人工知能AIは、単語を定義の明確な記号として数学のように扱うから、人間のように言葉を様々なイメージの複合体としてとらえることができないというのが利点でもあり欠点でもあるのだが、このことが現在の人工知能音頭を踊っている人々の多くに理解されていないような気がする。
 どういうことかと言うと、人間のようにイメージの複合体で単語を扱うことができるように人工知能を作っていくと、80億人に、人工知能が一人加わるだけとなって、ほとんど役に立たない物が出来上がるだけである。99%の人よりも人工知能の方が優秀だろうが、所詮、一個の個性が出てくるに過ぎない。
 僕は、単語を定義の明確な記号として数学のように扱う機械を作った方が有益だろうと考えている。いわゆる推論マシンの発展型である。総当たり的に答となる可能性の組み合わせを膨大に作って、評価関数によって刈り取っていき、答をだしていくという旧来のマシンである。
 そこで、問題となるのが人間の能力の低下である。
 有限要素法(FEM)による強度解析が普及していった初期に、どうも変な答をだすので、みんなで「またコンピュータが間違った」と笑ったものである。そのFEMソフトを作ったメーカーに尋ねてソフトウエアがどのように設計されているのか聞き出すと、強度計算の方程式を一番単純なものしか組み込んでいなかった。物の材質によって強度計算式が異なるという常識が、ソフトウエア開発者に無かったので、ソフトウエア技術者の無知により「時々、間違うコンピュータ」が出来上がっていた。
 現在も、おそらく同じで、人工知能はコンピュータの中で言語処理をしているわけであるが、国語学者が見たら、「その国語の学説は間違っていますよ」ということになっているのだろうなと想像しております。
 人工知能を使う側の人間の能力が低下して、これを指摘できる人がいなくなるとちょっと心配。