こういうことを書くと変な奴だと思われてしまうかもしれないが、身近な人と対峙する際、現実社会における関係性とは別に、
「でも、ホントはこう」
みたいな全く異なる関係性が心の中に浮かぶことがある。
たとえば、実際には目上の人なのに「この人は私の息子のようだ」と思ったり、同性の友人に対して「古女房のようだ」という印象を抱いたりする。
以前はそういった事を「単なる思い付き、心のいたずらだろう」と切り捨てていたのだが、最近はそういう関係性が浮かんだ相手には、自分の心の中のイメージにふさわしい接し方を心がけるようにしている。
理由はよくわからないが、その方が不思議と相手との付き合いがスムーズにいくからだ。
なぜ、そういうことを思いつくのかは分からないし、誰に対してもこういった事が起こるというわけでもない。感じるイメージには脈絡がなく、いつそれを感じるかにも特に規則性はなさそうだ。初対面で顔を見た瞬間にパッと頭に浮かぶこともあるし、長年付き合ってきた相手に対して、ある日突然、「あっ、そうだったか!」と思い至ることもある。
ちなみに「息子録」のカテゴリーにしばしば登場する次男は、私が確かに自分で産んだ正真正銘のわが子なのだが、彼が小学校の4、5年生になった頃から「お兄ちゃん」としか思えなくなってきている。実際、彼は私を母親というより、世話の焼ける年下の家族のように扱うことがしばしばあるし、私自身も親として彼を育てる傍ら、何かの折には見上げる気持ちで頼りにしていたりする。
もし、輪廻転生とか前世とかいう事が本当にあるのだとしたら、私の心に時折浮かぶ関係性は、今ではない過去の人生の記憶によるもの、なのかもしれない。
仮にそうであったとしても、殊更それに囚われる必要などないのだが、縁のある魂がそうやって何度も出会いながら生きているのかなぁ、という想像は、人と人とのつながりというものにそこはかとない羨望を抱く私にとって、割と好ましいものではある。