スイス1部リーグ、バーゼルへの移籍を発表したサッカー日本代表FWの柿谷曜一朗(24)=C大阪=が9日、大阪市内で記者会見し、移籍に対する抱負を語った。会見の主な一問一答は次の通り。
--あいさつを
「移籍が決まったが、16日までセレッソ大阪の選手として2試合残っている。チームの一員として2試合を乗り切ろうと思っている。残り2試合でセレッソ大阪の柿谷曜一朗を応援してほしい」
--移籍に至った決意と理由を
「理由はたくさんあるが、W杯を経験して、日本の力を世界に示せずに悔しかった。個人的にももっと準備できた、貢献できたと思う。ベンチから見ている時間が多かった。中心選手として試合に出たいという気持ちが大きくなった」
「(涙ぐみながら)たくさんの人に相談して、自分からセレッソ大阪のユニホームを脱ぐのは難しい決断だが、決まった以上は後悔していない。一生懸命やるだけ」
--セレッソを離れることについては
「サポーターの前で15日にしっかり話したい。もう少し考える時間がほしい」
--迷ったか
「迷うというよりは、セレッソを離れるべきなのかを考えた」
--山口蛍選手とはどんな話をしたか
「あいつに関しては、仲が良いというよりは、あいつもそういう夢を持っていていずれそういう舞台に飛び込んでいくと思う。これで、『曜一朗君には頼らへん。自分でやっていく』と言っていた」
--バーゼルの印象は
「常にチャンピオンズリーグで、上の方には行っていないが、グループリーグで強豪を倒している。スイス5連覇中で魅力あると思っており、そこのチームの一員になれるのは光栄」
--目標は
「早く言葉を覚えて、全選手とコミュニケーションを取りたい。その中でプレーは変わっていく。早くコミュニケーション取れるようにしたい」
--言葉は英語か
「早く覚えたい」
--スイスリーグのその先に見えている目標は
「まだそこまでは見えていないが、クラブ側からもステップアップしてほしい、そのためにバーゼルで活躍してもらいたい、と言われている。移籍するために試合に挑むのは失礼。6連覇に向けてチームのためにプレーしたい」
--スイス生活で心配なことは
「たくさんあって、最初はしんどい。そういうのは誰でもできる経験じゃない。心配と言うより楽しみでいっぱい。何するにもうまく伝えられないかもしれないが、サッカーをやりにいくのは変わらない。100%サッカーをやれる環境を自分なりにつくっていきたい
--セレッソ大阪での一番の思い出は
「一番はいっぱいある。2012年に徳島から帰ってきて、このチームで8番を付けてプレーできていた時が一番幸せかなと思う」
--サポーターに
「(再び涙ぐんで)セレッソで、タイトル取ってから行くと言っていた。そこはすごい申し訳ないという気持ちがあります」
--最後に
「厳しい環境になると思うが、今まで通りサッカーを楽しんで今後の自分につなげていけるようにがんばる」※引用しました。
--あいさつを
「移籍が決まったが、16日までセレッソ大阪の選手として2試合残っている。チームの一員として2試合を乗り切ろうと思っている。残り2試合でセレッソ大阪の柿谷曜一朗を応援してほしい」
--移籍に至った決意と理由を
「理由はたくさんあるが、W杯を経験して、日本の力を世界に示せずに悔しかった。個人的にももっと準備できた、貢献できたと思う。ベンチから見ている時間が多かった。中心選手として試合に出たいという気持ちが大きくなった」
「(涙ぐみながら)たくさんの人に相談して、自分からセレッソ大阪のユニホームを脱ぐのは難しい決断だが、決まった以上は後悔していない。一生懸命やるだけ」
--セレッソを離れることについては
「サポーターの前で15日にしっかり話したい。もう少し考える時間がほしい」
--迷ったか
「迷うというよりは、セレッソを離れるべきなのかを考えた」
--山口蛍選手とはどんな話をしたか
「あいつに関しては、仲が良いというよりは、あいつもそういう夢を持っていていずれそういう舞台に飛び込んでいくと思う。これで、『曜一朗君には頼らへん。自分でやっていく』と言っていた」
--バーゼルの印象は
「常にチャンピオンズリーグで、上の方には行っていないが、グループリーグで強豪を倒している。スイス5連覇中で魅力あると思っており、そこのチームの一員になれるのは光栄」
--目標は
「早く言葉を覚えて、全選手とコミュニケーションを取りたい。その中でプレーは変わっていく。早くコミュニケーション取れるようにしたい」
--言葉は英語か
「早く覚えたい」
--スイスリーグのその先に見えている目標は
「まだそこまでは見えていないが、クラブ側からもステップアップしてほしい、そのためにバーゼルで活躍してもらいたい、と言われている。移籍するために試合に挑むのは失礼。6連覇に向けてチームのためにプレーしたい」
--スイス生活で心配なことは
「たくさんあって、最初はしんどい。そういうのは誰でもできる経験じゃない。心配と言うより楽しみでいっぱい。何するにもうまく伝えられないかもしれないが、サッカーをやりにいくのは変わらない。100%サッカーをやれる環境を自分なりにつくっていきたい
--セレッソ大阪での一番の思い出は
「一番はいっぱいある。2012年に徳島から帰ってきて、このチームで8番を付けてプレーできていた時が一番幸せかなと思う」
--サポーターに
「(再び涙ぐんで)セレッソで、タイトル取ってから行くと言っていた。そこはすごい申し訳ないという気持ちがあります」
--最後に
「厳しい環境になると思うが、今まで通りサッカーを楽しんで今後の自分につなげていけるようにがんばる」※引用しました。