今日、不動産屋に行った帰りに、渋谷のいつもの喫茶店に寄ったら、混んでいて席が無かった。
 最近では、その喫茶店は平日でも混んでいるから、今日は土曜だから席は無いかもしれないなと思っていたが、やはり無かった。
 ということで、近所の二・二六事件の慰霊碑を見に行った。向かいのNHK放送センターでは、タイ・フェスティバルをやっていた。タイ・フェスティバルのついでに二・二六事件の慰霊碑に来る人など、もちろん、いない。

 けれど、碑を見ていると、十代の若い女性から声を掛けられた。これは何の碑ですか?と尋ねられた。僕は、二・二六事件は御存知ですか?と聞いたが、知らないとのこと。日本が戦争に負けた事は知っているのか尋ねると、それは知っているとのこと。日本が戦争に負ける前の時代で、財閥があった時代の事件だと言うと、財閥という言葉を知らないようであった。クーデターという言葉も知らなかった。それで次のように説明した。

 戦争の前は、日本の貧富の差が大きく、貧しい人のために、お金持ちや政治家を殺した人々がいて、その人々は死刑になったのであるが、貧しい人々のために何かしようとした気持ちを汲んで、慰霊されている。そのように説明した。

 彼女は「人を殺した側を、祀っているのですか?」と再確認してきたので、「そうです。殺した側ですが、貧しい人々のために行ったという理由であったので、それを称える人もいるのです」と説明した。

 約100年前のことですと言うと、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の出来事ですかと確認されたので、そうですと答えた。
 「頭が良さそうなので、この碑がなんであるのか説明してくれそうな気がして、声をかけた」とのこと。そうかな?と思ったが、そういえばMITの教授は、僕のような恰好をしていたことを思い出した。

 彼女の日本語はしっかりしているが少し硬いので、海外で暮らしていた日本人であろうなと思った。ここはワシントンハイツの南のはずれなので、こうした碑などの歴史に興味をもってくれれば、二・二六事件だけでなく、戦後の様々なことも知ることになるだろうと思った。

 ワシントンハイツという言葉を知っている人は、現在、ジャニー喜多川氏の性犯罪が暴かれているが、それが起きていた現場は、まさにこのワシントンハイツの中であったと知っている。ワシントンハイツは、日本人の立入が禁止されていた地区であった。ワシントンハイツで草野球をするというチームが「ジャニーズ」であり、ジャニーズのメンバーは日本人が立ち入れない場所に入れたのである。