造次も必ず是においてし顛沛にも必ず是においてす
(里仁第四 5)
(造次、顛沛=とっさの時も、転倒しそうな瞬間、
つまり、どのような時も、の意)
『(君子は)どんな時も(仁を)心がけている』
「日々夜々行住坐臥にこの心を忘れずして---」
原意は、『スタート時のフレッシュな決意を思い出せ』
よりも、むしろ『未熟さを知れ』にある-----
「花鏡」世阿弥 応永31年(1424年)
常なる心がけをするにも、物の性格から、自ずから
緩急があるのではないか。世阿弥の心底に、仁への心
がけを芸術大成の中で実現しようとの意志を感じ取る
ことができるとすれば、造次顛沛、行住坐臥、修業の
ありようを見て、高みへの希求を忘れるなということ
になる。
(久井 勲)