
ここに、わたしの勘違いがあったわけです。
個別の袋入りの煎餅(たぶん三幸製菓の「ぱりんこ」)が最初にみなさんに配られ、
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わたしからは「子袋入りのあられ」が配られたときに、「いいものを貰いましたね」という声が上がりました。
わたしは、まだ煩悩をお持ちなのかな? と受け取りましたが、実は、「単なる称賛の言葉」だったようです。
配られたもの以外は誰も手を出そうとされないまま、時間が経過していきました。そして、最後までそのままになってしまいました。
(わたしは「花の部屋」の片付けをあらかた済ませて「デーヴィー・バーヴァ」に参加し、最後の片付けは舞台周りの後片付けをしましたが、
おそらく、最後に「花の部屋」を片付けた人たちで、残ったお菓子類を分けられたものと推察されますから、それはそれで適切配分されたとは思います)
要するに、みなさんの精神レベルは予想以上に高い方たちが「花の解体」の場に集まっていらしたのです。
わたしも、久々に修行者としての心構えを想い出して作業をしましたから、精神集中が不足していたようです。
①わたしが目の前に置かれていたお菓子を、わたしが全部、配り終える必要があったのでしょう。ずっとそのお菓子のことが気にかかっていましたので。次回からは、このことを理解して改善するつもりです。
②わたしが、美味しそうなお菓子を、自分の分配分にも入れたのは、アーモンド切片がたくさん付いた美味しそうなケーキが人数分あったのでそれは問題ないのですが、
実は、「好きなものをもらってください」と置かれたお菓子を余分に食べたのは、結果的にはわたし1人でした。
次は、そうした潜在意識下の欲求も注意深く調御するように努めるととも、守備範囲をもっと広く広げることを心がけようと、今は思っています。
ほかにも、いろいろありましたが、
たとえば、「花の容器の水拭き」をお願いした人は、みんなが「花の解体」をしている時も周囲を片付けたりなさっていましたから、華やかなことだけがお好きなわけではないということが、あとでわかりました。などなど。
今回は、アンマさんの下で、とても良い瞑想修行をさせていただきました。
では、今回のブログはここまでとさせていただきますね。
いつもありがとうございます。
みんなが神の子:神の子クリシュナ