3/11大地震が来ました。

東日本大震災。

この日の震源は宮城県。後にマグニチュード9.0に訂正されたこの地震は大きな大きな爪痕を残しました。


実家である岩手県釜石市は甚大な被害を受けました。


地震直後、親の安否が気になり、すぐさまメールを送りました。「大丈夫か?」返信は「大丈夫」。

ほっと一息。安心できました。

しかし、すぐさままた大きい地震があり、ニュースでは津波の報道。

町崩壊。
生まれ育った町。青春を過ごした町。それが一瞬にして消え去りました。

親に送った二通目の「大丈夫か?」というメールは返ってきませんでした。


それでも少ししたら連絡が来るだろうと、その日は電車が止まって帰れなかったので、友人達と一緒に大学に泊まりました。

夜が明け、皆解散し家路に着きました。

慣れない環境であまり良く眠れなかったので、また寝ようと思い寝巻に着替えベットに入りました。

そこでふと地震の影響大丈夫かなとtwitterやmixiを開いてみました。

すると、

「津波です。」「火事です。」「親、友人とはまだ連絡がとれません。」「現地の状況分かりません。」

という叫びにも似た投稿が画面を埋め尽くしていました。


そこで僕はせきを切ったように泣き始めました。

親に、友人に、もう会えなくなるかもしれないという悲しみや恐怖で涙が止まらなかったのです。

テレビの中でしかなかった「被災地」という言葉が、自分の故郷に使われるという現実に気付き始めた時でした。

震災から一週間以上たった今でもたまにフワフワする時はあります。「本当に地元なの?」「夢っぽいよね!」とか。

跡形もなくなっている町を見ているととても信じられない。

それで実感するまでにタイムラグが生じたのだと思います。

それからの二日間がものすごくつらかったです。

現地の人と連絡が取れない。親にも親戚にも友達にも。

ずっとパソコンの前にへばりついていました。少しでも情報が入るようにと。

一日の半分以上はパソコンの前にいました。

悪い予感がしなかったので、早く安全という情報だけ聞きたいと思ってキーボードをたたいていました。


結果的にこの日の夜に友人、親の安全が確認できたのですが、とても苦しい時間でした。


一番近しい人の安全が分かってからは少しは落ち着いて行動できるようになりましたが、それでも不安は続き、一人でいるのが困難な状況でした。

友達の家にいったり、電話したり。

情報に触れるのは怖いけど、触れないのも怖いという葛藤の中では生きた心地がしませんでした。

今では良い知らせも悪い知らせも受け入れられるようにはなってきました。
ただ一日の密度がとても薄くなった気はします。

何もなくただただ時間が過ぎていく毎日。

このままではいけないけど、何をすれば良いかも分からない。

悶々とした中で月日を消化していきました。


それが今の状態です。

このままでは変わらない気がするので27日に岩手に帰ります。

この目で見て、現実を受け止めてこようかと思います。

いろいろな覚悟は出来ました。


しっかりと今回の出来事を胸に刻みつけたい。そして出来るだけ多くの人に伝える。どんなに忘れられても。どれだけ時間が経っても。

それが無事に生き残った人に出来ることだから。


あと少しで社会人になるということでブログ始めました。

日々の感情の記録、思考のアウトプットの場となれば良いなと感じます。

よろしくお願いします。