Ashlyが歩けば Ⅱ

Ashlyが歩けば Ⅱ

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長女一家はレンタカーで淡路島に旅行に行きました。

いつもの静かな生活で、ほっと息が付けました。

いつもより沢山の料理に洗濯に会話、小さな子供たちの安全に気を遣い、楽しいけれどちょっと疲れます。

 

いつもカメラから逃げる孫Ⅱですが、ばっちりカメラ目線の写真が送られてきました。

 

ミシン部屋は危険がいっぱいなので、孫入室禁止。

ゆえに私も張り仕事が出来ませんが、今日は端切れで大きなバッグを作れました。

 

収納袋付き。

 

孫Ⅰがよちよちの頃に編んだベストをほどいて編み直しています。

 

 

あなたの街のシンボル教えて!

 

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昨日から、南国のタイから長女一家が一時帰国しています。

孫たちと、ずっとしまい込んでいたクリスマスデコレーションを鉢植えのドイツトウヒに飾りました。

 

誕生の前後に、私が一カ月ほどタイに滞在してお世話したベビーちゃん。

別れた時は枯れ葉のような手足であわれを感じた彼女もムチムチになっていました。

本日はムコサンは一日リモート会議、長女は上の2人の子供を連れてアニメを観に行きました。

久しぶりに、2人がかりで赤ちゃんのお世話。

打ち身の痛みに、ベビーちゃんは重たかった。

昨夜、子どもたちと一緒に入浴していた長女に寝間着を届けようとして、床で思いっきり滑って転んでしまい、左胸と足の付け根を強打。

今朝のラジオ体操もぎこちなく、痛みを感じました。

 

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今夜は今年最後のコーラスの練習日。

練習は半分の時間で観客席に移動しました。

合唱団に関わる7人の音楽家たちがミニコンサートをしてくれました。

来年は休まずに出席、自主練できるように目指します。

 

 

イチゴは最初に食べる派?最後に食べる派?

 

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二見ケ浦に面する賓日館は、伊勢神宮に参拝される皇族や要人が使用する休憩・宿泊施設として明治20年に建築された迎賓館でした。

 

当時の近代和風建築として、技術と粋の最高の技のもとに建てられました。

 

廊下から客室

 

 

2階120畳の広間

 

皇室用お部屋

若き日の秋篠宮様もいらっしゃってます。

 

 

 

 

 

お庭も力強くて素晴らしいです。

令和2年から耐震工事に入るそうでしばらく見学ができません。

建築士さんでしょうか、建物の記録を取っている若者がいました。

 

二見興玉神社

本来はここで身を清めてから伊勢神宮にお参りするのがよろしい様です。

 

この神社は猿田彦命が祀られていて、そのお使いが蛙なので、沢山の蛙の置物があります。

無事帰る、若返る、よみがえるとカエルは縁起が良さそう。

 

 

夫婦岩

これがご神体ではなく鳥居のようなもので、間の興玉神石がご神体です。

興玉神石は地震で崩れ海の中にあります。

 

賓日館の隣にある甘味処 御福餅本店は、"伊勢と言えば赤福"より長い歴史を持っています。

抹茶と三種のお餅はベストマッチです。

 

御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)

伊勢神宮の祭典で使用する堅塩(かたしお)を作る所です。

御塩のもとになる高濃度の塩水は、御塩殿神社域内の御塩焼所で煮つめて荒塩となり、御塩殿で型に入れて焼き固められます。

 

御塩殿

 

箒の目がくっきりと残る道は二手に分かれています。

まっすぐ海に続いていて海水を汲み上げる所。

 

左の方には海水を煮詰めて濃くする御塩焼所

今もこの二見の住民がその役を担っていると記されていました。

伝統を守るって大変です。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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旅記録、少し前後します。

↑の後、斎王在任中に流行り病で亡くなった隆子女王の墓に参りました。

宮内庁の管理となっていました。

平安時代とは言え、天皇の代わりのお方なので宮内庁管轄なんですね。

 

カケチカラとは、茎ごと抜いた稲穂(初穂)を青竹等に掛けて神前に捧げるもので、“御陰様で収穫できたものをなるべく早く神様へ届ける”の意味。

明和町には、毎年10月に伊勢神宮で行われる神嘗祭で内垣に掛けられる稲束の発祥の地とされ、記念碑が建てられています

 

伊勢物語の中にある斎王のラブストーリー。

伊勢へ使いに来た在原業平(なかなのプレイボーイ)との別れを惜しみ、歌を詠み交わしたというお話から

大淀港近くにある松を「業平松」と呼ぶようになりました。

これは3代目です。

 

