薬物治療を拒み
精神疾患を個性とたたえる草の根運動
「マッドプライド」
というものが提唱されているそうです。
双極性障害(躁鬱病)のような
精神保健上の診断を「疾患」というより
「危険をはらんだ贈り物」
と捉える考え方で
病気と思われがちな精神状態も
創造的・神秘的な
精神の多様性と考える。
・1冊の本を集中して読み通せない人
・憂鬱になりがちな人
・毎日飲酒して気分にむらがある人
・他人と目を合わせるのが苦手な人
・好きなスターのあらゆる情報を記憶している人
結局、人は皆変わっているのではないか。
精神障害の診断が下される一歩手前の人は
たくさんいるのでは?
普通の人も、適正・一貫性・誠意の面で
問題をかかえているはず。
なぜ小さな欠点を残らず正そうとこだわるのか、
多様な人間がいることを認めようと。。
この考え方には、批判もあるそうですが
もし、鬱や自閉症を
悪しきものではなく
個性と捉えることができたなら・・
今までとは違う可能性を
見つけることができるのではないかと
思いました。
児童福祉施設で働いているときによく
重度の障害者の子の
生きる意味と、幸せについて
考えていました。
一人では生きられず
自分の意志や思いを
伝える術もない(正確には伝えようとしても、殆どは伝わらない)
閉ざされた世界の中で生きる
彼・彼女らの幸せとは何なのかと・・
でももし、障害を悪ではなく
個性と思うことができたなら
創造的・神秘的な個性の持ち主だと理解すれば
その個性を生かした
幸せのありようというものが
あるのではないかと
思えるようになってきました。
そして、私は無意識のうちにも
障害を悪しきものと決めつけ
(マッドプライドが必ずしも正しいのかは、分かりませんが)
彼・彼女らを哀れみの対象とし
同情をもって
彼・彼女らの人生を侮蔑していたのだと・・。
そんな事を考えていると
そういえば、もっと早くに
こういう考え方ができたなら
昔、一緒だった鬱病の彼女とも
違う未来の有り様もあったのかなと・・
ふと。。思ったりする。
今日この頃です。