とてつもなく大きな地震。
当日は自身の感じた恐ろしさでいっぱいだった。
夜になり 翌日になり 翌々日になり
災害の全貌を報道で知るにつれ
それが現実であるにも関わらず
恐らく自分の理解できる範囲を大きく超えた災害に
本当に現実なのだろうかというような感覚を覚えたり
ふともやもやと恐怖を感じたり
そんな3日を過ごしていた。
先週はシンガポールから持ち帰った風邪がなかなか抜けず
月曜から木曜まで
買い物も仕事帰りの夫に頼んだりして
一歩も家から出ていなかった。
来週は動き出さないと、と考えていた金曜日の午後
足もとから揺れがわき上がって来て
いつものようにじっとやり過ごそうと思っていたのに
横揺れはどんどん激しくなり
家具がばたばと動き始めた。
隣の部屋でばさばさと何かが落下している音を聞きながら
目の前でぐるぐる動きまわるキャスターの付いた家具を押さえながら
キッチンでレールに乗った家電が大きく出たり入ったりするのを
恐怖の中で眺めていた。
震度が4に達する比較的大きな地震も何度か経験があるし
揺れることに冷静でいられなくなる質では無いと思っていた。
けれど今回はそれらとは全く異なるもので
一人で家にいる時だったせいもあるとは思うけれど
初めてどう行動すれば良いのか判断できないほどの恐怖を感じ
そして初めて
もしかしたらこのまま死ぬってこともある・・・?
と思った。
小刻みに発生する余震に続いて
30分後に再び、匹敵するような揺れがあったこともあって
昨日になっても少し大きめの揺れが来るととにかく怖かった。
ありがたかったのは
夫が仕事先から歩ける範囲だったので
それほど遅くならずに帰宅してくれたこと。
それでもメールも電話もなかなか通じなかったので
何時間かかかって母や夫の声が聞けた時には心底ほっとした。
遠くから心配してSMSを送ってくれた友人にも感謝。
人と繋がることでどれほど安心することか・・・。
夫の両親とは結局翌日になるまで連絡が取れなかった。
私は小学校の一時期を仙台で過ごした。
ちょうど社会科で自分の町や県のことを学ぶ年齢だったし
遠足は美しい松島だった。
懐かしい地名が変わり果てた姿でニュースに登場し
その頃の同級生たちと連絡は取っていないものの
誰も大きな被害に遭っていませんように
どうか無事でいてくれますようにと願わずにはいられない。
地震の翌日、街は閑散としていた。
自分自身も、そして街そのものの
何となく重たい雰囲気が漂っていて苦しい感じ。
3日目の日曜になって活気は戻って来たものの
物流は滞り、停電などへの備えもあって
スーパーには物が無い。
様子はパニックに近い。
週明けの昨日からは停電情報と交通機関が大混乱なので
元の仕事先の人々も
大変な苦労の中で出勤しているのだと思う。
・・・こうして記録をしている最中にも
緊急地震速報が流れ
ぎしぎしと建物がきしみ、ゆっくりと大きく揺れている。
余震は固めてやって来ているのだそうで
揺れる時は頻繁に何度も揺れる。
夜中に揺れることもあって時々目が覚める。
テレビのニュースを付けっぱなしにしているのだけれど
画面に現れる震源や震度から想像する大きさとは
全く違う揺れを感じたりする。
推測より随分大きく恐ろしく感じることもあるし
揺れた?と思うほど小さいこともある。
これまでの経験に基づく推測は何の役にも立っていない。
余震なのだから
あれほど大きな揺れにははならないはずだと思いつつ
誘発されて別の大きな地震が起きている可能性は?など
不安に思いながら過ごしている。
でも、こんなのは小さな不安だ。小さな恐怖だ。
どうか一人でも多くの方が救助されますように・・・・。
まずは自分にできることを考えなくちゃ。