大淀港近くに、斎王が伊勢に赴く前に最後の禊をしたと言われる碑がありました。

 

伊勢市 宮川ちかくにある山田奉行所は治安の他に、伊勢湾の管理と伊勢神宮遷宮の取り仕切りも任されていました。

 

当時の平面図から、一部を再建されています。

ボランティアによって管理されています。

 

あの大岡忠相も、4年間を山田奉行として幕府より派遣されていました。

大岡裁きはここでもなされていたのです。

障子の向こうにお白州。

手前の部屋は奉行の休憩所

畳敷きの、奉行専用おトイレも見られます。

 

お白州

 

お宿にチェックインしてから外宮参道散策に。

 

 

 

豆徳のミックスのお豆と三橋のぱんじゅうをお買い上げ。

ぱんじゅうはカステラ饅頭のような皮のなかに紫芋やカスタード、栗など7種類のアンがたっぷり詰まっていて美味しかったです。

この辺りの店は5時に閉まるようです。

平日の夕方、内宮のおかげ横丁のようなにぎわいはありませんでした。

でも歴史を感じる建物など面白いです。

 

山田旅館は創業100年以上です。

宮大工が作ったと言う建物は歌舞伎座みたい。

ガラス戸越しにのぞいてみたけど、私は泊まりたくないかな。

 

柄杓童子の像

犬の代理お参りと言うもあったようです。

柄杓をくくられた犬がいると、他人さんでもその犬の面倒を見てお参りさせてくれたのだとか。

背中の童子は、人々のやさしさの象徴。

 

 

 

逓信省旧山田郵便局電話分室

今はレストラン

 

 

外宮の衛士さんから、あと数分で閉じると言われ大急ぎでお参りだけさせてもらいました。

 

急げ、急げ。

 

隣には、2033年の式年遷宮の土地。

20年に一度、社殿を真新しくします。

 

お宿は縁を大切にするEN HOTEL

 

 

マッサカウシィ~と喜んでいましたが、何だか脂がしつこく感じて。

歳のせいですかねえ。

 

わらび餅と抹茶アイスでさっぱり。

 

 

 

 

 

 

 

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この旅のメインは、冬至の前後、内宮宇治橋の大鳥居から昇る美しい日の出を見る事です。

なので6時に宿を出て、伊勢神宮の内宮の宇治橋の前に場所を取りに行きました。

まだ夜です。

鳥居の真正面には規制線があって二列目を確保することが出来ました。

ダウンパーカに帽子、肩掛け、オーバースカートにホカロン。

熱いお茶も用意しましたが、、、足元から冷えてきます。

天気予報は快晴でしたが雲が出てきました。

やっとその雲に光が当たってきました。

 

ここからが長かったです。

後方には多くの人が列をなしていました。

寒い、寒いと呟きが聞こえてきます。

やっと日が射してきました。

 

日の出を待つ群衆の前でも次々とポーズを取って写真を撮っていく参拝者。

宇治橋には真っ白に霜が付き、派手に転んだ御婦人がいました。

 

ご来光を見届けてお参りに行きました。

 

五十鈴川は工事中で、川辺には入れないようになっていました。

お札の授与所にはまだ灯りがともっています。

 

 

 

内宮でお参りして宿に帰りました。

 

帰る時でも、鳥居から来光は見えました。

群衆はおりません。

普通のお参りの人が順番に写真を撮っていました。

無理に寒さに耐えなくても、この時間で良かったんじゃない?

 

宿に帰って、ぎりぎりの時間で朝食をいただきチェックアウト。

伊勢志摩スカイランで標高300mの一宇田展望台。

伊勢湾の島々や対岸のセントレア空港が見えます。

 

さらに上って伊勢神宮の奥の院と言われる朝熊岳金證寺に。

伊勢神宮だけでは方参りだそうです。

創建は6世紀。標高555m

 

 

 

赤い太鼓橋のこちらは此方、向こうは彼方だそうです。

 

檜皮葺の屋根にベンガラ色の壁、趣があります。

 

ここから向こうは宗派にこだわらない卒塔婆供養所 奥の院です。

 

大きさによってお値段が違います。

 

九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆公の五輪塔がありました。

 

 

さらに上って天空の展望台

 

ここは足湯につかりながら絶景を見られます。

 

天空のポスト

ハガキを投函しました。

 

伊勢湾が全部見える丘

 

志摩うどん

出汁で食べる伊勢うどんで志摩の産物の青のりやとろろコブと竹輪の磯部揚げがのっています。

 

 

 

 

 

 

 

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