【人間を野菜に例えたら】
この投稿はあくまで私の主観的イメージです。
共感されない方、意味不明と思われる方いらっしゃると思いますが、ただの私の考えですので予めご了承ください
人間には色んな人がいます。
内面的な部分を色んな野菜に絡めて例えていきます
今回は『サツマイモ』について(*^_^*)
サツマイイモは痩せた土地でも育つ野菜です。
そんな環境下で育ってもホクホクとして柔らかい食感と甘味を持つ野菜。
『サツマイモ』と言えば、焼き芋
ホッコリした気持ちと甘くて温かくて冷えた身体に染み渡る感覚がたまらないです
そんなところから『サツマイモな人』は
●窮屈で困難な場面にも耐えられる屈強な人
●苦しい時も諦めず粘り強く努力する事で、1つ出来たらどんどん出来る事が増えていく人
●どんなに自分自身に困難な事が多くても人に優しく、尽くし誠実で温かい接し方が出来る人
●人をホッとさせる事が出来る人
●困っている人がいたら、さりげなくサポートする事が出来る人
●恩着せがましくなく、献身的な人
献身的な人って素敵ですよね
そんな献身的に人に尽くせる『サツマイモ』な人
ここで気を付けて欲しい事があります。
自分が行っている言動が【献身的】or【自己犠牲】なのか・・・・。
献身的と自己犠牲とでは同じ様に人の為に尽くしサポートしていたとしても、精神面で違いがあります。
その違いは【心の擦り減り】に現れます。
献身
⇒価値を見出し自分から率先して選び取ったものに対して行える行為。
自主性があり、『楽しい』『遣り甲斐』を感じられる
そして、それに対して利益(見返り)を求めない。
自己犠牲
⇒誰かから与えられたもので、押し付けられたものに対しての行為。
自主性はなく、『楽しくない』『嫌々やっている』・・・
目的の為に自分の何かを失うと感じている。
自己犠牲は心が擦り減ります。
心が擦り減りながら生活するって苦しいですよね・・・・。
自己犠牲では、いつも心の中に不平不満が渦巻き、モヤモヤしイライラが伴います。
最初は献身的にサポートが出来ていても、『優しいから』『人に尽くせる』そんな人だから、相手からどんどん甘えられていく。
そのうちに、いつの間にか『献身的』から『自己犠牲』に変わってしまわないように気を付けて下さい
気付いた時には既に心が擦り減ってボロボロなんて事にならないように(T_T)
人は自分の事が大事だし、大好きです。
だから自分を助けてくれる人にはつい甘えてしまったり、悪い言い方をすると『使えるな!!』と舐められてしまったりする事もあります・・・。
そんな時には是非とも1度考えてみて下さい
これは【献身的】なのか【自己犠牲】ではないのか・・・
人が自分を大事にするように、自分自身も自分を大事にしてあげて下さい。
そのバランスを上手く取れると心の擦り減りもなくなっていく、もしくは上手に対応していけるようになるのではないでしょうか
余談 ①
サツマイモの花言葉
●乙女の純情
●幸運
【乙女の純情の由来】
⇒サツマイモの花は朝顔に似ています。(同じヒルガオ科)
朝顔の花言葉は『儚い恋・固い絆・愛情など』
この花言葉から連想されてサツマイモには【乙女の純情】とつけられました。
【幸運の由来】
⇒サツマイモって寒い地域ではあまり開花しなかったり、本州で花をつけるのは100年に1度とか言われます。
多くの人は花を見る事が出来ないので、見る事が出来たらラッキーという意味で幸運という花言葉が付けられました。
(沖縄では暖かい為、結構見られるそうです)
また、薩摩藩の家庭の風習が由来ともされています。
昔から現在までサツマイモの産地として有名で、生活にも根付いています。
一部地域では花が咲くと国に良い事が起こり、畑の持ち主に幸運がやってくると言い伝えられて、花嫁修業で母親から学んだりしている様子からこれらの花言葉が付いたともされています。
余談 ②
韓国ではサツマイモを【コグマ】と言います。
食べると飲み込みにくくて、水を飲んでも飲み込みにくい
こんな様子から『もどかしい人』『じれったい人』『ハッキリしない人』などと例える事があるようです。
・・・・この韓国の例えより私は自分の持論の方が好きかな
『サツマイモな人』は心の擦り減りを減らしながら持ち前の優しさや努力家、屈強な心を大事にしながら、あなたと知り合えた事をラッキーだと思ってもらえるよう、新しい出会いや人との絆を大事にしながら過ごせたら素敵ですね
『自己犠牲なサツマイモな人』は本来の『献身的な人』へ