■では、たこすけさんの瞑想体験の続きです。
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「外側」に行ってはいけない理由は、平たく言えば、俺の心が死んでしまうと思うからです。
たとえ話としては、テレビでやっているマンガ、その登場人物が、テレビの外側へ出てしまう感覚です。
テレビの外側に出てしまえば、その登場人物は消えてしまうわけです。
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66: 霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2 :2014/05/06(火) 13:47:27 ID:z6Xl.VRM0
時間うんぬんの話もさ、俺も体から出て上昇していって地球を外から眺めたら、
無限にある地球が見えて、無限にある過去、無限にある未来、その全てが無限にある今、
全てが一瞬の一コマ、あらゆる瞬間の可能性の全てが既に同時に存在してるって感じで見えて、
自分の意識(個別性)の光線がそのどの瞬間のどこの誰にフォーカスしてるかが、
肉体人間を生きるってことだ!とか、そんな体験をしたんだよね。
ヨーガに7つの宇宙論ってのがあるんだけどさ、下から
1番目が物質、肉体の世界、
2番目が気とかエネルギーの世界、
3番目がいわゆる霊界宇宙
6番目はアートマンって言って、7が無なら6は有で、
7番目はブラフマンっていって、1-6とは大きく種類が違う。
7の中からあらゆる存在や世界、意識を顕現させる大本、
だから6の中にそれ以下のあらゆる世界が含まれてると言える。
神の本体といってもいいと思う、で1-6は神の体って感じ。
で、第6世界の中に含まれるあらゆる世界は実際6とその倍数の12が、
世界を作り出すのに深く関わってると思う。
2番目の世界は1番目の世界と深く関係してるエネルギー世界って感じなんだけど、
その世界の「気」自体は元から無限に広がっていて、遍く満ち満ちていて、あらゆる存在がそのエネルギーをやりとりしてる。
たこ助さんが今までやってきたことは、
意識を2番目の世界に移して、その遍く満ちたエネルギーに意識を広げてるんじゃないかな。
「その声」はあなたに関係してる3番目以降の世界から来てる何かだと思うしね。
(※この部分は、参考になる部分だと感じます。
ただし、この方は本の知識や体験は多いようですが、「エゴ」のほうは浄化が必要な方のような感じを受けます。心が清らかな人は、「名は体を表す」という法則を会得していらっしゃるだろうからです)
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無限にある地球というイメージは、
俺の感じた「複数の状態が同時に共存している」という感覚と似ています。
俺の認識では、意識と世界は分離されたものでした。
俺たち生命とは、この世界を厳密な意味では見ることが出来ません。
そこには、俺の認識の限りですが、12の構造による、いわばフィルターのような物がかかっていました。
しかし、これらの12の構造によって個は有り、
その表現の一形態として「意識が放つ光線のフォーカス」という表現は、
見ている場所が違うだけで、とても的を射ていると個人的には思います。
●(100) ここからは、俺が5月7日に体験した出来事を書かせていただければと思います。
■「幸福感」に身を委ねない
今回の目的は「声」に、いくつか尋ねたいことがあるということ。
加えて、「あの場所」の外側へと向かうことにあります。
この幸福感にすべてを任せれば、一気に自分は広がることが出来ます。
しかし、この幸福感は影でしかなく、自分の導き手ではないのだと言い聞かせました。
■世界との一体化をより詳しく
やがて、自分はエネルギーとなり、地球を満たし、太陽系を満たし、
やがては宇宙をも満たして行きます。
「世界を鳥瞰する」という言い方が正しいのかどうか分かりませんが、
この体験の時に見る世界は、非常に美しいものです。
俺は数学がカラッキシなのですが、世界を満たしているのは数的公式であり、
