歳をとってくると体が硬くなると言うが、これは言葉の誤用であり、誤った認識である。
 硬くなっているのは、骨ではなく、筋肉である。
 話を脱線して、骨の話を先ずすると、高齢になると骨粗鬆症などになるが、昔は骨粗鬆症と呼ばずに、骨軟化症と言っていた。現代では、発症のメカニズムの違いによって呼び分けている。骨は、カルシウムを主成分とするヒドロキシアパタイトと、タンパク質を主成分とするコラーゲンが複合して出来上がった複合材料である。このうちカルシウムが少なくなるものを骨軟化症と呼び、タンパク質が減るものを骨粗鬆症と呼んでいる。
 骨軟化症の場合は、カルシウムとビタミンDを補充し、骨粗鬆症の場合は、タンパク質とビタミンCを補充する。骨が弱くなった場合、どちらであるか鑑別診断をして、それぞれに合った治療が行われる。

 さて、話を戻すと、体が硬くなったと言った場合、硬いと言われているのは筋肉である。
 筋肉は、人間などの動物が動作をする場合に、骨格を動かすためのモーターの役割をしている。スイッチが入れば縮んで硬くなり、スイッチが切れれば緩んで柔らかくなる。これを繰り返すことで、様々な動作や運動を行う事が出来る。
 さて、筋肉が硬いという状態は、常に神経から縮むようにと電気信号が筋肉に入力されている状態である。筋弛緩剤やボツリヌス毒素や神経麻痺で、神経が作動しなくなった場合、筋肉は緩んで柔らかくなる。
 再び話は脱線するが、昔、手術をする際に、痛みで筋肉が縮んで硬くなり、手術が難しかった。そこで筋弛緩剤と局所麻酔薬が発明されて、手術をしても手術部位の筋肉が硬くならなくなったので、安全に手術をすることができるようになった。これが、西欧医学の大進歩であった。
 話を戻すと、つまり、筋弛緩剤を使えば、誰でもすぐに硬くなった筋肉は柔らかくなるのである。

 さて、「歳をとってくると体が硬くなる」ということを再度検討してみよう。問題は骨でも筋肉でもない。筋に対して持続的に緊張するように、指示を出している神経の問題である。
 体が硬いという事は、神経系の問題である。このように認識できていなければ、「体が硬い」という現象を把握できていることにならない。

 さて、なぜ、神経系は、筋肉に縮んで硬くなるように常に信号を発しているのだろうか?。子供の頃に、怒られたり怖かったりすると体を緊張させて固めて我慢するということをする。また、重い物を持ち続ける際に、心が疲れないように、重い物を持っていることを忘れて、腕の筋肉を固めて持ち続ける動作を続行する。
 我慢や苦痛を忘れるために自分のやっていることを無視するなどが、神経系が筋肉を持続的に固める原因である。

 だから、針灸や整体では、一瞬で体を柔らかくすることができるのは、この神経系の認知の歪みに介入するテクニックだからである。
 筋肉そのものがゼリー状だったものが餅になり冷えて硬い餅になるというイメージは、誤った認識である。
 針灸師は上述した認識を持っているので、様々な治療ができるわけである。つまり、誰でも「認識」さえ変えれば、一瞬で体が柔らかくなる。

 さて、ここからが話したかった事である。
 歳をとってくると体が硬くなるのは、誤った認識を多く抱え込んでいるからではないだろうか?。老人性の被害妄想は、誤った認識の代表的なものである。また、自己に関する拘りも、誤った認識である。筋肉を固めることのひとつに、「恐れの感情」がある。他人や周囲や自分の将来に恐れの感情を抱いてる人は、身体が硬くなる。当然の事である。ここを掘り込んでいくと、「治療」という概念が非常に広がっていくのである。友人で時々米国の大学で教えている人は、「体が硬いのですが」ということを聞くと、「筋弛緩剤を打ってもらえば」という冗談を言うのである。精神病には2種類あり、脳機能の異常が身体の不調に現れることを心身症と呼び、感情や思考に不調が現れることを神経症と呼んでいる。

 肩が凝って首の筋肉が硬くなっているので針灸院に行こうと思った人を、針灸師はこのように分析して治療しているのである。つまり、コンピュータサイエンスでいうプログラミングである。