
前回までのお話では 自分が望むことに対して 行動することを
一番ブレーキをかけているのが 自分であること
そして その『自分』 『自分らしさ』 が どこから来て
どう形作られて来たのかを 考えてきました
無意識と化した判断基準・価値基準に伴う行動が
『自分らしさ』を 具現化していると言えます
自分が 「こうありたい」と望む姿
自分が 「こういったものを手に入れたい」とする願望
それらは 今の『自分らしさ』のゾーンには ないものですよね?
すでに手にしている 身につけている
そうであるならば 望む必要は ない からです
また一方で 『自分らしさ』のゾーンは とても 居心地の良いゾーンであるとも言えます
何しろ 『自分』らしさ100%のゾーンなのですから
このようなことを言うと
「今 私は 私自身の境遇に満足などしていないし 居心地が良いなんて 微塵も感じない。 一刻も早く この場から この環境から逃れたいんだ」
そんな声も聞こえてきます
そのような人が そのための行動を起こしているならば
すでに『自分らしさ』のゾーンが移行していると言えます
一方で そうは言っているものの なんら変わらぬ日常を過ごしている人もいます
例えば 「私も今の境遇に満足していない! 目標は高く掲げ 年収を今の10倍にし 社会貢献するんだ!」と
とても素晴らしい目標ですが
本当に その人が そのことを望んでいないならば
それはただの見せ掛けとなり 表面上の意識では目標として掲げたとしても
時には自分自身を偽ってでも
その 『自分らしさ』のゾーンを守ろうとする 自分がいます
それは 社会的通念だったり 一般的に言えば 社会常識だったり
そういったものが 小さなころからの刷り込みで 『良いもの』とインプットされて
いたならば 見せ掛け上の思考をすることになります
結論から言えば
行動を起こしている人は 本当に『自分らしさ』のゾーンを移行していますし
見せ掛けの人は 言葉ばかりで 一切の行動を起こそうとしません
その時 決まって出てくるのが
「まだ その準備ができていない」
「時間もお金もないんだ」
「やりたい気持ちは十分あるけど 経験もないし・・」
「贅沢を言わなければ 今のままでも 良いところはたくさんあるし・・・」
など など
そして 月日が経って 変わらぬ自分を
「あの時は 仕方がなかったんだ」
と
『自分らしさ』のゾーンを移行するってどんなことでしょう?
一言でいえば 新しい 『日常 』が 現れるということです
例えば 温泉旅行にでも行って ご馳走を食べてきたとします
「あ~ 毎日こんなご馳走が食べられたらいいな~」
それを望んだとしましょう
それは すなわち そういったご馳走は 毎日の食生活にはないものだ
ということですよね つまり 『非日常』
だからこそ 望み となるのでしょうね
しかし 毎日のように その人が言う ご馳走を 食べている人は
そういった食事を ご馳走だとも思いませんし 当たり前のこととして
食べていることでしょう
もし そういった望みを持っていた人が そのような生活送れるようになったとすると
そう そういった食事は 『日常』 になっていると言えます
そうなった食生活では 以前食べていたものの方が 『非日常』 になりますよね
もう一度 繰り返しになりますが
「目標」や「願望」と呼ばれる先の世界は
今の居心地の良いゾーンにはないことを 理解してください
ないから こそ「目標」や「願望」となっているのだと
だから意識的に望む力によって 行動をしないと近づけないし
『非日常』 を 『日常』 に変えることはできない
つまり 考えるだけでは 何も変わらないし
考える土壌が 居心地の良いゾーンにある以上 妄想にしか過ぎないということです
先の例で言うならば
あんなご馳走が毎日食べたいな~ と思っている以上は変わりません
変わる方法は ひとつ!
毎日 そんなご馳走を食べ続けることです
でも 実際には
「そんな 毎日ご馳走食べていたら 飽きてしまう」
「たまに食べるから 美味しいんだ」
そんな 意見が多いのではないでしょうか?
『毎日 こんなご馳走が食べられたらいいな~』 も 嘘偽りのない 自分の願望
『毎日食べていたら 飽きてしまう』 これも 嘘偽りのない 自分の本音
もし 自分の本音が
『誰が何と言おうと 世間がどんな目で見ようと
私は 毎日 ご馳走を食べ続けてみせる!』
としたならば その人の 『日常』は 変わっていくでしょう
つまり 本音と願望が違うということは 見せ掛けの願望であるということ
本当に心底 望んでいないということが
行動に移せない
行動に移さない
大きな原因なのです
望んでいることが 行動として起こせないとき
もう一度 自分に問いかけてみましょう
『 本音は どう? 』 と
そして 自分が 自分にブレーキをかけている多くは
いえ ほとんどと言っていいでしょう
できない理由をならべた想像です
そう 想像なんです
できる と想像することも
できない と想像することも
想像することに なんの変わりもありません
どちら向きに 想像をするかは
本当に どれだけ 望んでいるか
その想いの違いだけです
だから
いいなって思ったら
行動 してみる
一千万の想像も 一回の行動にはかないません!
まず 動いてみる それから次を考えても
いいんじゃないでしょうか?

前回は やりたいって思ってもできない理由を並べてしまう
それが ブレーキになっているっていうお話でした
そのできない理由を並べているのは 他ならない
自分ですよね
しかし 誰もそんな自分は望んでいないのに
そんな自分が自分の中に現れてしまいがちです
いったいどこから来るのでしょう?
そもそも 『自分』って何でしょうね?
少し 次のようなワークをしてみましょう
・ こんなことをしているのが 「私らしい」 と言えることは?
・ いつも 「自分好み」の〇〇を買うものは どんなもの?
・ 他の人は平気でも 「私だけは」 これにこだわる それは?