それが複雑に絡み合う様は、まるで寸分違わず噛み合った歯車を見ているようです。
仮に世界に意志があるとしたら、
無数の美しい歯車が、規則正しく回転し、
エネルギーを伝達する様を眺めることが出来るかも知れません。
すべてと一体化しても、宇宙は自らの意志で物事を決定することが出来ないのです。
人間は自らの意志で、自分の行動を決定することが出来ます。
そして、人間はその意志によって、この宇宙を埋め尽くしている「透明な歯車」、
この動きをコントロールすることが出来るのです。
■幸福感のない「あの場所」
宇宙を満たした俺は、すべてと一体化し、宇宙の外側へと向かいます。
複雑な回路とも言うべきエネルギーの流れに乗って、俺はさらに広がり続け、
再び、「あの場所」へと訪れることが出来ました。
12の構造が無限に広がり、そこに無数のエネルギーが合流し、
複雑な光の流れを作り出しているように見えました。
その時点で、自分には幸福感がないことが、従来の体験とは異なっています。
■「声」との対話
「この外側には何があるのだろう」
それを知りたい欲求に身を任せようとした時、その音は聞こえました。
何度体験しても、それは「音」であり、耳で聞くものではないように思えます。
「この先は見ることはできません」
その声を幸福感の中で聞く時と、それが無く聞く時とでは、印象は異なっていました。
身を焦がすほどの至高の体験のように思われた、その「音のような声」からは、
半ば焦りすら感じられるように思えました。
「この『声』は、自分を導くためのものなのか」と尋ねると、
「この先へ行くべきではありません(見るべきではありません)」というニュアンスの答えがありました。
「本当にこの『声』は、有りて有るものなのか」と尋ねると、
「有るとは、それが成りて有るものです(成りて成る、いかようにも成るものです)」というニュアンスの答えがありました。
「なぜ、この先を見てはいけないのか」と尋ねると、
「この先には成る前(有るより以前)のものがあります」という答えがありました。
「それに触れることが、いけない理由とは」と尋ねると、
「成ることこそが有るであるからです」という答えでした。
「この『声』は神によって作り出された制限か」と尋ねると、
「成りて成るものによる制限ではなく自分自身の制限です」と答えました。
(※たこすけさん自身が、3~4次元宇宙内の「エネルギー」だからでしょうね)
声を振り切り、エネルギーから、まるで「光」のようになった自分は、
1つ1つの12の構造を満たして行きます。
この「構造」を受け入れると、再び自分がオーバーヒートしてしまうことを知っていたので、ただ、エネルギーに身を任せるだけです。
■「その場所」の外側
大きく大きく、しかし、そこでの体験は「自分が広がり続ける」のではなく、
自分が「引き延ばされている」ような感覚でした。
すべてを満たし、すべてと一体化し、
流れ込もうとする「12の構造」を、「理解したい」という好奇心を打ち消すように。
すべての12の構造を満たした時、俺はそこから「その場所」を眺めていました。
その時の感想を書くことは、非常に難しいのですが、
「すべては波だったのか」と言う驚きが、第一にありました。
「この世界」はありませんでした。
無数のエネルギーが交換される空間において、「宇宙」とは、エネルギーが交換される結果、
エネルギーの集中が生み出した、いわば「影」のようなものだと思えました。
この宇宙とは波であり、表現の仕方が見つからないのですが、
その波が一際大きくなる場所に、物質が生まれているように思えたのです。
その「波」も、おそらく人間の「意志」と関係があるのかも知れません。
俺は、引き延ばされ続け、広がり続け、「その場所」の外側へと向かいました。
■「成るもの」を見る
強烈な重圧のようなものを感じました。
海底で強烈な水圧に押しつぶされるような、
あるいは、高い場所から落ちて行く時に感じる風圧のような。
意識がもうろうとして、必死になって「見る」ことしか出来ませんでした。
「その場所」の外側には、漆黒の闇と、無数の光がありました。
その光は大きな流れとなって、まるで銀河のような流れへと溶け込むように、
何もかもが、あまりにも美しく、俺の稚拙な文筆では、表現できません。
