今日は終戦記念日ですか。
 村上龍の『限りなく透明に近いブルー』という本に描かれた世界の意味を考える日ですね。
 つまり、この日で終わりにして良かったと考える人々と、もうちょっと何かできたのではないかと考える人々がおり、この日が境目だと思います。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は、終わりにして良かったと思っていた人々に対して、本当にそう思っているのか?と現実を突き付けた本でした。それは三島由紀夫の意味とは正反対のことから出て来た作品でした。
 柄谷行人は、"A basically base novel based upon the base"と評したそうです。
 最近の若い人は、この本を読み解く学力があるのだろうか?と、ちょっと心配です。僕は個人的には井上靖の『三ノ宮炎上』が好きです。この二冊を合わせて読むと、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の主人公が追い求めていることが何か分かると思います。

 それは自由というものが抑圧や弾圧というものがなければ非常に弱いものであるという逆説的な性質であり、戦前は軍国主義による弾圧、戦後は米国政府による弾圧が行われており、前時代の弾圧から逃れたが現在の抑圧にはどっぷり漬かっていなければ自由が感じられないという人間性の闇です。

 石川啄木の『時代閉塞の現状』にあるように、あの閉塞感から開放されるために、軍国主義による抑圧を受け入れたと考えると、さて、現在の我々は『限りなく透明に近いブルー』の抑圧から解放されて何をしているのだろうか?という疑問が、終戦記念日の思索にはふさわしいと思います。