アスペルガーと二次障害、味覚障害。 | アスペルガーですが、妻で母で社長です。

アスペルガーですが、妻で母で社長です。

アズ直子(経営者・著者)ブログ

ストレスが溜まり始めたころから、何を食べても美味しいと思わなくなりました。心療内科に行く前までは、何を食べても満たされないので、むしろ食べすぎていたのですが、処方された薬に「苦味が口に残る」という副作用があり、これが結構強く感じるので、服薬するようになってから、「味覚障害」に近い状態になりました。これも過敏体質だから起こることかなと思っています。

常に相当な苦味が混ざるので、何を食べても当然美味しくありません。唯一、普通の味と感じるのは、そもそも苦いブラックコーヒーだけです。カフェインを摂りすぎると眠れなくなるので、一日午前中に一杯だけと決めているコーヒーが、さらに楽しみになりました。

 

味覚障害は以前に「顔面神経麻痺」を患ったときにも経験しました。発症の前日に耳が痛くなり、当日の朝、今思うと瞬きができなくなっていて目が痛くて涙が止まらなくなり、そして味覚もおかしくなりました。広尾商店街の食堂で、いつも食べていた納豆が変な味だと思ったら、そこからの帰り道に顔の半分が全く動かなくなったのです。その後もしばらく何を食べても砂が混ざったような変な味がするので、コーヒーしか飲まなくなりました。私が味覚を損ねたときの、共通の傾向なのかもしれません。

当時、高校生だった娘が読んでいた「東京喰種トーキョーグール」という漫画に、半顔が不自由でしかもコーヒーしか飲まないキャラクターが描かれていたとかで、まるでそれみたいだと面白がられました。

 

食べる楽しみがなくなるのはこういうことかと思いましたが、ちょっと気分転換にお菓子を口に入れても美味しくない、仕事が終わったうれしい気持ちで食事をしても美味しくない。何度かがっかりするうちに、「食べても何もいいことがない」という気持ちになってくるのです。手が届くところにお菓子や果物を積まれても、手を出さなくなりました。

 

面倒臭いなと思うのが、何も食べず、目に見えて痩せていくので、周囲が心配をし始めます。

 

「何が食べたい?」「何なら食べられる?」と繰り返し聞かれるので、「食べ物に一番興味がない私に聞かないで!」と軽くキレました。興味がないことを考えさせられるのが煩わしかったのです。発達障害全体そうですが、体調不良やコミュ障で悩んでいる本人に解決方法がわかるはずもないのですから、「どうしたらいい?」と本当に聞かないで欲しいのです。

 

では、どういうときに食べられたかというと、オフィスの人がみんなで食事に行くというときには、仲間はずれが嫌でうっかり着いて行きました。そしてその食卓がとても楽しかったので、うっかり普通に取り分けられたものを食べてしまいました。食べて当然という勢いで出されたので、つい食べてしまいました。

 

お寿司屋さんに行ったときには、何を食べてもゴムのようでしたが、残すと板前さんに悪いので全部食べた。

懐石料理は人のお誕生日会だったので、盛り下げたら悪いから全部食べた。

韓国料理に行ったときには、ビビンバに肉、野菜、卵と色々混ざっていたので少しでも栄養があった気がします。

タイ料理に行ったときには、ガッパオという混ぜご飯に同じよう色々入っていて、食べた後元気になりました。

 

眠れると元気になることも最近よくわかりましたが、食べない生活が続いた上で、食べると元気になることがよくわかりました。実感って大事です。納得しないと動かないことが多いと言われるアスペルガーにとって、実感と納得はなくてはならないものとなります。

 

講演会で、「発達障害者の偏食」に着いて質問や相談を受けることがあるのですが、本人にまんべんなく食べるということを習慣づけるのは難しい気がします。うっかり口に入るように、刻んでハンバーグに混ぜ込む、麺類に散りばめる、ジュースにしてしまうなどの工夫ができるといいのかもしれません。

 

それでも、においに敏感ですから嫌いなものが入っていると食べないこともあると思います。そうなれば、食べられるものをあれでもないこれでもないと模索することになるのかもしれません。食べ物は質がいいものに越したことはありませんが、毎日食べる食べないで喧嘩するくらいなら、最低限生きていられればいいと思うこともありなのではないかと思います。

 

刻むとか混ぜ込むとか料理そのものの工夫だけではなく、一緒に食べる人であったり、場所であったり、「うっかり食べてしまう」というゆるいゴールを目指すのもいいと思います。