時期で言うと約3年。インストラクター養成コースなるものに参加し、そこから正社員となり大阪で一年、地元で二年。
大阪での日々は良い意味でも悪い意味でもとても一般の会社員ではまず体験できない貴重な経験をたくさんしました。
会員時代から感じてはいました。中村社長はレッスン中はにこやかで優しく、受けてる会員は皆心底楽しんでいましたが、それ以外だと何だか無愛想でちょっと怖かったです。ま、今思えばそっちが奴の本性だったようだ。いや、ちょっとどころじゃなかったけどね。
当時はブラック企業、◯◯ハラスメントなんて言葉はなく、今ほど弱者に優しくない世の中でした。
もちろん狭い世界で生きてきた僕には一般常識など身についておらず、つまらない事でヘソを曲げていたところはあると思いますが、今の感覚で考えても人格否定の域に達するくらい罵倒されてきました。先日メディアでも宝塚歌劇団が明るみにでましたが、規模では遠く及ばないまでも中身は似たようなものです。それでも前を向いて、中村を信じていれば間違いない、と思い必死に食らいついていきました。
インストラクターでも古株で誰も逆らわない存在・佐々木(仮名)から特にタゲられていた僕は毎日みんながいる前で罵られていました。ひどい時は客前でも。更にひどい時は手も上げられました。客商売だから顔は殴られなかったが、取り巻きの赤井(仮名)・木下(仮名)もそれを真似て肩を殴る、脛を蹴るなどしてきましたが、佐々木がとにかくダントツでした。
もちろん僕がミスばかりするからそうなるわけで、それでもインストラクターになりたくて気持ちは前を向いてましたが、恐怖心がどうしても邪魔をします。
実技も座学も実務も、養成コース生の中でいつも最下位でした。ビラ配りも接客もダントツでダメでした。十代では中の下か下の中だったがこの時初めて下の下を経験し、これが“落ちこぼれ”てやつか、と思ったのを覚えています。
あんなにインストラクターになりたくて入ったのに、ここまでするならもう辞めたい、と何度も思いました。新卒で入った単純作業が当時はしんどかったが、それが今思えば楽で仕方なかった。そこでは繁忙期にしかなかった残業がこの中村教の教団内では通常、いや序の口。明るくなってからやっと帰宅して週一の休みは夕方暗くなるまで寝るなんて経験はなかなかできないだろう。僕はしんどくてたまらなかった。
目の前で凍てつくような空気の中、中村の怒声に晒されている時でも眠気で気を失い、更に怒鳴られた。恐怖心でも拭いきれない眠気ってあるんだ、と怒鳴られながらも驚いたのを覚えている。
しかし、他の人は違った。楽しそうだった。信じられなかった。僕とは意識が違いすぎる、僕がいかに無力か、レベルが低いか、思い知らされたつもりでした。
しかし月日が経つうちにだんだん分かってきた。別にそんなわけではなかった。みんな眠いししんどいし、社長に対する不満もあった。ならばなお気持ち悪い。どいつもこいつも無理して演じてるってわけだ。
僕は小学校の時に夢見た、ステージに立つ仕事。インストラクターもそんなようなもの。プラス、シェイプアップしたいお客さんの思いを叶えてあげる使命もある。やりがいのある仕事だ。しかし、運営する中村教教団は超残業、怒声、休み関係なしの急な呼び出し、社会保険なし、養成コースに参加の時点で◯◯したら金一千万と書かれた誓約書に実印を押させるなど、完全なるブラック。
しかし、僕は頑張って最下位から中の下と少しずつ順位を上げていった。見た目も重要なため日焼けサロンに通い、髪も染めました。
そして、何とか合格しました。ボクシングベースのエクササイズだからボクシングのスパーリングもしました。もちろん素人なのでボコボコでしたが、皮肉にもここで僕の打たれ強さ、頑丈さが証明されました。小学校の時に分かっていれば、からかってきた奴らともっと喧嘩したのに、と思ってしまうくらい。
合格して、ビラ配りも他の同期と変わらないくらい捌けるようになり、念願のインストラクターデビューを果たし、大勢のお客様の前に立ちました。
しかし、それでも佐々木はうっとおしいぐらい僕の邪魔をしてきました。
今でもたまに思います。今頃あいつら何してんのかな?と。ヤクザにでもなってタヒんでんじゃねえのかな、て。
大阪に来て1年、金沢への移動を命じられた。
何はともあれホーム石川県に戻って来れたが、それでも佐々木は嫌がらせしてきた。僕の行動全てにケチをつけてきた。誰も奴に逆らえず奴の意見は通った。じゃあコイツがいる間俺はどんなに頑張っても無駄じゃないのか?と思いながらもやりがいのある仕事を頑張った。
振られた元カノもまだ会員だったが、ほどなくして結婚します。
金沢で僕は1人の女性会員と出会いました。少し歳下の可愛い女の子で、初めて見た時はおっとりしたイメージでしたが、芯が強く、しっかりした人です。
