本厚木で官公庁営業専門の書店を営んでいます。
今日も午後から出勤し、せっせと会社のホームページ(下記のバナーリンク)の製作です。内田屋書房本厚木の書店です。uchidaya.com昨日の日記にも書いたように、完全にWordpress(ホームページを作るクラウド的なウェブ上のサービス)の操作方法を忘れてしまったので、いちいちの作業に時間がかかっています。これどうするんだっけ?あれ、さっきやった作業のやり方・・・またわからなくなっちゃった(泣)という事の連続で、解らない事があると、その都度、ネットで操作方法を調べてはやり方を確認して、再び作業開始という感じです。こうなるとネット上に情報量が多いという状況はとても助かります。このWordpressというネット上のサービスは、自分のサーバー(当然中小企業なんでレンタル)にダウンロードした後、さらに「テーマ」と呼ばれるソフトをダウンロードしてWordpressに上書きする事で成り立っています。この「テーマ」によって、操作方法が全然違うのですが、私はたまたま大変人気のある「テーマ」を使っているので、ネット上に沢山の情報があふれています(この事だけがこの状況の中で微かな光明です)。初めてパソコンを手にしてから長い月日が経ちました。あと数年で30年になろうとしています。しかしまったく精通するという事はありませんでした。この精通できなかった原因を分析すると、たった一つの理由にたどり着きます。それは私の「ケチ」という性質にあります。何某かのソフトを購入したり、サービスを契約した時に、必ず「ケチって、少し安い方を購入したり契約してしまう」という決断を繰り返してきました。こうなると、一番売れている物やサービスよりも少し安い物という事になってしまいます。結果として使っている人が周囲にいない→使い方が解らない→当然、教えてくれる人がいない→本を買って自力で解決しようとする(この段階で既に出費過多)→それで理解できるほど頭が良くない→結果として、使わないまま放り出す。このサイクルを繰り返してきました。今回のWordpressに関しては、そのような過去の轍を踏まずに済んでいたようです。皆さん、「何かを選ぶ時は、多少割高に思えても周囲と同じ物を選ぶ」という決断をしましょう。これだけで人生をかなり効率よく進む事ができるはずです。と、現実逃避で、またこのブログを更新してしまいました。作業に戻ります。
昨日のこの日記にも書いたように、弊社のブログを再構築しています。と言ってもサーバーにWordpressを再インストールし直し、ほんの少し設定をしただけで昨日と今日の許された時間の全てを費やしてしまいした。これだけでも大分疲れました。ホスティングサービスを契約している会社に電話をしたり、案内されるままにその会社のWebページを見たりするだけで、かなりの時間がかかってしまいました。やっとWordpressのインストールが完了した後も、初期設定のやり方を完全に忘れてしまったので、これまた関連する様々なホームページを検索しては「ああじゃない」「こうじゃない」とブツブツ言いながらの作業でした。さらに苦しんだのはGoogleの各種サービスへの登録。これも相当に苦しみました。なんとか克服できましたが、ハッキリ言って、周囲からは遊んでいるとしか見られていなかった事でしょう。辛いです・・・。その合間にも日々の業務があり、それ以外に学校様と図書館様へ伺う用事があり、さらに来客が2件ありました。これらの全てが必要不可欠な用事ばかりでした。そしてそれらの用事の合間にパソコンに戻っては「ブツブツ・・」と呟きつつ作業を開始します。(しかも殆どの作業が、調べ事です。途中から背中が痛くなってきました・・・。)今日は会社概要をやっとの事でヘッダー部分に固定する事に成功しました。まだまだ更新開始には時間がかかりそうです。内田屋書房本厚木の書店です。uchidaya.comです。
突然ですが、ホームページが飛んでしまいました(http://www.uchidaya.com)サーバー会社に問い合わせたところ、データーベースの設定が変わったとかで、前々から連絡が来ていたらしいのですが、てっきり広告メールだろう。という事で気づかづにいました。今日、Googleから「内田屋書房 様のビジネス プロフィールが変更されたのでご確認ください」とのメールが来て初めて気づきました。仕方ないので、これから再構築にかかります。しばらくお時間をください。このアメブロのページを残しておいてよかったです。 店主
