教えざる民を以て戦う、是を棄つと謂う (子路第十三 30)
『ろくに教育も施さないで戦えというのは、民を棄てているのと同
じだ』
1806年ナポレオンに屈服した南ドイツ地域は、ナポレオンの
ための戦役負担にあえぐことになる。学究の人フィヒテは祖国愛
に燃え、前後十四回の講演を行なう。「新しい教育の創始者に
なってくださること、---そしてつぐないをするとともに、将来における
正しい地盤をきづいてくださること---」 この後、1813年、プロシア、オ
ーストリア、ロシア、スウェーデンの連合軍は、ライプチヒの戦いで、
ナポレオンに勝利する。
-----「ドイツ国民に告ぐ」 フィヒテ 1807年
畢竟、国の基本は教育力にある。