ある時彼女曰くですが、彼女が帰ろうとしたが靴が見つからないという事があった時、僕が一生懸命探してくれたそうです。何だか不思議とこの人と話していると安らぐし楽しくて面白い。
この頃はよく漫画喫茶に行ってましたが、ある時そこで当時流行ってた2chなどを見ていました。他にも色々探してたらその女性のブログを発見しました。それによると彼女はGACKTさんが好きらしい。僕はそこに書いてあった彼女の好きなGACKTさんの曲を自分のレッスンに取り入れてみました。いつも僕の時は最前列にいてくれる彼女は明らかに動揺して、且つ嬉しそうでした。
そして後で潤んだ目と笑顔という不思議な表情をした彼女に「まんぺいさんのせいでバレたじゃないですか」と言われました。僕は動揺しました。「えっ?どういう事ですか?」と。
満喫で彼女のブログをチェック。
すると、誰に対してか分からないが「大好きですよ。ありがとう」の文字が。僕の胸はときめきました。いや落ち着け。この「大好き」はGACKTさんの事かもしれないじゃないか。など、1人で考えを巡らせました。しかしこの胸の高鳴りは抑えきれません。気がつけば彼女を好きになっていました。
しかし、最初に実印を押した通り、お客様と個人的な関係を持つと金一千万取られる、というのもある。でも事実、会員さんと結婚した先輩もいます。
僕は思い切って2人で会おうとこっそり伝えました。10代は振られっぱなしでしたが、初めてOKを貰えました。この瞬間、僕はこれまで会った全ての人に感謝しました。そのどれかがなかったらこの出会いはなかったかもしれないから。まだ付き合ってもないしデートもしていないのに。
そして、次の日、僕なりにオシャレしたつもりが何故か会った瞬間彼女に大笑いされました。
そしてドライブして故郷の海へ。波打ち際を2人で眺めるだけのデート。
それからも時間を見つけて2人で会っていました。
そして自然と結婚へ。
会員との結婚は御法度のため彼女は退会手続をしました。
しかし、満を持して中村に結婚を報告したら激怒されました。そして他の社員達からも激しい非難を浴びました。後日中村とその奥さんである副社長、以下全社員のいる場に呼び出された。どうせ吊し上げられるのかな、と思った僕はクビを覚悟しましたが、少し違いました。
中村は社員達に尋ねました。何が悪かったと思う?と。最初に訊かれたのは僕です。
「僕が手を出したという事です」
と答えましたが、社員達は違いました。付き合うのはいいが会員じゃないと嘘をついて、相談をせずに結婚まで進んだ事がいけない、と最初の人が言ったら右へ倣えでほとんどの人が同じ事を言いました。中村の奥さんは「まんぺいだけが分かってる。みんなの方が分かってない。手を出したまんぺいが悪いんだよ」と。そう、僕が気持ち悪さを感じていたこの宗教団体まがいの右へ倣えがここでもハッキリしたわけだ。僕は以前から中村よりも奥さんの言う事の方が共感できた。
「会員と結婚した先輩が数名いた事も原因だと思う。それに、時間がないから出会いがないのもあったんじゃないか」。僕は心の中で「そうなんですよ副社長!」と叫んだ。
会員と結婚した先輩は3人いて、そのうちの2人は佐々木と赤井。そしてもう1人の木下は僕の少し前に会員の女性と関係を持ったとか何とかで辞めていた。子供も小さいが副社長によれば離婚したらしい。
今思えばこの時しっかり辞めておくべきでしたが、アルバイトで残る道を選んでしまいました。副社長が「大事なお前を辞めさせたくなんかないよ」と言ってくれたのが効いた。それに、生半可な気持ちでインストラクターになったわけではなく、もちろん辞めたくもなかったので。
いつ社員に戻れるかも分からないアルバイト、おまけに社会保険もない、拘束時間が異常に長い状態。それがいつまで続くか分からない。妻にかける負担は想像以上に甘いものではなく、結局1年経たずにこの宗教団体とはオサラバしました。
オサラバするのもしんどかったです。今までも辞めていった者はほぼ例外なく中村から罵声を浴びるだけ浴びていましたので、僕もそうなるんだろうか、と危惧していたらその通りでした。
中村と赤井から罵声を浴び、ほぼ「死ね」に等しい事を言われました。僕は歯を食いしばり、内心「これでお前らとはオサラバだ。気が済むまで吠えていろ」と思い耐えました。
労働基準監督署に電話して「◯◯したら金一千万と書かれた誓約書に実印を押さされましたが有効ですか?」と尋ねたら感情のない声で「無効です。実印を押そうが弱い立場の人に◯◯したら金を払えという時点で違法です」との事でした。木下も労基に相談してたら離婚までしなくて良かったかもね。ま、どうでもいいけどザマねえな。
