「立派な親」
「素敵な母親」
「きちんとした育児」
そんな目標を無意識に立てて
わたくしは苦しんでおりました。
ストイックに妊婦をやって
ストイックに育児をやって
“ストイック”が好きな性分でありますゆえ
きっと
「頑張っている感」を味わえて
自分にとって
メリットもあったことでしょう。
しかしながら...
苦しい
窮屈だ
違和感だらけだ
ということで
|立派な親|
|素敵な母親|
そして
|ちゃんとした子育て|を
やめた。
そうしたら、
なんとゆ〜ことでしょう。
我が子が...
我が子が...
可愛い
ではありませんか
こんな風に感じられるようになったも
ついの最近でございます
頭では
「立派な親とか、きちんとした子育てとか
そういう違和感になることは
もうやめよう」
と判断しても、
「いや、これをやめたら
子どもがダメになるんじゃないか⁉️」
「何か怖いことが起こるんじゃ⁉️」と
止めてくる✋
だから、
力を抜いて
我が子を見つめられるようになったのは
最近のこと
我が子が8歳になった頃から。
この、
力を抜いて我が子を見つめている時に感じる
|幸福感|って実は、
「我が子を愛でることが
できるようになった幸せ」
ではないのよね。
まずは、
自分に課していた
ルール
目標
を手放して楽になれた
解放的な|幸福感|✨
それから、
「子どもが大きくなった時に」とか
「この先」とか
|未来|への不安から
自分を解放してあげると
↓
|今|
|目の前|に意識が向くようになる。
↓
すると...
目の前で
くしゃみした我が子の
一瞬の表情とか
トイレに入る前に
少しズボンを下ろして
お尻が見えてる後ろ姿とか❤︎
そんな
なんでもないことが
目に入ってくる。
↓
その
『何も生み出さない』であろう一コマに
|すべて有る|
を感じる。っから同時に
ワンセットで欠乏感も消える。
その
目の前の一コマが
「そうで在るだけ」 なだけで、
その一コマに
「私の心が動いた」 なだけ。
その
ごく|自然|な空間、時間が
幸福感を感じさせてくれる。
だから、
我が子を「可愛い〜」って
思うようになったのは
それこそ 私が
何か立派になったからでも
人間として成長したからでも なく
|逆|で
自分に付け加えていたもの中で
違和感を感じるものを
長年かけて
一個一個 やめたり
手放したりして
|本来の自分|に戻ってきたから。
地球を選んで
地球に生まれて
人間をやっている今、
子育てが大変な体験も
我が子を好きになれない体験も
立派な親になる体験も
素敵な母親になれなかった体験も
全部
「いいよいいよ〜」
としか源は肯定してこないのだから、
あとは、
魂と相談して
『自分にとっての違和感』は外しながら
たくさんいろんな体験をしてゆくだけで
10,000,000,000,000点満点
こんな気づきも
そこから湧いてくる幸福感も
実際に親になる選択をして
子育てをやってみて
違和感を感じて
「もうやめよう」とやってみて得た
副産物たちです❤︎
副産物はそれだけではない。
気がつけば...
我が子が伸び伸びしとる。
我が子が母親の私が笑うことが増えて
安心しとる。
当初、私が欲しがっていたモノが
「もうやめた」と手を離したら
気がつけば
目の前に現れていた✨
そんな副産物も受け取れた
#どこを通ったっていい
#その道を通っただけ♡
#変更したっていい
#変更しただけ♡