このブログはこちらに引っ越しました。今後はこちらをよろしくお願い致します。先日の日記にも書いたように、お正月休み中に会社のホームページをリニューアルした方がいいという結論に達しました。、で「善は急げ」という事でリニューアルをしまして、そちらの方にブログも統合する事にしました。このアメーバの方がサクサク動いてくれるので便利には便利なんですが独自ドメインのコンテンツを有効活用した方が、会社にも有益だろうという事になりました。今は事業案内程度の事しか載せていませんが、今後少しずつ、営業の役に立ちそうなコンテンツを増やしていこうと思います。この「本厚木一番街通り書店店主の日記」は全部で800記事以上ありまして、引っ越しにはだいぶ時間がかかると思います。<追記 令和2年1月20日〉引っ越しには大分手間がかかる事が解りました。アメーバの管理画面にエクスポート機能はありません。だから、システム的にまとめて引っ越しと言う事ができません。一つ一つ移すとなるとかなり大変なので当分の間、このblogはこのまま残しておきます。新しいホームページの更新で過去記事としてこのブログにリンクを貼る事もあると思います。し、少しずつこのblogの過去記事をリライト(書き直し)をしていくつもりです。
2002年の大河ドラマが北条義時と決まったそうです。今から楽しみです。理由は私の「地元」が舞台だからです。本厚木の人間が鎌倉が舞台の大河ドラマを「地元が舞台」などと言おう物なら鎌倉市の人に怒られしまいそうです。でも旧相模国(現神奈川県から横浜と川崎を抜いた地域)はとても狭く、実は厚木に人間にとって鎌倉はとても近い場所です。本厚木周辺の郷土の歴史に興味を持って調べてみると、鎌倉時代の人達の様々な歴史に繋がる事や場所が多くある事に気付きます。具体的には相模川の対岸の海老名から鎌倉直行の運河があってかなり短時間で往来できたそうですし、そのせいか厚木では源頼朝の隠し子が匿われたという伝承の祠もあります。まだまだ沢山ありますが、それらの具体的な話はまたそのうち書こうと思います。さて、そんな具合に地元の歴史を調べてみると明かに鎌倉時代初期と末期、室町時代と支配層の入れ替えが起きている事に気付きます。で、大きな原因としは日本史の教科書にも載っていた「和田合戦」「宝治合戦」など大きな動乱が為政者の入れ替えに影響したようです。この辺りの事はあまり頭にはいっていないので、そのうちまたゆっくり調べてみようと思っていたところに、再来年の大河ドラマがその辺りの事を舞台とするという事で、何と奇遇な事がと喜んでいます。ちなみにですが大河ドラマで「鎌倉時代を舞台とする作品」となると、私の記憶にある作品は鎌倉初期を舞台とした「草燃える」と鎌倉末期の「太平記」です。今回は草燃えるの時代の後期の頃に焦点をあてる作品となります。主演は北条義時役の小栗旬さん。この役は「草燃える」では松平健さんが演じていました。この時の最終回、俳優の滝田栄さん扮するかつて親交のあった平家武者が琵琶法師として現れ、その琵琶で「平家物語」の下りを聞きながら、義時と弟の泰時が酒盛りをするというところで「完」という演出でした。当時私は小学生でしたが、子ども心に「勝者と敗者」の姿に心を打たれ、平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の~」を姉と暗記した事をよく覚えています。と今日もとりとめもない文章となってしまいましたが、とにかく再来年が楽しみですね。この時代に由来する伝承が我が街本厚木にも何か所かあり、私なりの推理と見解もあるので、その内このブログでも発表したいと思います。