まず、奴らは盲目過ぎて、中村を神か何か絶対的な存在と思い込んでいて、浮世離れし過ぎていた。だから中村がズレた事言っても誰も疑わなかった。
僕がその渦に入らずに済んだのは、月日と共に奴らが無理してついていってる事に気づけた事と、もう一つきっかけがある。
それは一泊の研修でのこと。
部屋を真っ暗にして波の音を聞かされ、椅子が人数分より若干少なく並んでいました。設定は、このままだと沈んでしまう船の上。そこで自分が生き残る価値を訴えるというもの。1人ずつ順番にそれを言いました。
1人目は、この会社を世界のブランドにするためには私がいなきゃダメなんです!私が残ります!と言いました。そして2人目は、いや私こそが、と来ました。そこからはまた右へ倣えで同じような内容が続きました。え?僕もそんなような事言わなきゃいけない感じか?と思ってたら1人だけ、私は皆さんのような覚悟はありませんが死にたくありません!と正直に言いました。そして僕の番。「僕には大切な恋人がいますから死ねません」と言いました。
その後話し合いを経たが結論が出ず、誰も椅子に座らずゲームオーバー。全員死亡って事になりました。椅子を奪い合う姿を見たかったそうです。そして研修の講師の方が言いました。「あなた達が本当にこの状況になった時、会社の事を考えたりはしないはずです」と。僕は自分ともう1人だけが正解したような優越感を1人で覚えていました。その後の休憩の時、副社長が「ねえまんぺい。恋人いるの?会員じゃないわよね?」と嬉しそうに聞いてきてくれたのを覚えています。僕はその時「(退会手続きしてるからその頃には)違います」と、良心の呵責に苦しみながら答えました。この右へ倣えの宗教団体で僕は唯一副社長だけは尊敬していました。今でも思います。あんな凄い人見た事ないかも。
それにひきかえ。赤井が、辞めると決めた僕に電話で説得しに来ましたが、僕は拒否しました。すると態度を急に変え、お前は結婚するために会社を利用したんだ!と言い出しました。
そして何を書いたか知らんが中村は最後の罵声を赤井が書いた文章を読みながら僕にぶつけました。中村の言い分は「お前は俺の会社を結婚相談所代わりに利用したんだ。性欲を満たすために。」。
・・・。
思い上がり甚だしいとはこの事。会社がこんなに、社会保険もない、金一千万で実印押させる、有り得ない拘束時間、などブラックぶりを発揮してる事については何も言わずにただ目の前の弱者を罵声で甚ぶる。その前にこの事に気づかないと、この会社、いや教団にいる間は同僚かお客様としか付き合えねえって。
俺はこいつのマリオネットとしての人生などまっぴらごめんだ。お前らだけで一生やってろ。
僕は多分クビ扱いだろうな。中村曰くの懲戒免職。・・・。俺は公務員じゃねえっつーの。正しくは懲戒解雇な。それに懲戒は、もうどこ行っても働けないって意味じゃねえからな。覚えとけよ恥かく前に。もう遅いか。
しかし、副社長から「退職願書いてってね」とのメッセージを人伝にいただきました。おかげでスッキリ辞めれました。
そして、僕の辞め際影が薄かった佐々木は僕が辞めてすぐ辞めたらしい。更に笑えたのがもう1人、ネズミ講やってるって噂もあった先輩からハガキが届きました。実家とアパート両方に。
「僕も最近この会社に疲れて辞めました。一緒に新しいビジネスしませんか?」。あの時はみんなで僕を罵ってたよなお前?しかもこんな立ち入った事を封書じゃなくハガキで?マジかコイツ。笑えました。ちなみに佐々木もこいつと同じネズミ講やってたって噂。
ともあれ、ようやくこの会社、という名のエセ宗教とはお別れできました。
最後の最後までしんどかったです。
ちなみに世界進出、その前に東京進出を20年以上前から言ってましたが、今も果たされていないようです。きっと貴方がこれを読んでる時点でもね。
感情的になってごめんなさい。
でも、ここで僕は、一般社会ではそうそう経験できない貴重な体験をいっぱいする事が出来ました。
愛する妻と出会えました。僕のせいで彼女にも辛い思いをさせましたが、これを書いてる今も幸せに暮らしています。あの時何を言われても耐えられたのは妻がいてくれたからだと思います。
妻には、他の人には見せられない自分の弱さも見せてきました。そんな僕をしっかりと受け止めてくれています。ありのままを受け入れてくれるから、こちらも背伸びしなくていい。一緒にいると落ち着く人であり、(友達には言えませんが)どの友達よりも面白くて楽しい人です。嬉しいことに、妻もそう言ってくれています。たまに言ってくれるんです。私なんかと一緒にいてくれてありがとう、と。こちらこそです。
あの日の母と同じで、僕は今、本当に心の底から幸せです。
それは妻と一緒にいるからです。
妻を愛する気持ちは最初から何ら変わりません。もちろんこれからも。