そんな感じで 自分で気づける自分らしさや よく人から言われる あなたらしさ
を書き出してみましょう
何が見えてきましたか?
ごく慣れ親しんだ 人物が そこにいますよね
日常の 自分の姿ですよね
そして そこに浮かぶ姿は
ある一定の基準の中にいると思います
例えば ファッションでいうと
「流行には囚われないけど 足元だけはこだわっている」
その価値観は もしかしたら 以前 誰かに指摘されたことかもしれないし
とても素敵な靴と出会ったことがきっかけかもしれないし
靴屋さんに勤めていて 専門的な知識を身に着けたからかもしれないですよね
例えば 食事に関して
「夜の食事は抜いても 朝食だけはしっかり摂る」
その価値観は 何かの雑誌から得られた知識がベースになっていたり
友人から聞いたダイエットのアドバイスが元になっていたり
自分の経験から そのように感じていたりしているのかもしれません
このように 日常生活の中の 一コマ一コマですら
自分が自分らしくあるための 価値基準をもっているのですね
そして、そのほとんどが いちいち理由を思い出すことなく
ほぼ無意識のうちに ある基準に照らし合わせて判断をし 行動に移しているのです
日常生活の中で、どれほど多くのことを取捨選択しているでしょう?
意識的に、どちらにしようか?と選択していることもあるでしょうが
そのほとんどは無意識のうちに選択をし 行動をしているはずです
例えば 会社へ通勤している人なら 何か意図的なことがない限り
同じ時間に出発し 同じ手段で 同じ経路で
極端な言い方をすれば 「気が付いたら会社に着いてた」
ぐらいに 行動判断をこなしているはずです
この無意識のうちの選択基準が 『自分らしさ』 を作っているとも
言えるのではないでしょうか
こういった無数ともいえる 無意識の選択基準・価値基準が
『自分らしさ』の 基にもなっていて
それは 自分が自分であるべき個性を守る壁にもなってくれますし
一方で 自分ができない理由を生み出す 元になっているとも言えるのです
こうした無意識の選択基準・価値基準を身に着けてきたのは
多くの場合、両親であり 身近な兄弟であったりします
特に 幼少期は 両親や同居している家族の
価値観などがダイレクトに 照射される期間でもあります
その後、小学校・中学校と進むにつれ 生活行動範囲も広がり
友人や音楽、映画、書籍など 幅広いものから影響を受けたりしてきたのでは
ないですか?
彼と出会ってから それまでと考えが一変した とか
あの音楽によって 今の自分がある とか
母親のいつも言っていたことが支えになっている とか
それぞれの人に いくつものいくつもの 価値観が照射され
今の 『自分らしさ』 が作られてきたのですよね
つまり 自分で 『自分らしさ』 を作って来たわけではない
ということ
全てとは言いませんが 特にベースとなる部分は 自分の意志で
価値観を与える人を選ぶということは ない と思います
少なくとも 幼少期の場合 両親や同居している人 祖父母からの
影響が もっとも顕著な時であり
それが 『自分らしさ』 の土台となっていると言えます
そして それが 共感や反駁があるにせよ ひとつの絆となる
ことも 事実だと思います
『自分らしさ』 は 無意識の中での価値基準・選択基準が反映したもので
その価値基準・選択基準の土台は 自分で作ったものではないことを
理解してもらえたら いいと思います
次回は その『自分らしさ』の中の 何が できない理由を
並べてくるのかを 考えてみたいと思います

日々の生活の中で
これを食べてみたい
こんな服を着てみたい
ここへ行ってみたい
など いろんな『いいな』が こころに浮かびませんか?
でも 実際には それらをすべて叶えているわけではありません
なぜでしょう?
誰が そして 何が 止めているのでしょう?
・ そりゃ お金が捨てるほどあれば 欲しいブランド品でも何でも すぐに買えるでしょうね
・ 行きたいところがあっても 行く時間がないんだよね
・ 食べたいものを食べてたら 太ってしまうじゃないですか
などなど
望んでいるものを 思い描いた次の瞬間
それが できない理由を 心に並べていませんか?
例えば ハワイに行きたい! と思ったとしましょう
この時 ハワイへ行く というのはゴールです
どうしたら そのゴール(ハワイへ行く)に 到着するのか?
そう考えたら
ゴールへ到着するまでの 道筋が 幾通りもあることに
気づきませんか?
別な言い方をすれば いくつもの障害が あるとも言えます
例えば お金の問題
例えば 時間の問題
例えば 行ってから言葉の問題 など
そうして 道筋を いろいろと 思い描いてみる
その道筋にあるポイント「お金の問題」なら
『いったい いくらかかるんだろう?』 と思いますよね?
多くの場合 求めるものが 普段の日常から
離れていればいるほど 現実化するのに
いくら(お金)かかって どれくらいの時間が必要で
誰の助けが必要なのか 分からないうちに
できない理由を 心に思い浮かべ
『宝くじでも当たったら…』なんて 片づけてしまうわけです
つまり いきなりゴールに到着することだけが
夢や目標を叶えることと 思い違いをしがちなんです
その途中の道筋を ひとつひとつ 選び 考え 楽しむことも
そのゴールを 楽しむことと同じように
そして 逆な言い方をすれば それらの
道筋があるからこそ そのゴールは
素晴らしい経験になり 素晴らしい思い出となるのではないでしょうか?
しかし、その道筋を考え 感じ 選ぶよりも
できない理由を思いつく方が はるかにスピードが速い
そのことが 一番の障壁となっているのではないでしょうか?
そして そのできない理由を思いつくのは 他の誰でもない
あなた自身 だということに 気づいて欲しいのです。