Yahooニュースで雑誌「創」の編集長さんが雑誌の新しい方向性についての記事を書かれています。「岐路に立たされた週刊誌が2020年への打開策として示した3つの方向性とは篠田博之 | 月刊『創』編集長 1/6(月) 19:42」詳しくはリンク先の記事をお読みください。一応私なりに要約すると売上減が著しい雑誌の業界で3つの動きが見えてる。一つ目は雑誌の売上ではなくウェブ版えのPV数の増に拘る(記事内の事例 週刊文春 女性自身他)。二つ目はジャーナリズムを放棄たとみられても健康や税金等の実用記事を増やす(記事内の事例 週刊現代など)三つ目はジャンル外の「タレント」を特集してファンのまとめ買いを誘発する(記事内の事例 週刊朝日 ananなど)これらの動きを分析されてる内容でした。でね。以下は私なりの分析ですが、一つ目のwebのPV数増加に拘るというのはスマホの時代には当然の動きだと思います。皆さんもスマホで速報されている記事を見てみると記事の終わりに雑誌名が乗っている記事を見る事がありますよね。「あれ」です。しかしながら収益性と雑誌の将来性について疑問が残ります。広告収益に頼る形でしょうが、昔みたいに紙面の広告スペースを切り売りするという広告という安定した先が読める収益ではなくではなく、ネット企業と提携してPV数に応じた収益をもらう事になります。この変化によって出版社の収益が増えるのか減るのかは私には解りませんが、もしある程度の収益が確保できるとなると、記者やライター達が自分で直接記事を発表して収益を得るという事ができてしまいます。こうなると雑誌という括りが必要なくなるのでは?という疑問が残ります。続きまして、二つ目の実用化です。最近確かにコンビニや大手書店の雑誌売り場に行くと、特集内容に実用的な物が目立ちます。昔からパソコン雑誌は定期的に「Excel特集」が繰り返し特集されていたりするので、ある程度洗練された手法だと思います。リンクを貼らせて頂いた記事では「ジャーナリズムの放棄」と書かれていますが、これも昔からの事です。雑誌の未来を担うような変化とは言えません。三つ目の「アイドルを特集してファン層の拡大や複数購入を増やす」も昔からある手と言えばそうです。グラビアアイドルという言葉がある位に、昔から雑誌と芸能は相性がいいのでしょう。ただ将来に渡ってこの手が通用するかというと疑問が残ります。とここまで見てみると、スマホの時代ならではの雑誌の動きとは一つ目の「ネットのPV数」に拘るという手口しか将来的には残されていないんじゃないか?と思っています。ただ前述したように、それだと雑誌の意味がいまいちよく見えません。現代はネットを通じて皆が文書を発表できる時代です。 誰もが作家で誰もがが読者です。今やSNS上には様々な趣味や特定の問題等のページがあり同好者の人達同志で盛んなコミニケーションがとられています。もしかしたらあれが本来の雑誌の役割なのかもしれません。こうなると出版社が発行する「雑誌」という媒体は非常に難しいと思います。それでもまだ先の話しは決めつける事はできません。今年は5Gが始まる年と言われています。またネットのルールや風景が変わるでしょう。もしかしたら既存の雑誌が物凄く有利な時代がくるかもしれません。今は仕組みがまた変わるのを待つしかないですね。
令和2年も三が日が過ぎて4日目です。サービス業は殆ど今日から仕事始めのようです。我が社は6日から仕事始めなのでまだ休み中です。この正月休みに今までのブログを読み返してみました。このブログは2005年から始めたようです。私の会社は元々は小規模ながら15店舗の店舗網を持つチェーン店でした。そこから書店業界の大型化と競争の激化を予想した結果、支店網を大手書店に営業譲渡し、創業店一店舗と外商部門と市内の大学内の営業所の体制で再スタートしました。自社物件だったところは創業店以外全て賃貸にしたので、不動産管理業としてもスタートした事になります。その頃の私は心の中に忸怩たる思いがあったらしく「何とかまた世間映えする会社にしよう」という気持ちがあったようです。だからこのブログも最初の頃は雑誌や本の紹介をしたり、自分が頑張っている姿を何かとアピールしていました。ところが2006年に立教大学の大学院に再入学します。そこで出版流通について調査研究し論文にまとめた事で、考え方が劇的に変わります。会社は大きくしない。店舗は今のままでいい。そもそも支店網を手放した事はパーフェクトな決定だった。残した創業店も社屋立替の時に業態転換を図る。こういう考えに切り替えました。そして数年後社屋は建て替え、店舗部門は閉鎖。書籍の専門商社兼不動産管理社になります。(ホントは建て替えたビルの3階に小さな接客スペースを作るつもりだったのですが、他に貸し先がついたのであっさりやめました)。会社の顔だった店舗が無くなると、同業者達等は「あの店は潰れた」と噂し合う物です。