演歌の女王 | #029ブログ#

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1980年(昭55)12月31日は、八代亜紀さん(当時30)が名実共に「演歌の女王」となった日だ。この日、「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞の大賞を獲得。同日の第31回NHK紅白歌合戦で、2年連続の大トリも務めた。いずれも五木ひろし(同32)との一騎打ちを制した。「五八戦争」と言われた。八代さんの所属したテイチクレコードで当時、宣伝主任だった原田英弥(当時36)は「そのころ石原裕次郎さんと三波春夫さんが2枚看板だった。大型歌手を育てることが急務だった」と振り返る。出世作「なみだ恋」から8年目で80年。験のいい「八」が並んだ。大賞を本気で狙った。「夜空」(73年)に続く2度目の大賞を狙う五木も「ふたりの夜明け」が大ヒットしていた。2人は下積み時代、東京・銀座のクラブ「エース」で、一緒に歌った先輩後輩だった。八代さんは「(五八戦争と言われ)いい気持ちはしなかった…」と振り返った。大賞候補の金賞は10作品。審査員は59人。大賞は過半数の30票以上を必要とした。第1回の投票は「雨の慕情」が28票、「ふたりの夜明け」が21票。決選投票は八代さんが36票、五木が23票。決着がついた。このころ東京・渋谷のNHKホールでは、第31回紅白が始まろうとしていた。トリは紅組が八代、白組が五木と決まっていた。ただ、どちらが先攻かは放送開始直後に抽選機で決めることになっていた。関係者は「大トリを事前に決めれば、レコ大の審査に影響を与えかねなかった」。結果は白組先攻。大トリは八代さんに決まった。運さえも味方にして、演歌の女王に上り詰めたのである。※引用しました!