内田也子のブログ

内田也子のブログ

ブログの説明を入力します。

テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」の監督、塚原あゆ子と脚本家、野木亜紀子が再タッグを組み、両シリーズと同じ世界線で起きた連続爆破事件の行方を描いたサスペンス映画。(映画comより)


ウチのテツさんは昔からテレビドラマが大好きで、夜早く私が寝てしまった後、一人でTVドラマとか深夜番組を見るのが趣味のようです。笑


それで、この映画はテツさんが好きな路線だから観たいと言うので夫婦割引もあるみたいだし、お付き合いしました。


私は、今月の早稲田松竹の第一週めが「ゴールド•ボーイ」と「貴公子」の2本立てだったので、この「ラスト•マイル」も半年も待てば2本立てで観ることが出来るだろうと、待つことにしていたのですが、、




「ラスト•マイル」


監督 塚原あゆ子

脚本 野木亜紀子

2024年 日本 128分


ブラックフライデー前夜、

届いた荷物は爆弾だった

日本中を震撼させる4日間。


誰が、

何のために爆弾を仕掛けたのか?

残りの爆弾は幾つで

今どこにあるのか?


すべての謎が解き明かされるとき、

この世の隠された姿が浮かび上がる。

(フライヤーより抜粋)




最近は、日本の俳優さんの中では岡田将生氏をご贔屓にしている私ですから、この映画は観たいと思っていたのですが、、


ま〜寝不足だった私が寝なかったのは、最初から爆発映像に迫力があったのと、テンポの良い展開が128分を飽きさせないストーリーだったからだと思います。


しかし、観終わったあとで、私の頭の中は疑問だらけで、映画館からの帰りの車の中でテツさんに素朴な疑問を次から次へと教えてもらいました。笑


何故?という疑問ばかりで、私にはよくストーリーが理解出来ませんでしたが、テツさんは「多少のツメの甘さはあるけれど、面白かった!」と満足したようでした。


私が、ひとつひとつ疑問を問うた事にもひとつひとつ解説してくれたテツさんですが、それでも私にはしっくり来ませんでした。


多分、私の理解力が無いせいだと思うのですが、韓国映画にはまだ及ばない、と

私は思いました。


でも、満島ひかりも、岡田将生も、

どちらも怪しいキャストで(笑)それは良かったかな?と思いました。


それにしても、豪華メンバーの面々に驚きました。

さすがドラマのTBSですね〜



★ ★ ☆

1906年(明治39年)ミラノの裕福な貴族の家柄に生まれたルキノ•ヴィスコンティ。


私は、そのゴージャスな映像美、退廃的な雰囲気、そして人生の不条理、ヴィスコンティの映画に憧れました。


ヴィスコンティは、マルチェロ•マストロヤンニやヘルムート•バーガーなど品のある2枚目を採用していましたが、アラン•ドロンをヴィスコンティが見逃すわけはないですよね。




「若者のすべて」


監督 ルキノ•ヴィスコンティ

1960年 イタリア モノクロ 168分


長男を頼りに、貧しい南部イタリアから北部イタリアの最大の都市ミラノへ移住する、父を失った母と四人の息子たちを描く。




ロッコ(アラン•ドロン)は三男だが、何とか母親の夢を叶えてやろうとする孝行息子である。彼は、自分の恋人を目の前で暴行した兄のシモーネをゆるし、しかも彼の犯した不始末までつぐなってやり、「家」のためにプロ•ボクサーになって、リングの上で金を貰う生活に身をまかせている。


ロッコの夢は、また故郷へ帰ること。






ロツコの努力によって、一度は家族的連帯が恢復されかけるが、しかし、兄のシモーネの殺人によって、結局何もかもが灰に帰してしまう。

善良で親思いのロッコは、もはや現代では『白痴』のムイシュキンのように、滑稽な存在なのだ。


「家」、すなわち、思い出の秩序によって支配された、共通の夢と、その崩壊。


私(寺山)は、そこに現代の聖書の不可能性を見出し、ヴィスコンティの主題のスケールを感じた。生涯、忘れることのできない、一篇である。

(寺山修司、若者のすべて作品評より抜粋)




ヴィスコンティのモノクロ映画「揺れる大地」に続き、ヴィスコンティが貧しい労働者の生活を描いていた事に、私は最初驚きました。


この「若者のすべて」は、アラン•ドロンがヴィスコンティ映画に初出演し、ヴェネチア映画祭審査員特別賞を受賞した作品だそうです。


移民の仕事探しから始まる貧しい暮らしの中にも、アラン•ドロンの美しさと言ったら、、

そこにだけ

目が行ってしまいました。


宝石のように輝くスターって

こんな俳優さんの事なんですね。



アラン•ドロンのご冥福をお祈りします。



★ ★

毎月開催される「城跡巡りサークル」の勉強会で、私は読書好きなOさんから、お勧めの小説を一冊紹介して頂いているのですが、今回は葉室麟の「蜩ノ記」をご紹介いただきました。


が、私はすでにこの小説を読んでいたので、その事をお話したら、「葉室麟の小説はどれもいいですよ」と教えて下さったので、さっそく図書館で選んでみました。


「私はこの作品に満点をつけました」(宮部氏)

「匂い立つ果実のような時代小説」(伊集院氏)


本の帯で、これほどまでに絶賛されているのならば、、と思いこの本を選びました。


「天の川は 漢詩では 銀漢というそうだな」


この漢詩が出て来るたびに

も〜ウルウルでしたね〜

一気読みでした。




「銀漢の賦」


著 葉室麟〈文藝春秋〉

2007年 P245


寛政期、西国の小藩である月ケ瀬藩の郡方、日下部源五と、明家老と謳われ幕閣にまで名声が届いている松浦将監。


幼なじみで、同じ剣術道場に通っていた二人はある出来事を境に、進む道が分かれ絶縁状態となっていた。

二人の路が再び交差する時、運命が激しく動き出す。


源五が通う剣術道場に去年父親を亡くした小弥太(のちの将監)が母親とやって来た。源五より一つ年下の小弥太は軟弱者に見えたが、この道場の名剣士の甥で、油断できぬ相手だった。


源五が「剣術が強くなって勝ちたい」と思っているのとは違い、小弥太は「剣術の稽古でおのれを鍛えたい」と言う。


源五が稽古の後、小弥太を家まで送る途中、源五にぶつかって来た少年がいた。百姓の十蔵だ。十蔵は、うなぎを川で獲って売りに来ていたのだ。

そこで、祖母から小遣いをもらったばかりの源五はこのうなぎを小弥太の入門祝いだと買って土産にした。小弥太の母千鶴はうなぎをたいそう喜び、白い飯と焼いたうなぎを源五にも十蔵にもふるまった。


それから十二歳前後の源五と小弥太、そして十蔵は身分の違いを意識せずに友のように接するようになるのだが、時は流れてお互いの境遇が分かれて行く。


暮雲収め尽くして清寒溢れ

銀漢声無く玉盤を転ず

此の生、此の夜、長くは好からず

明月、明年、何れの処にて看ん


日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この美しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう。


一瞬の美しい想い出を胸に、三人の人生は時代の流れに翻弄されて、

あの友情は何処へ、、


人生も終盤にさしかかると、若き日の想い出がなんて輝かしいものだったのだろう、って思いますよね。

源五、将監、十蔵が見上げた天の川、

本当に美しく、希望に満ちていたのだと思いました。