まだ出版物を扱うビジネスを継続する予定だったので、そんな噂は困ります。そんな訳で、このブログでは私が遊びまわる姿をひたすら更新しました。サーフィン、ゴルフ、登山、お酒、旅行そんな内容で「同業者どもよ!見ろ!うちは余裕だぜ!」。暗にそんな意味を込めたブログを書き続けている日々でした。閉店してから数か月のブログのアクセス数は結構な数でした。同業者からも「お宅はいいね。羨ましい」と言ってもらえたので、ある程度作戦勝ちではありました。しかしその後もひたすら遊びの事やとりとめもない事を更新するという悪い癖がついてしまい今日に至ります。ここ数年の記事を読み返すと、本当に恥ずかしくなります。そんな反省を踏まえて、もう少しマシな内容の記事を書くように今年は努力します。
このブログ以外にもブログを運営しています。匿名でやっているのにアクセス数はこのブログ「本厚木一番街通り書店店主の日記」と同じくらいにはあるのですが、正月休みになってからアクセス数は全然ありません。むしろ下がっています。そしてこの「本厚木一番街通り書店店主の日記」は正月休みになってからのアクセスが多少ですが上がっています。理由として考えられる事としてはこの「本厚木~」は自宅で覗いてくださる方が多いのでしょう。そして他のブログは通勤の途中にスマホで見てくださる方が多くいられるのだと思います。この辺りの事をよく認識しながら今年はこれらのブログの運営していきます。話変わって会社のホームページは今までは完全ほったらかしとなっています。ホームページの概念が変わりつつある今日この頃です。昔は沢山の枝ページがあるホームページを持っていれば「お-!アクティブにwebに取り組んでいる会社だなぁ」と思われたものでした。今は一枚のページに会社案内が乗っていればそれでよく、それよりもSNSを有効的に活用する方が主流のようです。今うちの会社に来店される人はFacebookのページかGoogleで調べてくる人が殆どで「ホームページを見てきました」という人はあまりいません。そもそも我が社の主流である、教科書販売、官公庁への図書納入、農大店の運営、不動産管理等の情報が何一つ載っていません。デザインも古いですね。今時Microsoftのフロントページでwebサイトを更新している人なんていないのでしょう。古くなっているし、そもそもアクセスも殆どありません。今年はこちらについても考えて.少し手をいれようと思っています。
初詣は大晦日から元旦の二年参りで船喜多神社と厚木神社に行っています。だいたい紅白が終わる直前に自宅をでて、大晦日の夜の街をスタスタと舟喜多神社に行き、そこで参拝を済ませ、氏子さん達のテントで振る舞い酒を頂き、そこからまた厚木神社まで歩き行って並んで参拝です。厚木神社も船喜多神社もどちらも餅つきを氏子さん達がやっていますが、風情はあるけど「ください」と言う勇気がなく、未だに前を素通りするだけです(苦。今度知り合いの氏子さんにインタビューをしておきます。船喜多神社の方が古く平安時代まで遡る事ができると聞いた事があります。厚木の地名は河川で運ぶ木の集積地だったから「集め木=厚木」だそうです。まさにその港と集積地がこの場所にあったとかで、「街を富ませる喜びを沢山乗せた船」が来る場所だから「船喜多」という字を当てたのだと思います。厚木神社は明治維新の時にいくつかの神社を統合したので社格としては高いと聞いた事がありますが、根拠は解りません。厚木は江戸時代は天領になったり、譜代大名領になったりと支配者が転々と変わってきたのですが、大名領の時の陣屋は今の厚木神社に隣接していたと言うので江戸期には今の規模になっていたのだとと思います。子どもの頃から祖父に連れられてよく来た神社なので、大変愛着があります。ちなみに、厚木神社のお祭りは毎年夏のオールスターの日です。この日に参拝すると大変ご利益があると言われています。また近くなったらこっそりお知らせします(笑。船喜多神社の大晦日厚木神社の元旦
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。このブログを始めてもう15年が経ちます。今年はこのブログについて考えるところがありまして、もしかしたら有料サービスに移るかもしれません。それから古い記事のリライトもやろうと思います。(既に着手しています)その時はよろしくお願い致します。