日本の服飾史 とでも言うのでしょうか?
 
展示は防空頭巾、モンペ姿からスタート
 
東京大空襲で親兄弟、家、全てを失い、
戦後
物々交換の古着のセーラー服を着て、仕立て屋の兄嫁の手伝いを強要された母の人生とタンスを見ているようでもありました。
 
服は誰か顔の見える人に「仕立ててもらう」、若しくは自ら「仕立てる」ものから「買う」ものへ、「装う楽しさ喜び」から「身なりを気にすることの気苦労からの脱却」へ
 
服との関わりがこんなにも変わったのは「円の強さ」も大きく影響していると思います。
お店によっては流通の谷間に落ちてしまった様な、それでもまだ新しい物がパーツ代にも満たない価格で販売され、着ない物は速やかに手放すのが美徳とされる今、それでも服は沢山の人の手によって作られていることを声を大にして伝えたい。
 
我が娘達には、今は通貨の強さの違い、ビジネスモデルの力、機械化の進歩などから簡単に安価に衣服が手に入るけれど、その裏には何処かで「誰かの幸せを願って埃の多い暗闇の中でミシンを踏んでいる人がいる」その事実を忘れてはいけないと伝えています。
 
尊厳ある理性的な消費活動
それらを旨としながらもついついお勤め品の看板に負けて商品を手に取る自分が居るんですけどね。
 
あと
80年代?ファッション通信という番組で毎週何処かのファッションショーが民放で放映されていた事に娘2号はなんて良い時代だったんだ!と驚き、活用できずに仕上がった親に呆れ顔をしていました。