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ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ/デヴィッド・ボーム

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「『愛があればすべてうまくいく』と言う人がいる。だが残念ながら、すべてを救う愛は存在しない。
だから、もっと良い方法を考えなければいけないんだ。」


対話の目的は、物事の分析ではなく、 議論に勝つことでも意見を交換することでもない。

そして、対話の何よりの障害となるものは、想定や意見に固執し、それを守ろうとすることだ。

われわれは様々な想定(意見)をもっている。想定とは、過去の思考の結果である。


そして人は、想定(意見)と自分とを同一視し、それを守ろうと反射的な対応するかもしれない。


ある人は、何かが問題だという。ある人は、その考えが問題で、こちらの視点からみると「これこそが」問題だという。

そして二人はひとたび離れて、「何が問題なのか考えてみよう」という。


しかし、問題だと描写する、思考構造自体が問題を生み出しているのだとしたら。そこで、個人的思考と集団的思考を記述する。

ボームは対話における目的を「意味の共有」とする。そして、意味の共有に到ることは、集団的思考を一にすることであり、対話はそこに到るまでのプロセスであるとする。

「対話」をおこなうためには「想定(=個人的思考)を保留状態」にする必要性があるのである。

そして、その「必要性」を駆り出すための書籍がこれ。

彼は、集団的思考(=暗黙知)の深層構造を解明する必要があると叫ぶ。

深層構造は、「いかなる意味を共有してきたか」といことであろう。それが文化である。

参考を見て頂きたいが、
この著作は、ボームが全体性の回復を叫ぶあまりに部分(断片的)に回収されている。ボーム自身が部分と全体を語る言葉(記述スタイル)を探索していたのだろう。

参考
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1074.html