春も夏もほとんど無かった。4月5月の季節はほぼ「部屋」で、梅雨だけはなぜか確かにあって、そのあとはまた「部屋」がきた。時々梅雨が甲斐甲斐しく様子見に来て、また部屋になって、8月も終わった。


 「おうち時間」「ステイホーム」的なキラキラ自粛生活的なポジティブシンキングの流行には救われた。こう見えて私は元気な空気に流されやすいし、流されにいく。「現状無理のない範囲ででき得る最も明るい手段」を取ることをモットーとしているので、結果的にそうなる。まず明るくなっといて、後から暗くなっても別にいい。ずっと暗いよりマシだと思う。むしろ初速に乗り遅れてマイナスからのスタートになるよりずっといい。


 キラキラ自粛生活になんとか載せていただいたものの、梅雨で完全にダメになった。雨が嫌いで嫌いで、それにはどうしても勝てなかったという感じ。毎日ベッドの上で、しょっぱめの種ぬき干し梅のようにひしゃげて、雨とコロナとこの世の全てを呪った。な~にがステイホームだ、そもそも「キラキラ」と「自粛」はくっつけられていいものではない。冷静に考えて不自然すぎてクソコラみたいになっちゃっている。


 今 何と闘っているのか、もう分からない。何を憎んで、何を頼って生きればいいのか分からない。でもあの時期、先行きが見えない今をほぼ祈りに近い気持ちで、気持ちだけでなんとか乗り越えんとした我々はきっと歴史に残る健気さだったかもしれない。不適切な呪いはコスパが悪い。本当の敵を明らかに見極めないといけない。かなりめんどくさいけど。


 


 

 

  親の指示で抜けた乳歯を全て保管していましたが、部屋に人骨の欠片を保持していることが不気味になってきたので、昨日、城ヶ島の海に流しました。

 これって海洋ゴミ増やしたことになりますか?土に還るからセーフですか?

 代わりに今まで乳歯を入れていたケースに、海岸で拾い集めたサザエの蓋を詰めて帰りました。そんな昨日が私の今年唯一の夏でした。





追記

それでも「部屋」でも「夏」でもない場所に連れていってくれたお芝居・作品に 常に、心から感謝しています 演劇の灯を繋いでゆけますように。