この年齢になって、初めての事はまだまだあるのですが、「池波正太郎」の小説は初読みでした。
城跡巡りサークルのOさんから、毎月小説をご紹介いただいていて、その一冊です。
全くの歴史音痴の私は、なぜに?「忠臣蔵」がこれほどまでに人気があったのか?知りませんでした。
武士の一念、仇討ちって何なの?
昨年、城跡巡りサークルでは赤穂城をも訪れ、その事もあって12月の勉強会のテーマが「忠臣蔵」についてでした。
しかし、その時は全くピンと来なかった私でした。が、今回この小説を読んで、仇討ちまでの大石内蔵助の人物を描いた作品でしたが、とても分かりやすく、なぜこれほどまでに「忠臣蔵」が語り継がれたのかがわかりました。
「おれの足音」上下
著 池波正太郎〈文春文庫〉
2011年(昭和52年刊行された文庫の新装版)
上P469 下P468
上(本の裏表紙より)
子どもの頃から居眠りばかり、けれども女好きなることこの上なく、国家老になってからも「昼行燈」という、あだ名をもらっていた男。
柚子味噌をなめながら晩酌をし、たまさかには出張にことよせて、あまり上等でない遊女たちと、たわむれ遊ぶことに無上の喜びを感じていた男‥‥大石内蔵助という男の足音。
下(本の裏表紙より)
主人である浅野内匠頭が刃傷沙汰さえ起さなかったら、平々凡々の一生を楽しく送ったに違いない男、
吉良邸討入りの夜、降りつもった雪の中、「寒い、寒い」とつぶやきながら、丸めた躰を死に向って運んだ男。人として男として、なすべきことをやってのけた、その男、大石内蔵助の生涯をさわやかに描いた長編。
事件としての忠臣蔵は
(1708年)播州赤穂五万三千石の藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸城中で高家筆頭・吉良上野介に刃傷に及んだことから始まる。
浅野内匠頭は即時切腹、浅野藩は断絶。
一方の吉良上野介はいっさいお構いなし。
すべて将軍・綱吉の命令による裁決である。
(この時代「けんか両成敗」が天下の法であり、けんかをした者はどちらも切腹が命じられた。老中はこの事件を「けんか」とは見なさなかった。吉良が刀に手をかけていなかったからである)
しかし、この幕府の「片落ち」の裁定が、のちの赤穂浪士の討入りへとつながっていった。
大石内蔵助は
「人というものはな、食べてねむって、ほどよき女を抱いて暮らすことが、万事なごやかにはこべばそれでよいのだ。つきつめて見ると人の一生とは、それだけのものよ」
このような人物だったようです。
(本文より)
戦乱もない平和な世の中が八十年もつづいているのだから(いのちがけで)武士の一念をつらぬき通す刀と槍の表道具にかけて、男の意気地をたて通すなどというモラルは「古くさい」と見られている。
そのくせ、その古くさい武士道が見事に発揚されれば、当の武家階級のみでなく、江戸の町民たちが熱狂的にこれを迎える。ほめそやす。
天下万民の指導階級であるはずの武家はなにごとにも、わがままな将軍にさからわず、無理無体な政治を正そうともせず、いたずらに惰眠をむさぼりつづけている。
(つまり仇討ちとは復讐をふくめた制裁であり、肉親による法律の代行であった。)
池波正太郎が(おれの足音)で解き明かすのは
「政治における倫理」を問いただした事件として描いているようでした。
城跡巡りサークルの勉強会の資料には
「あら楽し 思いははるる 身は捨つる
浮世の月に かかる雲なし」
と、伝えられる大石の辞世の句が紹介されていました。
池波正太郎の小説は、人気作家と納得出来る読みやすさと面白さでした。
でも、大石内蔵助って、こんなに女好きだったのかな〜?