それは、まるで宇宙のようでした。
俺は、そこを見ていますが、見ていません。
既にそこにある「自分」は、「自分」ではありませんでした。
さらに大きな意志とでも言えば良いのか、俺は巨大な精神活動のようなものの中で、
そこで僅かに「自分」を認識しながら、かろうじて、その場所を見ていました。
自分は、自分ではない。
そして、「成りて成るもの」の内側に自分たちはいるのです。
それは、絶望にも近い、何もかもすべてが分かったような、
悲しみにも似た感情でした。
美しすぎ、あまりにも悲しく、そこを見るべきだったのかどうか分からないまま。
俺はゆっくりと目を開きました。
既に、とっぷりと陽は落ちて、公園は夜になっていました。
果たして「神」とは、本当に有るのでしょうか。
そして、自分とは、本当に有るのでしょうか。
なぜ、人は「神」を感じ、その神とは「成りて成るもの」なのでしょうか。
上の質問は、「エゴ」が生み出す影の問いかけなのでしょうか。
エゴがある限り、真実には近づけないのかも知れませんが、
エゴがなければ、真実に近づこうとすることが出来ません。
自我を無くすことが果たして、本当に悟りなのか。
そして「悟り」とは、「成りて成る」ものと一体化することなのか。
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※「悟り」には、いろいろなレベルがありますし、いろいろな内容がありますし、いろいろな悟り方があるでしょう。だから、これが「悟りだ」という1つのものがあるわけではないでしょう。
たこすけさんの体験と理解も、そういう意味での「悟り」の1つだと感じます。
たこすけさんの場合、「神」と「真我」と「魂」と「神々」との関係や、
宇宙の全構造と仕組みなどの事前知識が今生ではまだお持ちでないので、瞑想体験の理解に苦戦なさっているように見受けられます。
●本源の意識さんは、「在りて在るもの」であり「すべてのすべて」ですから、
「成りて在るもの」ではないでしょう。
◆でも、「根本創造主」さんは最初の「神の一人子(成りて在るもの)」であり、
全ての宇宙(体験の場)と真我たち(ないし魂たち=代理体験者たち)とすべての宇宙の構成要素(体験ツール)とは、
「根本創造主の中」に、根本創造主の意識とエネルギーによって(原質量として)創造されましたから、
「成りて在るもの」は「神」でもありますよね。
◆「成りて成るものたち(魂たち)」には、さまざまなレベルのものたちがいますが、高次元の「神々」は、あくまでも「人格神(神々)」ですよね。
◆「魂の系譜」とは別に「非人格神の系譜(根本創造主→大宇宙創造主→銀河宇宙創造主→恒星創造神→惑星創造神)」という系譜もあるようです。
★たこすけさんの体験の「声」は、そのどちらの系譜の存在を指しているのでしょうね。
●「エゴ」を「自我意識」とか「個別意識」と訳すのであれば、地球で「悟り」と「解脱」の道を示してくださっている如来さんたち、菩薩さんたち、聖者方は、個別意識を持ったままでアセンションし、「神」と出会い、そして「神のすべて」を識る方法を示してくださっていますよね。
※宇宙が何階層(何次元)あるのか、意識次元が何階層あるのか?
については、先月からのブログでお釈迦様の宇宙論、ヨガ瞑想体験、さまざまな先進宇宙人さんたちの意識次元の解説として述べさせていただいています。
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(釈迦牟尼の宇宙観…これを何次元(何階層)と数字でくくるのは好みの問題かと…)
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(※「非人格神」の意識の系譜…超越意識→宇宙意識→神意識)
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ほかにも先進宇宙人さんたちからの情報があるかもしれません。
新たに見つかれば、今後、掲載させていただきます。
では今回は、ここまでとさせていただきますね。
いつもありがとうございます。
みんなが神の子:神の子クリシュナ