人生の寄り道 ~22歳脱力系男子の頭の中 -2ページ目

人生の寄り道 ~22歳脱力系男子の頭の中

映画・カフェ・本…色々なものを取り上げて考えたことを書いていきます。
無駄なものこそ人生に彩りを与えるものです。

暇はないのに退屈している。
情報は溢れているのに取捨選択できない。
そんな人は是非読んでみてください( ´ ▽ ` )

いきなりですが、私は「なにもない」小説を好んで読みます。
なにもないというのは、物語の起伏が少ないという意味です。

映画で言うと、クライマックスがしっかりあってハッピーエンド!みたいなものでなくて、
いうなればフランス映画のような、「あれっ?これで終わり?」感のある作品が好きです。

もちろんそういった小説や映画にもメッセージ性があって、
起伏が少ないからこそそのメッセージが直接響くような気がするのです。

今回紹介するのもそんな小説です。

スティル・ライフ

池澤直樹著「スティル・ライフ」
第98回芥川賞受賞作です。1991年出版。

内容ですが、前半で「スティル・ライフ」後半で「ヤー・チャイカ」という短編2本立ての構造になってます。



前半のスティル・ライフのあらすじだけ少し説明すると、

アルバイトとして染色工場で働く「ぼく」は、
ある日「佐々井」という男と職場で出会う。

佐々井は独特の世界観を持った男で、哲学的な話をしたと思えば宇宙の話を始めたりもする。

2人は洒落たバーで友人ともただの知り合いとも言えない微妙な距離感を形成していく。

そんなある日、佐々井は「ぼく」に「頼みがあるんだ。」と打ち明ける。
それを機に「ぼく」は佐々井のこれまでとは全く違う一面を見ることになる――。



こんなんです。
物語の設定的にはネタバレになるので言いませんが、
かなり起伏のあるストーリーにも出来そうな内容です。

しかし池澤夏樹氏はそこをあえて抑えて、淡々とした物語を展開していく。

そこに抒情的な文章が乗っかることで、
なんとも言えず心地いい世界観が演出されます。

ここで気に行った部分を少し引用。
「ぼく」が3月の海辺で座り込んで物思いに耽るシーン。


「雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。……雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。」 


良い描写です。
雪が降っているときの静けさと一緒に場面が想像できます。

この表現に触れて考えたのは、
おそらく作者はここで
主観的な世界客観的な世界のズレを描きたかったんではないかと。

すなわち、私達はものを見たり、触ったりということを、
当たり前ですが自分自身を通してしか知覚することはできません。

なので今見ている世界もあなたが知覚する、主観的な世界に過ぎない。

では客観的な世界というものは本当に存在するのか?
という疑問にぶち当たります。

人はそれぞれの主観的な世界を形成しているに過ぎないのですから。

こんな哲学的問いが浮かんでは消えていく。
そんな雰囲気がこの作品を良作たらしめています。


主観的な世界においては、自分が王様です。だからなんだってできる。
世界を上へ上へ上昇させていくことだって可能です。

そんなことを考えていると、
もう少し自由に、世間というものに縛られず生きてみようかなという気持ちが生じます。

他人からの評価や、人間関係。
それも主観的な世界における出来事に他ならないのです。

自由に、淡々と自分の世界を生きてみるのも良いかもしれません。
是非読んでみてね!


最近はインターネットの著しい発展のおかげで、
様々なことがめまぐるしく変化し、新しいものがたくさん産み出されています。

スマートフォン、クラウドコンピューティング、SNS…

ネットはもはや最大のメディアになっているということができます。
ここで考えてみるべきはメディアの在り方であり、メディアとは何か、ということです。

そこで今回はTEDxSeedsという、以前紹介したTED関係の団体によるイベントの動画を紹介します。
1年に1度のイベントで、日本人が登壇してトークをするのです。

こちら。


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古川柳子(Ryuko FURUKAWA)氏による「メディア的日本への躙り口」です。
22分と少し長めですがじっくり観る価値はあります。

タイトルにある「躙り口」、これは「にじりぐち」と読みます。
日本の茶室にある、60cm四方の小さな出入り口のことです。

こんなの。

躙り口

なぜこんなに小さな出入り口になっているかというと、
もちろん昔の人の背が小さかったからではありません。

地位や身分の高い者でも茶室に入るには頭を下げなければならず、
「礼」というものを自然に取り入れるための仕組みだそう。

そして武士が入る時も刀を差したままでは入りにくくなっていることから、
武士の身分の証である刀を掛けておく場所も軒先に用意されています。

身分を忘れて、別世界である茶室に入るということですね。


躙り口の説明にいささかスペースを使いすぎた感が否めませんが、
今回の動画では身分のことを話すわけではありません。
にもかかわらず躙り口の説明をこんなにしたのはうんちくを披露したかったからに他なりません。



日本の伝統的茶室。そして茶の湯という文化。
このいわば古いものと、上に述べたメディアという新しいもの

古川柳子氏はこの共通点を抽出し、今後のメディアに求められるものをあぶり出します。

堅そうな話だと思ったあなた。古川柳子氏を舐めてはいけません。

「茶室」と「モバイル」が同じ。
「お手前」と「イチロー」が同じ。


古川氏はこのようにユーモラスな語り口でメディアの本質を説明していくのです。
きっとあなたが考えてもみなかった視点からの面白い話が聞けるはずです。


古いものと新しいもの。
まったく違うものに思えても本質も突き詰めて考えれば、
案外同じ要素まで落としこめるものも多いのかもしれません。

本質を突いているからこそ、引きこまれるトークです。
ぜひ。





ご無沙汰です。

早速ですが皆さん時間の経過について普段考えることはありますか?
これまで過ごしてきた時間は私達にとってどんな意味を持つのでしょうか。

そんな考えに浸れる短編アニメーションを今日は紹介。

つみきのいえ

『つみきのいえ』です。
アカデミー賞の短編アニメーション賞を受賞した作品です。24分と本当に短い作品。



まるで積み木のような家が舞台。
海面上昇で水没していく家を上へ上へ建て増していった結果らしいです。

その家のてっぺんに棲むおじいさんが主人公。
おじいさんはパイプを落としてしまったが故に家の中を下へ下へもぐっていきます。

するとその家で過ごした家族との記憶が次々フラッシュバックする…といった物語です。



絵の雰囲気を見てもわかるように、静かで寂しい、そして優しい作品です。

しっとりとした雰囲気に包まれながら、
積み木の家は垂直に積み重なってきた時間を可視化したものなんだということを実感しました。


人は時間を止めることはできず、時間は過ぎていきます。
しかしそれは過ぎ去っていくのでなく、積み重なって今の自分を形成するのです。

今あなたが見ている景色は、
あなたがそれまで過ごしてきた時間という積み木の家のベランダから見たものなのかもしれません。


必ずしも過去を振り返る必要はありません。
しかし自分が立っている足元の感触を今一度意識してみてはいかがでしょうか。

時間とは何か?過去とは何か?
観てみてください。